【京都】慈照寺(銀閣寺)
時間:2010年4月3日
営業時間:午前8時30分~午後5時(冬季は午前9時~午後4時30分)
定休日:年中無休
料金:¥500
交通アクセス:京都市営バス「銀閣寺前」徒歩6分
HP:http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/
「哲学の道」を抜け「慈照寺(銀閣寺)」にやって来ました。「鹿苑寺(金閣寺)」は小学校の修学旅行で来た事はありますが、「慈照寺(銀閣寺)」は初めてです。
「慈照寺(銀閣寺)」ですが、正式名称が"慈照寺"と言い、通称が"銀閣寺"といいます。
その「慈照寺(銀閣寺)」は、室町幕府8代将軍の「足利義政」が3代将軍の「足利義満」が建てた「鹿苑寺(金閣寺)」を参考にし、文明14年(1482年)に、「応仁の乱」に焼けたままになっていた「浄土寺」の跡地である、東山の「月待山麓」に「東山殿」の造営を始めました。
「足利義政」は、建築を始めた翌年である文明15年(1483年)にはその場所に移り住み、別荘としての使用の他、表向きの仕事にも使っていたようです。
当時、京都は「応仁の乱」が終了した直後という事もあり、経済が疲弊していましたが、「足利義政」は庶民に税金や労役を課し、その一方で「東山殿」の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていたようです。
造営を進めた結果、「会所」「常御所」といった大規模な建物が建ち並びました。
そうして、「足利義政」が亡くなる直前まで8年に渡り造営が進められましたが、結局「東山殿」の完成を待たずして、「足利義政」は延徳2年(1490年)に亡くなりました。
それから、「足利義政」を弔うため「東山殿」は寺に改められる事となり、「相国寺」の末寺として「慈照寺(銀閣寺)」が創建されました。
大規模な建物が建ち並んでいたようですが、現存するのは「銀閣(観音殿)」と「東求堂」だけです。
さて、そのような歴史ある場所に足を踏み入れると、いきなり見えるのが「銀閣(観音殿)」です。
こちらは「国宝」に指定されている建物で、まさに「慈照寺(銀閣寺)」の象徴と言うべき建物です。 「方丈」の前には「向月台」と「銀沙灘」と呼ばれるものが見えます。
この「向月台」は円錐台形の形をしており、この上に坐って東山に昇る月を待ったものと言われています。 「銀沙灘」は白砂を段形に盛り上げられたもので、月の光を反射させるためのものと言われているそうです。
「銀閣(観音殿)」と「向月台」と「銀沙灘」は3つ揃うとこのように。
そして、すぐ近くに見えるのが「国宝」に指定されている「東求堂」です。
写真が非常に悪いですが、文明18年(1486年)の建立という事で昔から残っている建物で、「銀閣(観音殿)」と共に、非常に貴重です。 その後、順路では少し高台に上がるようになっています。途中にあったのが「洗月泉」という場所。
小さな滝のような場所で、お金がたくさん投げ込まれていました。 そして、高台からは全体を綺麗に見渡す事が出来ます。
「鹿苑寺(金閣寺)」のような派手さはありませんが、落ち着いた雰囲気の場所です。 ちなみに、庭園全体は「特別史跡・特別名勝」に指定されてもおり、この美しさであれば当然といった所でしょうか。 このような、京都の歴史ある建造物を近くからしっかりと見る事が出来ます。 数多くの歴史ある建物が多い京都ですが、是非ご覧いただけたらと思います。 最後に、ちょっとした事です。 「慈照寺(銀閣寺)」は、何故銀箔が貼られていないのか、という疑問が度々出ます。 それは「鹿苑寺(金閣寺)」が金箔を貼っているためです。 これには色々と説があるようで、「当初は貼る予定だったが、財政事情のため出来なかった」という説があれば、「銀箔を貼る予定だったのに、その前に義政が他界した」など様々な説があります。 正確な理由は分かりませんが、過去に貼られたという事実はないようで、上記のようなものが理由ではないかと言われています。 真実が気になる所ではあります。