第5章 その5:「乳がん、さようなら」〜前編〜
2015年12月21日の朝。
術前処置として、私のお腹に「切り取り線」のようなものが書き込まれた。田辺先生がマジックで書いたのだ。なんだか子どもがいたずらで書いたみたいな線に、ちょっと笑いそうになった。
看護士さんから安定剤を手渡された。いよいよだ…。これを飲んだら、手術が始まる。
安定剤を飲み下した私はどうやら、看護士さんに車椅子を押されながら、家族にひとことふたこと言葉を発したらしい。
そして前室までついてきてくれた夫と母に、「行ってきまーす」という感じで、手を振ったらしい。
「どうやら…~らしい」というのは、全く何も覚えていないからだ。
安定剤を飲んだ後の記憶は一切なかった。あっという間に眠りに引き込まれるような感じだった。
* * *
初めまして。杏莉の夫です。
妻の杏莉はこの日のことを、ほとんど覚えていません。
安定剤が効いた瞬間からリカバリ室で看護士さんに「杏莉さーん、分かりますかー?」と声をかけられるまで、「本当に一瞬の出来事だった」と彼女は言います。
のん気なもんですよね(笑)。
…というのは、冗談として。
現在、日本では、一年に4万人もの女性が乳がんと診断されていると言われています。多くの方々がきっと、僕の妻と同じように、つらくて長い治療の道を歩んでいることでしょう。
4万人。東京ドームの収容数が5万5千人くらいですから、少なくはないのだと分かります。
僕はこうも考えます。
それは「女性の乳がん患者の数」であると同時に、「誰かの大切な人の数」でもあると。
それぞれの罹患者に、家族や恋人や友人など、つながっている人がいるはずです。有名人ならファンの人達がたくさんいることでしょうし、ちいさなお子さんだっているでしょう。
4万人の罹患者がいるということは、4万通りのかけがえのない物語があるということ。そこにつながる無数の人々の愛や葛藤を、僕はどうしても見過ごすことができません。
『Pink Rebooorn Story』は、僕らが二人三脚でくぐり抜けてきた、夫婦の試練の物語ともいえるかもしれません。
ま、あまり僕は登場していないみたいですが…(笑)。
その最終決戦ともいえる手術日のことについて僕の目線から語ることで、同じように「大切な人」の闘病に苦しんでいる人の心をすこしでも軽くすることができればいいなあと思っています。
と、なんだか大きなことを言ってしまいましたが、実際この日に僕ができることはほとんどありませんでした。しいて言えば、尾田平先生のチームと杏莉の体力を信じてひたすら待つことです。
待合室として指定された共有スペースはK病院の上階にあり、窓からは病院の全貌や、その向こうの建物群などがよく見渡せました。
きっとこれまで生きてきた日々の中で一番長い一日だったかもしれません。不安と希望のシーソーゲームをずっとしていました。「きっと大丈夫」という楽観的な感情と「もしかしたら」という弱気な感情の。
僕は若い頃に父をガンで亡くしています。
あの時に感じた、「自分には何もできない」という無力感に、今もまた苛まれていました。
どれだけ守ると言っても限界がある。自分にできることの少なさに、ただただおののくばかりでした。
でも、絶望していたわけではありません。むしろ希望の方が大きかった気がします。
元気になったらどこに連れていこう。何か美味しいものを二人で食べに行こう。そんなことを僕は考えていました。
やがて、尾田平先生が担当する手術が終わったとのことで、看護婦さんが呼びにきました。
お義母さんとお義姉さんと僕、三人で、前室へ向かいました。
ほどなくして前室に尾田平先生が現れました。先生はオペ用の着衣のまま、ついさっき帽子だけ脱いだというような恰好でした。
「無事に終わりました」
「ありがとうございます!」
引き続き、患部状態や施術内容の説明を受けました。予定通り100パーセント切除完了。それを聞いて、心の中でこわばっていたものがほどけていくのを感じました。杏莉が乳がんと診断されて以来ずっと、いつ「最悪」なことを聞かされても耐えうるよう、無意識のうちに、力をこめるようになっていたのかもしれません。
「あとは細胞を検査し問題がなければ術後の経過を見ていくことになります」
と尾田平先生が言葉を終えた時、「ああ終わった」と実感し、深い安堵に包まれました。
ゆるんだ気持ちでいると、先生の額の汗や、ちょっと乱れた髪型に目がいきました。あれほど冷静沈着でクールな尾田平先生にとっても、やはり手術は特別なことなのだと思いました。先生には本当に感謝しかありません。
ところで、ずっと気になっていました。先生の手に抱えられた、四角いタッパーのようなもの。
ビニールのようなもので一応包まれてはいるソレ。
なんとなく中身が見えるような気がします…というか、ほぼ見えています。何かタプタプしているものなのですが、あきらかにそれ…妻のアレ…ですよね…
正直そのタプタプが気になりすぎて、最後の方、説明が入ってきませんでした。
誇らしげに、そしてもったいぶった感じで先生は言いました。
「で、これは切除した細胞です。見たい人にだけ見せるけど、…見る?」
(やっぱりーーー!)
「いやいや見えてますやん」
思わず僕はつっこみました。
そのあとの尾田平先生のニタっとした「やっぱり(見たい)?」的なドヤ顔が忘れられません。
いやはや、こういう感じで細胞を見せられるんですね。切除されたその患部は、思ったより大きかったです。ひとことでは表現できない複雑な色をしていました。
このひとかたまりの部分が人間を死にも至らしめることもあり、杏莉の場合は体内で化学療法により小さくなったのです。そして取り除かれて今ここにあると思うと、とても感慨深かったです。
乳がん、さようなら。
ちなみにこの時のことをデフォルメしてマンガにしたものはこちら
(尾田平先生への愛情の裏返しと思っていただければと思います! by杏莉)