雑念エンタテイメント vol.4<もーにんぐしー>
君の名前で私を呼んで。
今年一月一二日、岩波書店が「広辞苑」の第七版を発売した。「国語+百科」辞典として1995年に初版を発行。朝ドラ、婚活、LGBT、ブラック企業など、時代に合わせて追加された新加項目はおよそ一万点。今回は2008年の第六版から約10年ぶりとなる出版にともない、大改訂が行われた。
新しい言葉が生まれたということは、新しい文化が生まれたということだ。それはどこかの企業がつくった商品であり、女子高生がはなった言葉であり、今まで名前のついていなかった事象や感情。それに総称がつき、社会で共通認識されはじめたということ。そんな多くの言葉が生まれ続ける中でもなお、世の中には名前のついていないことがたくさん存在している。これをなんと呼ぼうか、と生活の中で思うことがたくさんある。
例えば。朝の通勤時間に人身事故が起きたとき。遅延を知らせるアナウンスが流れると、電車を待っていた人たちが全身から怒りと嫌悪を発する。この澄んだ朝の光の中でさえ、電車に飛び込むことを最善だと思った人がこの線路の先にいる。その人のことを思った時の悲しみ。それに対して自分に対する損得しか考えられない人たちを見たときの感情。
例えば。普段の食事や購買において、世の中のいろんなところでコスパばかりに左右されて判断基準がおかしくなっているような気がすること。本来的な欲求や良いものを求めるという事を完全に度外視して、コスパにだけ価値を見出している商品やサービスが増え、人々が本質的なことについての思考を欠損して、選択をしていること。そしてそれに気づいていないということ。
例えば。私が人に音楽や本などを勧めて、その人がとても気に入ってくれたとする。でもそれは昔の恋人が教えてくれたもので私にとってはその記憶が付随しているんだけど、気に入った相手にはそれは伝わっていないのであたかも私が見つけた私の好きなものとして扱われる。それを目の当たりにした時のさびしいような気持ち。
「サラバ!」で直木賞を受賞した作家の西加奈子が、テレビ番組での椎名林檎との対談で、次回作の構想について話した。書きたいのは「友人以上の関係になった友人同士」について。
一緒にいて楽しい、なんでも話せる友人という存在のその先が、恋人という関係だとは決して限らない。そして、友人のほうが恋人よりも親密である側面も多々あると思う。その曖昧な関係の瑞々しさを、そのままで表現したいと語っていた。この感情をわたしも知っている気がする。しかし、この気持ちを呼ぶ名前は、まだ知らない。
このようなテーマは映画でもしばしば扱われる。最近見たブロークバック・マウンテンは、まさにこれだった。これから公開される映画「君の名前で僕を呼んで」、英語でいうと「Call Me By Your Name」。内容はまだ知らないが、関係に名前のない二人の物語なのではないか。
私も、好きだから付き合おうと伝えたときに、いまの関係でお互い満足なのに恋人というくくりになる必要あるの?と言われたことがある。これには困った。確かに言われていることは分かる気がするが、それではおさまらないような気もする。私はこの曖昧な関係に名前をつけたいだけなのだろうか。考えれば考えるほど堂々巡りになり、そのうちその人の名前の字画を数えていたりする。
文:もーにんぐしー