デ・シーカ監督『ひまわり』
ウクライナの
ひまわり畑が象徴するのは
468時限目◎映画
堀間ロクなな
ウクライナの大地を埋め尽くす、見渡すかぎりのひまわり、ひまわり、ひまわり……。ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』(1970年)を一度でも体験した者なら目に焼きついて離れない光景だろう。だが、それには満開のひまわり畑の鮮やかさの他にも理由がありそうだ。もっと象徴的な意味あいを見出しているからこそ、われわれは深く記憶に刻み込むのではないだろうか。
第二次世界大戦の末期、イタリアのミラノから出征したアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、ロシア戦線に向かったきり行方知れずとなる。残された妻のジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)は終戦ののち、帰還兵から夫の消息を耳にすると、スターリン独裁が終焉したばかりのソ連へと探索に出かけ、そこで出くわしたのがウクライナの壮大なひまわり畑だった。途方もない執念が実を結んで、ようやく生存していたアントニオと奇跡の再会を果たせたものの、かれは命の恩人の現地女性マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)と家庭を持ち、ふたりのあいだには娘カチューシャまでいることを目にして、ジョヴァンナは口を閉ざしたまま帰国する。数年後、今度はアントニオのほうから足を運んできて復縁を求めたが、そのときにはジョヴァンナにも新たな夫と息子がいてはっきりと訣別を告げるのだった……。
こうしてストーリーを追ってみると、戦争によって翻弄された夫婦の悲劇とでも要約できるだろうが、実はそう単純な話ではないのかもしれない。と言うのも、このときドイツや日本と軍事同盟を結んだイタリアにとって、他の交戦国だったフランスやイギリス、あるいはアメリカで、もし夫が成り行きで現地妻を持ったとしても、しょせん三角関係のドタバタ劇に終わったはずだからだ。なぜロシアが舞台の場合には、こうした深刻なメロドラマが成り立つのか。そのへんを読み解くヒントとなりそうな場面がある。
映画のラスト近く、アントニオがロシアから旅行者としてミラノのジョヴァンナの住居へやってきたとき、彼女の幼い息子の名前がアントニオと聞いて「ぼくの名前だ」と喜色を浮かべたとたん、ジョヴァンナはすぐさま言い返すのだ。「聖アントニオから取ったのよ」――。このセリフは必ずしも韜晦ではないだろう。聖アントニオとは、13世紀にパドヴァで献身的な奉仕活動を行って民衆に愛されたフランシスコ会の修道士で、ローマ・カトリックの聖人とされている。その名前をジョヴァンナがあえて持ちだしたのは、いまやおたがいの生きる宗教的風土が異なってしまったことを確認するためではなかったか。
われわれには理解しにくいけれど、同じキリスト教世界でありながら、カトリックとプロテスタントによって構成される西のヨーロッパと、ギリシア正教の伝統を受け継ぐ東のロシアとのあいだには、おいそれと乗り越えられない障壁が立ちはだかっているらしい。おそらくは自然環境や言語の違い以上に、こうした宗教的風土の違いが個人の世界観に作用して、かつて夫婦同士だったふたりであっても、それぞれの地で暮らすうちに別方向へ生き方を分かつ結果となったのだろう。
もとより、それだけが要因ではなく、根底にはもっと重大な条件が横たわっていた。新約聖書の『ヨハネによる福音書』は、十字架刑を間近にしたイエス・キリストのこんな言葉を伝えている。
「をんな産まんとする時は憂(うれひ)あり、その期いたるに因りてなり。子を産みてのちは苦痛(くるしみ)をおぼえず、世に人の生れたる喜悦(よろこび)によりてなり」
つまりは、アントニオとジョヴァンナの別離は双方の子どもの存在によるもので、アントニオの第二の妻マーシャが生んだ娘カチューシャと、ジョヴァンナが現在の夫とのあいだに生んだ息子アントニオがおのずから定めた帰結に他ならなかった。スクリーンが映しだすウクライナの大地にひまわりが咲き誇る光景とは、東西のはざまにあって、たとえ宗教的風土が異なろうとも、だれであれ「世に人の生れたる喜悦」は等しいことを象徴している、とわたしは思う。とくにロシア正教では、四つの福音書のなかでもひときわ『ヨハネによる福音書』が重んじられるというだけに、この地において戦火が母と子の血を流し続ける事態を一刻も早く止めなければならないはずなのだが……。