「江戸の潮干狩り」
2018年は4月30日~5月3日が大潮にあたり、干満の差が大きくなる上、潮が引く時間が日中とまさに潮干狩りにうってつけ。あさりも、関東では3月から5月が旬で一番美味しい時期。 あさりの産卵時期は7月〜8月。 この産卵に備えて 栄養をたくさん溜め込んでいるので、 濃厚で良い味が出る。
江戸時代、潮干狩りと言えば3月3日。『東都歳時記』は、「汐干 当月(三月)より四月に至る。そのうち三月三日を節(ホドヨシ)」つまり最適日としている。好適地は「芝浦・高輪・品川沖・佃島沖・深川洲崎・中川の沖」。当時ののどかな潮干狩りの様子をこう伝えている。
「 早旦より船に乗じてはるかの沖に至る。卯の刻過ぎより引き始めて午の半刻には海底陸地と変ず、ここに降り立ちて、蠣(かき)蛤を拾い、砂中の平目をふみ、引き残りたる浅汐に小魚を得て宴を催せり」
『江戸名所図会』の「品川汐干」の挿絵を見ると、その様子がよくわかる。蟹に指をはさまれ悲鳴を上げる子ども、取ったヒラメらしい魚を自慢げに見せる若者、船頭にかつがれ舟から降りる娘、船の中では、潮干狩りよりも杯を傾けることが好きな連中が宴を楽しんでいる。
「蛤を礫(つぶて)に投げる汐干潟」
今では1個何百円もする天然蛤も遊び道具にされるほど豊富だったのだろう。
「親にらむひらめをふまん汐干かな」(其角)
「のどかさは女中ひらめに踏み当たり」
ヒラメはよくとれたようで、浮世絵、俳句、川柳に頻繁に登場する。
人が多く集まる名所には、蕎麦屋や寿司売りまで出ていた。江戸の風景ではないが、豊国「明石浦汐干狩図」にはその賑やかな様子が描かれている。
ところで次の川柳は何をうたっているのか。
「三階に居る潮干狩りを母案じ」
これは潮干狩りの名所品川が舞台。品川と言えば、吉原の「北」に対して「南」と呼ばれたほど有名な遊郭。ここの妓楼は 東海道の道側から見ると二階建てに見えたが、海側から見ると一段低くもう1階分あったので三階建てだった。だから、「三階に居る」とは品川の妓楼にいることになる。母親が心配しているのは、潮が満ちること。大潮の時期は 潮が引くのも早いが 満ちてくるのもあっという間で、潮干狩りに夢中になっている間に舟に乗りはぐれるなんて事故も結構あったようだ。この川柳、親の心も知らず、潮干狩りを口実に品川妓楼で遊ぶ親不孝者を詠んでいるのだ。ではこの品川遊郭。主な客はどんな連中だったのか?有名な川柳がある。
「品川の客にんべんのあるとなし」
イ(にんべん)のあるのは「侍」。そしてないのが「寺」すなわち坊さん。品川近くには、薩摩屋敷や増上寺があったから、上得意だったようだ。文久2年(1862)12月12日、高杉晋作ら長州藩士13人が幕府が御殿山に建設中だったイギリス公使館を焼き討ちしたが、彼ら長州藩の若者たちが根城にしていたのが品川宿の土蔵相模(相模屋)という妓楼だった。
(国貞「汐干景」)部分
こんな川柳が浮かぶ。 「うららかさ品川沖へ徒(かち)はだし」
(『江戸名所図会』「品川汐干」)
(国貞「洲さき汐干かり」『江戸自慢三十六興』)
(豊国 「明石浦汐干狩図」)全体
(豊国 「明石浦汐干狩図」)部分
(歌川豊国「品川青楼遊興の図」)