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YAMAHA R1

2018.04.28 11:33

YAMAHA R1 

(リード)

国内の主だったメーカーから250㏄クラスのロードスポーツが出揃うと、必然的に性能をめぐる競争が白熱化していった。後発モデルは当然のごとく、ライバル車を凌駕する性能を開発目標に掲げて、ニューモデルを発表することになる。このように開発競争が激化してくると、いちはやくデビューを飾ったヤマハのYDSシリーズは、各社の格好のターゲットとされたために、次第に苦境に立たされることになった。また、こうしたパワーウォーズは国内にとどまることなく、アメリカ市場を舞台にしても繰り返された。


(本文)

 スズキT20、カワサキA1といった高性能ロードスポーツのデビューによって、YDS3の魅力は急速に色褪せていった。しかし、ヤマハとしても、こうした状況をただ、傍観しているわけではなかった。YDS3のスケールアップ版ともいえるYM1の投入で急場をしのぐ一方、ひそかに本格的なオーバー300㏄クラスの開発を進めていたのである。

 排気量アップに勝るチューニングはない。ヤマハは、2サイクルの大排気量化という、新たな分野に踏み出したのだ。ヤマハの新ロードスポーツがデビューを飾ったのは、1966年のモーターショーだった。発表されたニューモデルは、フルスケールの350㏄エンジンを搭載した、重厚なスタイルのロードスポーツだった。61×59.6㎜というボア・ストローク値の大型2サイクル・ツインは、上下分割式のクランクケースが採用されるなど、ヤマハ伝統の2気筒とはまったく別物の新設計エンジンだった。

 総アルミ合金製のため鋳肌が白っぽく、そのためにマニアからは“白いエンジン”と呼ばれたこのツイン・エンジンは、メタリックボンドというニューテクノロジーによって完成した軽量アルミ・シリンダーを採用していた。このシリンダーに切られたフィンは、非常に薄く仕上げられていたのが印象的だった。また、このエンジンには開発当初、ロータリーディスク・バルブの導入も検討されたといわれている。だが、最終的には結局、デイトナ用レーサーで好結果が得られたオーソドックスなピストンバルブ方式が採用されることになった。ちなみに、R1自身もその後、TRと呼ばれるレーサーに改造されてデイトナのレースで大活躍してみせ、この選択が誤りでなかったことを証明した。 

 各部を補強されたセミ・クレードルフレームには、予めネジを切られたスタッドが随所に目立っていた。これは、スポーツキットの取付け用に始めから用意されたもので、たとえばロードレースならば、バックステップやカウリングがボルトオンで簡単に取りつけられた。また、スクランブル仕様に改造する場合も、アップマフラー用ステイやエンジン・プロテクターもワンタッチで装着できた。さらには、これらのスタッドを利用することによって、サイドカーを取りつけることもできたというから面白い。

 この350㏄ロードスポーツのユニークともいえる多目的性は、1ダウン4アップのシフト機構にもみられた。チェンジペダルは輸出先の慣習に合わせて、左右どちら側にも移動できたのだ。この350㏄ロードスポーツはまず、アメリカ市場にYR1“グランプリ”と命名されてデビューした。一方、国内には、『R1』というシンプルな名称で、1967年2月から発売された。

 R1は最高出力36ps/7000rpmと、排気量のわりには控え目な数値が公表されていた。また、車重も170㎏とけっして軽くはなかったが、3.8㎏m/6500rpmの強力なトクルに物をいわせて、SS1/4マイルは14.8秒、最高速度は173㎞/hに達した。こうして紙上でスペックを並べてみると、R1は、お手軽なロードスポーツという印象をうけるが、現実はヤマハ製ロードスポーツのセオリーどおりの性格だった。

 大トルクに身を任せてシフトチェンジをおろそかにしようものなら、プラグはすぐにカブリ気味になり、エンジンは機嫌を損ねてしまった。R1も本質的には、YDS同様に高回転を好んだのだ。そうした意味では、YDS程ではないにしろ、ライダーにテクニックを要求するタイプのモーターサイクルであった。

 R1はその後、1968年にはタンクのデザインを変更したR2に衣替えし、減速比が変更されて幾分、乗り易くなった。さらに1969年になると、一段とマイルド化がすすんだR3へと発展した。もともとデビュー当時から、スプリンターとはいい難かったR1だが、モデルチェンジのたびにマルチパーパス的な性格のモーターサイクルへと変身していったのである。R1が切り開いた2サイクルの中量級という分野にはその後、後を追うようにサワサキA7、ブリヂストン350GTといった後続モデルが参入してきた。これらのニューカマーは、250㏄クラスの時と同様に、先行するR1を凌ぐ動力性能をセールスポイントとして、販売実績を伸ばしていった。Rシリーズはこうしたスプリンターと直接競合するタイプではなかった。Rシリーズは、実用性とスポーツ性を両立させた、ヤマハのプレステージ・モデルを目指していたのである。