人間は習慣の束である
https://www.asahi.com/articles/ASQ2X4T3PQ2XUCLV007.html 【俳人の稲畑汀子さん死去 「ホトトギス」名誉主宰 朝日俳壇前選者】より
日本最大の俳句結社「ホトトギス」名誉主宰で日本伝統俳句協会名誉会長、朝日俳壇前選者の稲畑汀子(いなはた・ていこ、本名・稲畑=いなばた)さんが27日、心不全のため兵庫県芦屋市の自宅で死去した。91歳だった。通夜、葬儀は近親者で営む。喪主は長男で俳人の廣太郎(こうたろう)さん。
1931年、横浜市に生まれた。祖父は俳人で俳句界の巨人と称される高浜虚子。父も俳人の高浜年尾で、幼いころから俳句に親しんだ。
79年、年尾の死去後に「ホトトギス」主宰を継承。87年に日本伝統俳句協会を設立。2000年、芦屋市に財団法人虚子記念文学館を開設し、理事長に就任した。13年に「ホトトギス」主宰を廣太郎さんに引き継ぎ、名誉主宰になった。1897(明治30)年創刊の月刊俳句誌「ホトトギス」は、昨年12月号で1500号に達した。82年9月から2022年1月まで、朝日俳壇選者を約40年にわたって務めた。
虚子の伝統を尊んだ「有季定型」「花鳥諷詠(ふうえい)」「客観写生」を信念とした。句風は風雅で気品があり、代表句に「今日何も彼もなにもかも春らしく」「落椿とはとつぜんに華やげる」「初蝶(はつちょう)を追ふまなざしに加はりぬ」「空といふ自由鶴舞ひやまざるは」などがある。
率直な人柄で新聞、雑誌、テレビに登場する機会が多かった。18年に亡くなった俳人金子兜太さんとの季語をめぐる真っ向からの討論が話題を呼んだ。
毎週行われる朝日俳壇の選句のための上京を、コロナ禍で選句会が休止となる20年3月まで37年以上続けた。「善意を持っての選句」を旨とし、22年1月9日付の「第38回朝日俳壇賞」の選が最後の掲載となった。
https://tsukinami.exblog.jp/31309822/ 【総合誌「俳句四季」2022年5月号拾い読み ~法人と伝統俳句】より
東京四季「俳句四季」5月号の連載「俳壇観測」で、筑紫磐井さんが「稲畑汀子の業績」を書いておられます。
2月に亡くなった汀子前会長が、自身主宰をつとめていた「ホトトギス」を核として、日本伝統俳句協会を創設したのは、昭和末期の62年(1987年)でした。
直接的な創設のきっかけは、破格調を厭わない金子兜太が朝日俳壇の選者に就任したことへの、ホトトギス派からの危機意識だったそうです。
戦後、新俳句人連盟(S21~)も、現代俳句協会(S22~)も、俳人協会(S36~)もすでに存在する中、さらに全国組織を立ち上げようとしたわけですから、ホトトギス系の俳人たちの間で論議を呼んだだけでなく、法人として国の認可を得るためにはかなり強力な政治の後押しを必要としました。
公益社団法人「俳人協会」の定款には、こんな目的が記されていました。
〉この法人は、俳句文芸の創造的発展とその普及を図り、もって我が国文化の向上に寄与することを目的とする。
一方、公益社団法人「日本伝統俳句協会」の定款に書く目的は、こんなふうに決まりました。
〉この法人は、有季定型の花鳥諷詠詩である伝統俳句を継承・普及するとともに、その精神を深め、もって我が国の文化の向上に寄与することを目的とする。
両者の違いがわかるでしょうか。
筑紫さんによれば、俳人協会の設立時には、一業界に一法人しか認めないという文部省の方針があったため、同協会では(現俳協会への対抗を念頭においた)伝統俳句という用語を用いることができず、伝統も前衛もひっくるめた俳句団体と規定せざるをえませんでした。現実にいま、俳人の構成も概ねそうなっているでしょう。
ところが、日本伝統俳句協会の場合は、創設にあたってどうしても伝統俳句を名乗りたくて、文部省と綿密なすりあわをした結果、伝統俳句=「有季定型の花鳥諷詠詩」と狭く定義して、認可を受けることになったそうです。
つまり文部行政上、伝統俳句とは(ホトトギス派の)有季定型の花鳥諷詠詩のことであり、それは日本伝統俳句協会でしかおこなわれていないという、理屈が成立するみたいですね。ヘリクツですが、面白い定義です。
…と、どうでもいい話題でしたか?
