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「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 あまりにも壮大な上之郷城と忍者の戦術の描写と瀬名親子の人間ドラマ

2023.02.14 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 あまりにも壮大な上之郷城と忍者の戦術の描写と瀬名親子の人間ドラマ


 毎週水曜日は、大河ドラマ「どうする家康」について書いている。まあ、毎回そうであるが好き勝手に様々なことを書いているのである。それににしても、今回の内容は、さすがに「あり得ない」ということも少なくない。

脚本は、悪くないと思う。脚本は、城の大きさや、その壁の高さなどは全く書かれていない。ある意味で「潜んでいる忍者が出てくる」などと書けばよい方で「ここで甲賀忍者登場」とかくくらいであろう。その為に、城の表現や川の表現、または床の下から忍者が出てくる演出など、とてもではないがそこまで脚本家が攻められてはかわいそうである。

つまり、脚本からイメージして画を作る「プロデューサー」などが、実は素晴らしい脚本のイメージを悪くしてしまっている。これ等の映像作品というのは、当然に、脚本家一人で出来上がるものではなく、演出家や時代考証、大道具・小道具全てのスタッフが同じ方向で歴史を学び、同じ方向で物事を見ていなければできない。その歴史認識が違ってしまうと、清州城が紫禁城のようになってしまうし、また、衣装が韓国ドラマのようになってしまうのである。

そのように「全く異なる内容」で映像ができてしまうと、そちらの方に目が行ってしまい、神経がその方向に向かって、作品そのものを作ることができないということになってしまうので、脚本家がかわいそうということになる。当然に、役者もかわいそうなのであろう。

さて、今回のドラマはそのような感じになってしまっているところがある。あまり批判的なことを書きたいとは思わないが、それでもひどすぎる部分がないわけではない。ちょっと、もう少しNHKのスタッフには、しっかりと歴史を学び、そして日本の歴史を、日本人の偉人ドラマを愛してもらわないとならないのではないか。このように「日本の大河ドラマ」を「中国ドラマや韓国ドラマ」にしてしまえば、批判が来るのは間違いがない。当然に視聴者離れが出てきてしまうことになるであろう。それでよいのだろうか。まさに「どうするNHK」なのである。

強すぎ!「どうする家康」松本まりかの女大鼠に沸く 山田孝之と息ぴったり

 12日に放送された松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜、NHK総合夜8時~ほか)第6回で、松本まりか演じる女大鼠が初登場。服部半蔵(山田孝之)を圧倒する強さを見せ、「松本まりか」「まりか様」などのワードがTwitter上位にトレンド入りした。

 「忍・忍・忍!」と勢いよく始まった第6回「続・瀬名奪還作戦」では、今川に捕らわれの身となった妻・瀬名(有村架純)を取り戻そうとする松平元康(松本潤)らのその後の展開が描かれた。前回では今川家の重臣・鵜殿長照(野間口徹)に動向を読まれ多くの仲間たちを失った服部半蔵だったが、次なるミッションは鵜殿長照とその息子たちを生け捕りにし、瀬名ら関口家と人質交換すること。本多正信(松山ケンイチ)の呼びかけにより甲賀衆も加わり、向かうは鵜殿長照が守る上ノ郷城。そこへ加勢したのが、前回の作戦で亡くなった大鼠(千葉哲也)の娘・女大鼠だった。

 半蔵を前に鮮やかな手裏剣さばきを披露した女は、「今日からは大鼠……」と名乗り忍びたちの中でも群を抜く活躍ぶり。変装の達人でもある彼女は、夜陰にまぎれ妖艶ないで立ちで現れると、裾をめくり美脚をあらわにするハニートラップで鵜殿兵に奇襲をしかける場面も。鵜殿長照に射抜かれそうになった半蔵を救うなど、俊敏かつ猫のように軽やかな動きが注目を浴び、SNS上では「しびれます!」「カッコいい!」「強!」「美しすぎる」「妖艶」と沸いていた。

 半蔵や女大鼠らの“合図”で死体に化けていた忍びたちが一斉に動き出すシーンではマイケル・ジャクソンのMV「スリラー」(※墓場から蘇ったゾンビたちがダンスする)を彷彿とさせるという声も見られた。

 松本にとって大河ドラマへの出演は「葵 徳川三代」(2000)以来23年ぶり。山田とはドラマ「六番目の小夜子」(2000)や短編映画制作プロジェクト「MIRRORLIAR FILMS」Season2の「The Little Star」(2022・紀里谷和明監督)などで共演している。(編集部・石井百合子)

2/12(日) シネマトゥデイ

https://news.yahoo.co.jp/articles/d4ace18efc8f126512a86d19dd2d423eecdb9ec8

 さて、批判は前半だけにしておこう。今回の見どころは、前回の瀬名奪還作戦の失敗で犠牲になった「大鼠」の娘「女大鼠」であろうか。このくノ一が、かなり優秀である。当時、くのいちは、ある意味で男性顔負けの技術と「色香」で忍者技術を持つことができたことから、有利に物事が進んでいた。初めのうちは劣勢であった上之郷城の戦いが、女大鼠が出てきてから、うまくゆくようになっているということがなかなか面白い。ある意味で忍者の棟梁であるはずの服部半蔵よりも、その部下の方が忍者として売湯集であるということ、そして、その部下の娘がより強いということも、なかなか興味深い設定だ。

何度も書いているが「忍者」というのは、物語の矛盾をすべて解消してくれる「便利な道具」である。もちろん、当時は人間であるからそうではないが、我々現代の小説家や脚本家にしてみれば、本当に使いやすい。そこに「妖艶でなおかつ強い」くのいちがいるというのは、物語を変化させるバリエーションが大きく増えたということになるのではないか。

この女大鼠の活躍は、今後楽しみの一つではないか。あるいみで、女大鼠を演じる松本まりかさんが、ぶっきらぼうな演技をし、そしてその後女性を前面に出したあざとい女の役をするということ辺りが、なかなか面白いということになるのではないか。

さて、物語はもう一つ、その戦いが終わってから、人質交換で瀬名と関口氏純・巴夫妻との親子の物語がでてくる。この辺の「涙」を誘う脚本はさすがであるといえる。面白い、コメディタッチを急にシリアスな場面に代える手法は、そのギャップをうまく使うということになるので、なかなか面白い。

もともと、「家族全員で脱出できる」はずであったが、巴が田鶴に全てを打ち明け、それが露見したことによって結局はうまくゆかない。そのことで服部一党は壊滅的な打撃を受けるということになるのだ。その「服部党」の壊滅的危機を救うのは、まさに女大鼠なのであるが、一方で、壊滅させた責を負った巴と、その夫関口氏純は、瀬名を助けることによって自分の命を犠牲にするということになるのである。自らの実の処し方を知っているというか、ある意味で、自分たちのせいで瀬名とその子供たちの命を危険にさらしたという感覚があったのではないか。そのことを常に考えていたということが見えてくる。その潔さに、涙する人も少なくなかったのではないか。

ある意味で「新しい解釈」などはドラマの進行で何ともなる。映像も解釈次第であるが、まあ、もう少し何とかなってくれると落ち着いてみることができるのだが。