共時的な出来事
2018.5.3は、家族と温泉に出かけました。
その一日の中で、共時的な出来事が起きていて、その意味を書き留めておきます。
まず、早朝、私のブログにコメントがつきました。
「22年ぶりに」という言葉があり、誰だろう?と考え始めました。
車で温泉に向かったのですが、家を出てすぐのところで、一時停止違反でつかまりました。
15年近く違反で捕まったことがないのですが、こんなところで捕まるなんて・・・最悪だなと思いました。
温泉でゆっくり過ごした後、不意に、「道の駅むなかた」で、何か買い物をして帰ろうと思い立ちました。
すると、不意に声をかけられ、見ると、小中高と一緒だった「いっちゃん」でした。
大学からは縁がなく、ずーっとあっていなかったのです。
昔話の中で、私にトラウマ的なことを起した某氏のことが出てきて、その時の痛みを思い出しました。
さらに、帰宅してフェイスブックを見ていると、Dayaさんの記事に遭遇。
それは、「幸せな関係がある祝福と、それだからこそ、過去の記憶と向き合うことができる」というメッセージとして私に読めました。
この一連の出来事を紐解いてみます。
「一度立ち止まり、過去と向き合う」
ミンデルセミナーでは、「宇宙にゆだねて、力強く進め!」というメッセージを受取りました。
それに付随して、「一度立ち止まり、過去と向き合う」というメッセージが届きました。
私は、「いろいろ出来事があったにせよ、幸せな子ども時代を過ごしてきた」と考えていました。
しかし、相当な痛みもあったはずなのです。
「見ていない」と言う方が正確ですね。
過去の痛みを無いことにしていた・・・・しかし、それが私のエゴに影響して、何らかの意図せざるパターンと執着を生み出している。
その事と向き合う時間が必要なのでしょう。