2月12日 主日礼拝(オンライン)
2月12日 主日礼拝(オンライン)
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書 20章17~19節
主イエスが弟子たちに告げる。
これからエルサレムに登って行く。
そこで自分は祭司長、律法学者に捕らえられ十字架にかけられる。
そして三日目に復活をする、と。
金持ちの青年と主イエスのやり取り。
そこから、一つのテーマが始まっている。
そのテーマの結びが、今日のイエスの言葉になっている。
十字架にかかり復活をする。
一つのテーマ。
青年が主イエスに聞いたこと。
「先生、永遠の命を得るにはどうしたら良いですか」
「永遠の命」
このテーマに対しての結び。
「十字架にかかり復活する」
テーマ設定と結び。
この言葉に隠されているものは何か。
「永遠の命」
聖書の状況から、私たちの現代に翻訳をするなら「幸福とはなんですか」
青年は富がある。
富で、できることはなんでもした。
だが幸福ではない。
どうしたら幸福になれますか。
主イエスの答えは律法を守れ。
青年は答える。
それはもうやっている。
「ならば」とイエスは律法の本質を問う。
全部捨てろ。
何故、人は人を殺すのか。
その人が憎くて仕方ない。
怖くて仕方ない。
自分の心が自分自身から離れて「その人」に行ってる。
何故、盗むのか。
あるものが魅力的で仕方ない。
それをどうしても手に入れたくなる。
自分の心が自分自身から離れて「あるもの」に行っている。
律法を守るとは心を自分に取り戻すこと。
律法で言われていることは心が自分にあれば簡単に守れる。
それが努力をしなければ守れない、となれば心は自分にはない。
自分以外の所にある。
それは「律法を守った」ということにはならない。
あなたの持っているものを捨ててみよ。
持っているもの。
自分でないもの。
心が自分にあれば自分でないものは簡単に手放すことができる。
青年は捨てられなかった。
心が自分の「持っているもの」「富」に奪われてしまっているから。
ぶどう園の主人は朝早くから働いたものにも、
夕方一時間しか働かなかったものにも
1デナリオンずつを支払った。
自分の仕事、使命に早く気がついたもの。
年月を過ごしてから気がついたもの。
早くても遅くても同じ。
自分に備わっているものは変わらない。
神から与えられている賜物は変わらない。
早いも遅いもない。
賜物は時間に支配されない。
これを受けて主イエスの十字架と復活の言葉が続く。
「幸せとは何か」
捨てること。
使命を果たすこと。
自分ならば、こうする、
主イエスにとっては十字架にかかること。
死んだら何にもならない。
捨てたら自分のこれまでが失われてしまう。
確かにその通り。
だが、自分の頭で考えた現実はその通りであっても本当の世界は違う。
自分の予定、価値観、正義、調和、それを全部壊してこそ行ける世界がある。
自分の現実より、もっと豊かで広い世界がある。
「先生、永遠の命を得るにはどうしたら良いですか」
全部、捨てる。
捨てなければ行けない所がある。
その先がある。
その先に行くこと
私の使命。
その先に
すべてがある。