希望学
https://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope-archive/outline.html 【希望学」始めます】より
社会の問題を考えようとするとき、これまで希望は前提でした。希望、それはすなわち欲望や目的となり、その欲望や目的を所与として、消費、進学、就業、結婚、出産などが実行されると、社会科学では考えてきました。しかし現在、その前提自体が揺らいでいます。
進歩、発展、成長、近代化。そんな言葉を信じられる時代がありました。個人が何を欲し、何を目的として生き、社会がどこに向かっているかについて、はっきりと先行きが見えているかに思える、そんな時代でした。そのころ、学問を含む様々な社会的言説もまた、「希望はいつでも存在する」ことを暗に想定していました。しかし、今や、そのような想定が失われつつあるのです。
かつて炭坑夫たちは、炭坑に入るとき、かならずカナリヤをつれていったといいます。坑内に有毒ガスが漏れ出したとき、人間より早く、カナリヤはその危険を察知したからだというのです。もしかしたら若者たちは、現代のカナリヤなのかもしれません。無気力、学力低下、低年齢化する犯罪などといった行動も、希望という空気が薄くなりつつある現代への若者たちの反応を、大人の立場から表現したものかもしれません。
「失われた10年」と呼ばれた時代が過ぎ、さらに年月がたった今日でも、「この国を覆う閉塞感」という言葉をしばしば耳にします。それでは、その閉塞感の正体とはいったい何なのでしょうか。その感覚は、単に景気が上向けば、自ずと消え去る類のものであるとは、到底思えません。なぜなら、現代の社会には希望の喪失という闇が深く潜んでいて、それこそが閉塞感の根源にあることに、みんな気づいているからです。
激動する就業環境のなか、働く人の多くが「自分は何のために働くのか」にとまどい、失業者の多くは「希望する仕事がない」といいます。ひきこもりやニートには、やりたいことがみつからない限り、働けないという感覚があります。暮らし全般をみても、成熟した社会のなか、自分が本当には何を消費したいのかが、わからないという人が少なくありません。しかしながら、健康についても、医療技術の発達に加え、本人の持つ希望のあり方が、改善状況を左右します。技術革新が切り開く社会の未来も、進歩の先に個人がどんな希望を見るかによって、その姿は異なるでしょう。高齢社会において多くの人が模索しているのは、単に人生を長らえることばかりではなく、一人ひとりの人生をいかに生きるかという、長期的かつ実践的な行動指針ともいうべき、真の意味での希望です。
希望は、各個人にとっての過去と未来とをつなぐ展望を与えます。また希望は、個人と個人との関係を規定します。その希望が、今まさに問題となっているのです。
では、仕事や暮らしのなかの希望は、いったいどのように形成され、そして失われるのでしょうか。そんな希望の変動は、社会の動きとどのように関係しているのでしょうか。希望学とは、社会全般にとっての根本的な課題としての希望について、その社会的意味を明らかにすることを目的に、従来の学問的枠組みを超えるかたちで、東京大学社会科学研究所を基盤として2005年度より始められた新しい学問です。
他に類をみない希望学という新しい社会科学が目指すのは、次の三つの普遍的な問いに対する答えの追求です。一つは「社会において個人が形成する希望とはそもそも何なのか」という問いです。希望という日常的に用いられる言葉が、社会を語る上でも重要な概念であることは、多くが認めるところでしょう。にもかかわらず、希望の精緻な内容は必ずしも明確にされてきませんでした。あるいは、個々の分野ごとに理解が異なりました。これに対し、希望学は、希望について誰もが語れるための、共通言語の構築を目指します。
第二の問いは「社会が個人の持つ希望にどのような影響を及ぼすか」です。日本社会は、第二次世界大戦後の壊滅的状況から驚異的な経済成長を実現し、その後幾度かの停滞や危機を経験しながら、世界的には依然として高い生活水準を続けています。そのなかで日本人の希望観・未来観は大きく変容してきました。日本社会は、社会の変動と希望の歴史を持っているのです。社会科学研究所には、日本人の意識や行動に関して豊富なデータを蓄積しています。その財産と新たに実施する希望に関する調査研究を通じて、社会の変動が個々人の希望形成のあり方に与える影響を明らかにします。
