夢
久しぶりの投稿は、昨日の夢のこと。
昨夜の夢はなかなか強烈だった。
もう8年ほど前に介護福祉士として仕事をしていた、認知症対応型グループホームのおばあちゃんが出てきた。
半日経ってもまだ、その温もりが身体に残っている。
90歳を超えていて、耳が遠かったそのおばあちゃんは、普段は穏やかだけれども、時々発作を起こした。
叫び、のたうちまわり、失禁をして、白目を剥く。
けれど病院につくと何事もなく収まる。
年に1、2回、そういうことがあり、自宅に居た頃はもっと頻回で、家族も大変だったそうだ。
けれど、毎回、本人は覚えていない。
最期の時も、誰もがまた今度もまたきっとそうだろうと思った。きっとまたケロッとするよね、と。
けれど、そのまま亡くなられた。
夢で私は、そのおばあちゃんの入浴介助をしていた。
全身を洗って、湯船であったまろうかという時に、そのおばあちゃんが発作を起こして、失禁が止まらず、おばあちゃんの名前を呼びながらその尿にまみれる、という内容だった。
夢で、私は尿まみれになりながら、おばあちゃんと笑い合っていた。
なかなかの光景だった。
入浴介助は時にとても大変だった。
認知症介護の場面で、恐らく最も高いハードルだと思う。
認知症でなくたって、そうそう簡単に、人は人前で裸になんてなれない。
私だって嫌だ。
けれど、それも含めて、すごく好きな時間だった。
どっと疲れるけれど、裸の付き合いをした気持ちになるのだった。(私はもちろん服着てるけど)
夢だったけど、本当に今も、あの肌や声、目線、温もりが残ってる。
(まるで恋)
こんな私にもできることがある、そう思わせてくれたたくさんのお年寄りたちが、今も私の中で生き続けてるんだな……
猛烈に、会いたいと思う。
おかげさまで、こうして生きてます。
補足
私にとって、認知症介護を学んだことが、間違いなく今の養生ヨガに繋がっている。
これはまたいつか書きたいと思うけれど、個人的に、介護と福祉を義務教育にしたら、世の中はもっと生きやすくなると思っている。
人のため、と言いながら、本当は自分が一番、という世の中になっていて、それが苦しみを大きくしていることに、私たちはなかなか気付けない。
かく言う私も、ずっと問い続けている。
私はこの仕事を通して、本当は何を表現したいのか。
何を願っているのか。
夢に出てきてくれたおばあちゃんにも、問いかけられているような気がするのだ。