エゴン・シーレ展
「そんなにいいのがないよ」と聞かされてやって来たが、いやいや、素晴らしい絵がたくさん。行ってよかった。二時間半、展示を三周も回ってしまった。
今回、風景画は特に素晴らしかった。シーレのものの見方は、人物に対しても風景対しても同じなんだ、などと思った。
形を取り囲む線を足がかりに、歪み、わん曲させる。不思議な風合いを、思いを込める感じ。ニュアンス。
他の同時代の作家も素敵なものが多く、こちらに焦点を当てた展示ももう一度見たい。
世紀末から新世紀、新世紀になって十数年経った頃、スペイン風邪。2020年代のいまに似てなくもない。失望と希望と未来と。
青い色と赤色の片鱗。
線画の一部分を塗って描く。
エゴン・シーレのサインがかっこいい。画面に意匠的で構図的にもよく似合う。
上の3つは十五歳ころの作品。うますぎる。
画面に刷り込むように、刻むように描く。いろいろな時代の絵画に共通している気がする。何かを画に込めようとすると、そういう力が入ってしまう。わかる。
シーレの画には、たくさんの思いがあって、いや、またなくて、その実、本人そのものだ と思った。
そこにあるものを描くのではなく、自分を画面に写しているような、そんな感じがする。描く対象は、画の描くための触媒でもあり、モデルでもあり、好きなものでもあり、観察の対象でもあり。
絵でも言葉でも音楽でも、人に何かを伝えたい時、そこに己を出さない限り、その気持ちは伝わらないと思うのだ。
シーレにとっての「伝えたいもの」が何なのか、ぼくが言葉では表せないけれど、画を見て、シーレから何かを伝えられたことはわかる。
画の表層から、刻まれた念みたいなものがあって、こちらに何かを言っている感じ。
なんとなく雰囲気がジェームスディーンに似ている。
浪人生のころはじめて見たBunkamuraでのシーレ展で、圧倒的に打ちのめされた。絵画っていうものを知ったのがその時かもしれない。
その後も、ウィーンやニューヨークなどの美術館でシーレの作品を見ていた。今回はそれらとは違った作品をたくさん見られたから、僕にとってはすごくよかった。
もしかしたら、はじめてシーレを見る人にとっては、傑作や大作が少なくて、ちょっと物足りないかもしれないけど。