第三の問いは「個人の形成する希望が社会状況をどのように規定するのか」です。希望は社会によって影響されるばかりでなく、希望それ自体が社会を変えていく可能性を秘めています。社会状況の改善を目指すとしても、その改善の試みが個々人の将来に対する希望をどのように変え、その結果としてどのような集団行動へとつながるかについての理解が不可欠です。希望学は、思想・制度研究、経済・歴史分析、社会調査など、社会科学研究所が保有する学際的かつ総合的な研究実績を活かし、希望が社会に与える影響と、希望を通じて社会を改善する方策を考えます。
人はどのようにして希望を持ち、そして失うのか。希望は社会とどのような関わりを持つのか。希望学は、社会のなかでの希望の意味とありかについて、一人ひとりが探求するための科学的プロジェクトです。私たちは社会科学者として、事実の積み重ねを通じて、希望について考えていきます。
https://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope-archive/hopology/hopology_05.html 【希望学】より
社会科学研究所では、1964年以来、研究所員の大部分が参加して行う全所的プロジェクトを実施してきた。2005年からは、地域主義比較研究と希望学という二つのプロジェクトを開始することになった。
希望学では「希望を社会科学する」を合言葉に、希望と社会の相互関係について考察を進めていく。経済学など従来の社会科学の分野では、個人は希望を保有していることを前提に、その希望を実現すべく行動するということを、社会行動分析の基本的な視座としてきた。しかし、現代社会では、希望は与件であるという前提自体が崩れつつある。
ここ最近における日本の若年無業の増加は、景気停滞の影響のみでなく、みずからの将来目標となる希望が見出せない結果でもある。国際比較からも、日本では将来を悲観し、希望が持てないと感じる人々は多いという。ただ一方で、希望の喪失は、日本のみならず先進国に共通して広がりつつある現象という指摘もある。それらが事実とすれば、どのような社会的背景があるのだろうか。だがひとくちに希望といっても、その内容は多様であろう。だとすれば、どのような希望が、現代社会では失われ、それが個人のみならず、社会全体に何をもたらすのだろうか。
従来、希望という概念は、個人の心理や感情の一つとして捉えられることが多かった。希望学では、個人の保有する希望自体、その置かれた社会環境によって影響されるという面を重視していく。そして個々人が形成する希望が、ひいては社会全体の動向にも影響を与えていく可能性があると考え、そのあり方について検討していく。希望学では、希望を個人の性格や感情としてだけでなく、社会の産物もしくは原動力として考察していく。そのための手法として、社会調査によって得られた客観的データの分析、歴史的資料の考察に加え、実地調査に基づく希望に関する幅広い対話などに基づきながら、希望の社会科学的分析を進めていく。
一般的に多様な意味合いを含む希望であるが、その内容はいくつかの観点から類型化することは可能であろう。たとえば希望のなかには、容易に実現可能なものもあれば、実現可能性が低いものもある。また希望を実現すべく効果的な行動を伴うものもあれば、単に望むだけあって、具体的な行動には至っていないものもある。さらには個人の内的な充実にとどまる希望もあれば、個人が希望を持って行動した結果として、多かれ少なかれ、それが何らかの社会的な影響を及ぼすものまである。希望学では、希望を現在ないし未来に対する具体性を帯びた展望と見なすが、なかでも実現困難でありながら、その保有が試行錯誤を重ねながらも自らの工夫と努力によって実現に向けて歩みを進める行動プロセスを誘発し、それが結果的に何らかの社会的な影響に結びつく可能性を持つ希望を、重点的に考察していく。