一指李承憲@ILCHIjp
大事なのは、よい生活習慣をもつことです。自ら健康になれる習慣と体質を生活の中でつくる必要があります。悪い習慣があれば、健康状態が悪くなるのは当然です。習慣によって人生がつくられます。
Facebook相田 公弘さん投稿記事 「幸せすらも習慣になる」
サミュエル・スマイルズの心に響く言葉より…
よく言われることですが、人間というものは、習慣を束にしたようなものです。
そして習慣は、第二の天性です。
人間を若いころに教育して、よい習慣をつけさせることの重要性は、いくら強調してもしすぎることがありません。
若いころに習慣づけるのは、とても容易です。
そして、いったん習慣ができてしまえば、一生もちます。
木の皮につけた刻み目と同じことで、時間とともに成長し、大きくなります。
年齢とともに習慣が強固なものとなり、人格が形成されると、あらたな道へと曲がることが徐々に難しくなります。
そのため、新しいことを学ぶよりも、学んだことを忘れることのほうが大変になります。
そう考えると、むかしギリシャの笛吹きは、格下の教師から学んできた生徒には、倍の授業料を要求したといいますが、なるほどと納得されることでしょう。
古い習慣を根こぎにするのは、とても痛くて苦しいことなのです。
怠惰、刹那主義、大酒などが習慣として染みついている人間を変えようとしてごらんなさい。
たいての場合、失敗することでしょう。
どのケースでも、習慣が人生に根を張っていて、人生そのものの一部になっているので、引き抜くことなどとうてい不可能です。
幸せすらも習慣になります。
ものごとの明るい面に目を向けるという習慣があります。
もちろん、その逆に、暗い面ばかり見るという習慣もあります。
ジョンソン博士は、ものごとの最良の面を見るという習慣は、年に千ポンドという豪勢な年収よりも、はるかに価値があるといいました。
幸せな思いで心をみたす習慣は、要するに習慣ですから、人はそれを自分のものにすることができます。
そして、若者をこのような明るい性格、上機嫌で幸せな性質をもった人間に育てることは、たくさんの知識をつめこみ、学問のできる人間に仕立てることよりも、はるかに価値のあることではないでしょうか。
◇『大人の気骨』講談社
スマイルズは、「習慣や誘惑は我々の主人ではなく、逆に我々が、習慣や誘惑の主人なのだ」と言っている。
多くの人は、自分の変えなければならない習慣について知っている。
だが、それを時間不足や環境のせいにして、できない言い訳にしている。
そして、ずるずると長い年月、その習慣を引きずっていってしまうのだ。
他人にとってはとるにたらない小さな習慣の変更のように見えても、それを変えるにはちょっとした決意が必要だ。決意とは、例えば…他人や知り合いや家族に向ってその決意を公表する。宣言を紙に書いて見えるところに貼っておく。
そして、次は行動するだけ…小さく始めて、成功の連鎖をつくる。
チェック表をつくり成果が見えやすいようにしておく。日々の進行状況の点検をする。
妨害する人を避け、応援してくれる人とつき合う。失敗してもめげず、また挑戦する。
「幸せすらも習慣になる」常に、明るい面を見る習慣を身につけたい。
※【人の心に灯をともす】より❗
https://akiniwa10000.wordpress.com/2016/01/18/189/ 【人間は習慣の束である】より
書名:「人性論」作者:ヒューム
ここでの「習慣」は経験といってもいいのではないか。われわれの毎日も、一生も、さまざまな経験を積み重ねていく過程であろう。経験によって新たな経験が生まれ、その経験によって、人々は成長し、社会は発展していくのである。
もちろん、人間には生まれつき備わっているものもある。われわれは、それらを「天性のもの」などというが、「習慣は第二の天性である」ともいわれている。
人間の知恵や人格も、どのような経験をするか、どのような習慣を持っているかによって決められていく。
したがって、できるだけ多くの経験から、それぞれの人生をきりひらいていくのに必要な、いい習慣を身につけていくことだ。その一つ一つが太い束になって、それぞれの人間を支えることになるのではないか。
また、仕事も恋愛も人生も、リズムに乗ることで、スムーズに進展するものだが、そのためにも習慣は有効である。
ヒューム(1711~76年)はイギリスの哲学者。