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there's a magic everywhere you go!

ARI -Youth Camp-

2015.03.24 16:43

3月17日~20日の間 栃木県那須塩原にある 農村指導者育成専門学校のアジア学院に行ってきました。

これで3回目のアジア学院だけど、毎回ステキな経験をさせてもらってます。しかも、毎回”世界って狭いね”っていうミラクルが起こる(笑)

毎日、朝のラジオ体操から一日が始まって、農作業や家畜のお世話をして、わたしたちが食べるものは毎日の愛情こめたお世話の積み重ねで育つものなんだなーと実感。










もちろんスタッフからもだけど、アジアのド田舎から来た人に、農作業のこととか家畜のお世話のこととか教わっていると

ほんとに自分は何を学校で学んで生きてきたんだろうって思うよね。

自分の食べるものすら作り出せないのか。って。

アジア学院では、家畜のごはんを作るのに、近くの魚屋さんで廃棄される魚の頭とか骨とかしっぽ、そして学校から出る給食のパンを混ぜているのね。

とってもいいことだと思うんだこれ!!!

だって、学校の給食の廃棄って半端ないよね。

わたしてきに、学校がこんなに給食廃棄してるって、学校が食の大切さを学校が教えるとしたら教える資格ないと思うんだ。

これなら、せめて廃棄される給食の行き先がアジア学院で、家畜が食べるんだよってサイクルを教えるきっかけになるじゃない。

ってずっと思ってたのね。

あるごはんのとき、わたしが少しタガログ語わかるからってフィリピンの新しく来たスタッフと仲良くなって話をしていたの。

そしたらもう一人の日本人スタッフが入ってきて、その学校給食の廃棄を家畜のエサにしてるって話になったのね。

その日本人スタッフはこう話した。

「毎回、アジア学院に来る世界中の研修生が日本の学校給食の廃棄がこれだけあるって知ると、みんな驚くよ。”これが廃棄なの?”って。”まだ食べれるじゃない”って。

それから、これだけの量が日本中で捨てられていると知ると、彼らの驚きが怒りに変わるんだよ。

私の国では食べ物が無くてたくさんの人が死んでいる!!!って。

ね?あなたも怒ってるでしょ?」ってフィリピン人スタッフに聞いた。

「ああ、もちろんだよ。僕の国でも、僕の周りでも飢餓に苦しんでいる人はたくさんいるんだ。」

これを聞いているわたしのなかで何かが崩れた。

何も言えなかった。

わたしは先月フィリピンに居て、ある村の自立支援をしているんだ!って言って仲良くなったけど、それからは何も言えなかった。

給食は廃棄が出る前提で見ていたんだ。

廃棄をどうしたら減らせるかを考えなければならないのに。

日本の食糧自給率は40%弱。

アメリカの食糧自給率は120%くらい。

日本の食糧輸入量は5500万トン。(ちょっと古いデータかも)

日本の食糧廃棄量は1800万トン。(これも古いかも笑)

日本は世界一食糧をたくさん輸入していて、

同時に世界一食料をたくさん捨てている。

恥ずかしくないですか?

わたしは恥ずかしくって顔も上がらないよ。

このデータはずっと前から知っていたけれど

わたしはどこか他人事として見ていた。

今回、アジア学院に来てやっと自分のこととして見れた。

その証拠は、わたしのその恥ずかしさが物語っていると思う。

自分で食べ物を作るスキルもないくせに

本当に食糧を必要としている人の分まで輸入(搾取)して、

お腹いっぱい とか、まだ食べれるものを 商品にならないから って棄てて、

うわべだけで「いただきます」を言って、

ほんとにそれおいしいって思ってるのかって。

本当においしいものを知らない人多いんじゃないかって。

アジア学院のごはんはほんとうに美味しいです。

なぜなら、目の前にいる人たちが愛情込めて毎日お世話して

それを笑顔で一つずつ感謝しながら収穫して

それをアジア学院で作っている調味料で調理したから。

誰がどうやってどのようにして、というプロセスが見れるから

余計美味しいし、自然と「いただきます」に気持ちがこもる。


アジア学院に居ると、さっき自分が食べた豚肉、と同じ将来を持つ豚ちゃんが目の前に居て

自分の手でそのお世話をする。

どうせ食べちゃうから、じゃなくて。

命なんだ。 いのち。 ひとつのいのち。

<命ってなんなんだろう。>

今年の春休みに訪れた

おきなわ と フィリピン と アジア学院 が初めてリンクした瞬間。

こんなに大きな疑問初めてだ。

あああ。気付いた瞬間涙が止まらなかった。

みんな、みんな、みんな

状況や時代は違くても生きている。生きていた。

食べられても、殺されても、

どんなに苦しくても、生きていた。必死に生きようとしていた。

今だって、生きているいのちはたくさんある。

必死に今を生きている。

わたしは?わたしはどんなふうに生きている?

ある日の夜、先輩が偶然人の自殺に立ち会ったときの話をしてくれた。

ますます分からなくなった。

怖くなった。ああ、今も思い出すだけで手が震える。

これだけの自殺者が居る中で、これからもっと増えるなら、

自殺に立ち会うなんて誰もが経験することになるのかな。

そんなの嫌だな。

いのちって、生きるってなんなの。