希望学プロジェクトでは、2005年5月にインターネットを用いたウェブ調査を実施し、20代から40代の約900名から回答を得た。そこでは調査項目として、小中学生の頃になりたかった職業と、その後の実現状況などをたずねた。それによると、何らかの具体的な職業希望の保有が、小学6年当時で71パーセント、中学3年当時で63パーセントにのぼっていたことがわかった。このように10代前半には過半数がなりたい職業があったのだが、その希望は多く場合、実現していない。希望していた職業に実際に就いた経験がある割合は、中学3年の希望については15パーセント、小学6年の希望に至っては8パーセントにすぎない。このように子どもの頃の職業希望は実現困難であり、希望を保有すること自体、徒労であり、意味がないように思えるかもしれない。
しかし、実際には希望を持つことが、将来の職業選択に大きな影響を与えている。先の調査では、これまでのやりがいのある仕事に就いた経験の有無をたずねた。すると、小学6年当時に希望する職業があった人々の場合、86パーセントがやりがいを経験したと答えているが、希望が無かった場合には、その割合は77パーセントにとどまっている。この結果は、仕事に関する希望の保有が、将来における就業のマッチングを社会的に改善する可能性を示唆している。
希望は、それが実現困難であればあるほど、失望に終わる可能性が高くなる。しかし、そんな失望経験のなかで、自らの適性を改めて認識し、社会における自分の位置付けなどを見直すことを通じて、結果的に社会のなかでより高い充足感を得られるのかもしれない。
希望は求めれば求めるほど逃げていく。しかし、希望が失望に変わることで、初めて社会と個人の関係について適切な認識と行動が創造されることがある。かつて中国の小説家魯迅は、「絶望が虚妄であるように、希望もまたそうである」と述べた。希望には絶望と表裏一体であるというパラドキシカルな一面があり、だからこそ社会的な意味があるということは、希望学による調査研究の結果からも垣間見ることが出来るだろう。
希望学では、今後も、いくつかの大規模な標本調査を計画している。希望が、単なる将来の目的としてだけではなく、個人や社会にとって望ましい結果をもたらすプロセスを誘発するシード(種)として重要な意味を持つことを様々な視点から明らかにしていく。今年度の調査では、「仕事と希望」の関係についてより詳細な検討を行い、2006年度には「家庭と希望」をテーマとして分析を進めることを企画している。
さらに希望学では、社会標本調査だけでなく、インタビューやオーラルヒストリーを含めた「対話」による事実発見を重要視していく。その一つの取り組みとして、2006年度には、岩手県釜石市において、地域における希望の変遷について、地域住民との綿密な対話による考察を行うことを検討している。
希望学では、2005年7年にはシンポジウムを開催し、271人の参加者を得るなど、すでに多くの社会的関心を集めつつある。希望学では、その中間的成果を広く公表しながら、社会との対話によって、学問としての方向性を明確化していく。現在、コーネル大学の宮崎広和助教授らとの共同し、「希望の社会的分配に関する国際研究」も企画検討している。
以上の取り組みなどを通じて、希望学では、希望に関する普遍的な共通言語を構築し、個々が希望を考え行動するための事実に基づくヒントを提示する。そして最終的には希望を念頭においた望ましい社会政策の提案を目指し、分析を進めていく。
文責:玄田 有史
https://www.utp.or.jp/book/b297544.html 【希望学【全4巻】】より
著者
東大社研 編
玄田有史 編
宇野重規 編
中村尚史 編
シリーズ
希望学
内容紹介
著者紹介
推薦者のことば
村上 龍(作家)
かつて希望は、焼け跡にまかれた種子のようなものだった。
多くの人がその果実を味わうことができた。今は違う。
希望の芽を育むためには、個人と社会、それぞれの戦略が必要だ。
この本はそのための果敢な挑戦の書である。
「希望学」刊行にあたって
希望学は、希望と社会との関係を切り開く、新しい挑戦である。
希望の意味、そして希望が社会に育まれる条件などを考察する希望学は、経済学、社会学、政治学、法学、歴史学、哲学、人類学などを総合した独自の研究である。理論研究にとどまらず希望学は、岩手県釜石市を対象に、他に類のない総合的な調査を実施するなど、地域密着の研究も行ってきた。
失われた10年から世界同時不況に見舞われた現在(2009年)に至るまで、「希望は失われた」という言説は、社会に蔓延している。その理由は何だろう?
収入や仕事などの経済要因に加え、年齢や健康なども希望には影響を及ぼす。景気停滞、人口減少、メンタル・医療問題など、いずれも希望喪失感の背景をなす。希望には、対人関係も深くかかわる。コミュニティや家族の変容、個人の社会的孤立といった問題も、希望の喪失を招いてきた。希望学は経済的・社会的要因と希望の相互作用を丹念に解きほぐしていく。
希望は、未来を展望するための行動指針と同時に、挫折を含む過去を想起し、現実を受けとめるための想像力の源泉でもある。ときに効率性の尺度すらスルリと乗り超える希望は、幸福の追求や行動を喚起するための「物語」である。
哲学者ブロッホが語る「まだない存在」としての希望が象徴するように、希望はいつもどこかパラドキシカルだ。「まだない」からこそ、求めるべき対象として、希望は「存在」する。希望は、画一的な理解を拒絶する「怪物」である。個人の次元で語るのと、社会の次元で語るのでは、希望の意味はおのずと異なる。その違いを理解することなく、政治が安易に希望を語るのには危険性すら孕んでいる。希望に対する理解の共有が、今こそ求められている。
心の問題であると同時に社会的な次元を持つ希望。「まだない」ものでありながら、現在の人々の行動を支える希望。そんな希望の両義性を、希望学は多様な角度から探っていく。さらに希望学の釜石調査は、地域の希望を模索するとき、ローカル・アイデンティティを基盤に対話とネットワークの形成が鍵を握ることなどを具体的に明らかにする。
「希望学」(全4巻)は、希望学の研究成果から特に重要な内容を厳選、書き下ろしを多数加えて構成される。読者が、希望を通じて社会科学全般へ関心が高まるよう工夫もしている。そこから社会や地域の新たな考察に不可欠な「希望」の姿が明らかに示される。
「希望学」を知らずして、今後、希望は語れない。
東京大学社会科学研究所
第1巻 希望を語る――社会科学の新たな地平へ 東大社研・玄田有史・宇野重規 編
はたして希望を社会科学の問題として扱うことはできるのか。希望は単に個人の心理の問題に尽きるものではなく、社会的な次元を有し、それゆえに社会科学の対象となりうるという信念こそが、希望学を進める原動力となってきた。本巻は、この信念を自ら再検討すべく、現代という時代にあって、社会科学の問題として希望を論じることの意義と可能性を考える。
第2巻 希望の再生――釜石の歴史と産業が語るもの 東大社研・玄田有史・中村尚史 編
釜石市は、高齢化、人口減、産業構造の転換など、日本社会に迫り来る近未来を既に体現しつつある町である。現代において希望の問題を考えるにあたって、「地域」は欠かすことができない視座である。釜石市との出会いは、まさにこのような問題意識を現実のものとするために絶好の機会を与えてくれた。本巻では、希望学釜石調査のうち、特にその歴史と第一次・第二次・第三次産業を含む、多様な産業をめぐる諸考察を収録する。
第3巻 希望をつなぐ――釜石からみた地域社会の未来 東大社研・玄田有史・中村尚史 編
本巻は第2巻における検討を踏まえ、、さらに釜石という地域社会の実態と、そこに生まれ育った人々の軌跡から希望の行方を把握しようとするものである。釜石の住民個々の生活にとっての重要な問題は、地域社会の未来を決定するインパクトを持っている。それはまぎれもなく、釜石のみならず、現代日本の地域社会が共有する問題である。市内の高校を対象にした貴重な同窓会調査の結果得られた知見についても、この巻で紹介する。
第4巻 希望のはじまり――流動化する世界で 東大社研・玄田有史・宇野重規 編
本巻を構成する諸論文の舞台は、日本のみならず、世界の諸地域に広がる。また扱う諸問題は、家族、宗教、開発、多文化主義、若者、生活保障、医療、性売買など、きわめて多方面にまたがる。このような多様性は、なぜ「希望」が今の時代を象徴する「時の言葉」となったのかを、雄弁に説明する。浮かび上がるのは、希望が日本だけではなく世界の各地で、しかも実に多様な生活の諸側面において問題になりつつあるという現実である。
各巻詳細
第1巻 希望を語る
はしがき 「希望を語る」ということ(玄田有史・宇野重規)
第I部 希望とは何だろうか
第1章 希望と変革――いま、希望を語るとすれば(広渡清吾/東京大学)
第2章 希望研究の系譜――希望はいかに語られてきたか(リチャード・スウェッドバーグ/コーネル大学)
第3章 アジアの幸福と希望――「国民の幸福」戦略と個人の新たな選択(末廣昭/東京大学)
第II部 日本における希望の行方
第4章 データが語る日本の希望――可能性、関係性、物語性(玄田有史/東京大学)
第5章 「希望がない」ということ――戦後日本と「改革」の時代(仁田道夫/東京大学)
第6章 労働信仰の魔法とそれを解く法――希望の意義と危険性(水町勇一郎/東京大学)
第III部 社会科学は希望を語れるか
第7章 経済学からみた希望学――新たな地平を開くために(松村敏弘/東京大学)
第8章 ハンナ・アーレントと「想起」の政治――記憶の中にある希望(岡野八代/立命館大学)
第9章 社会科学において希望を語るとは――社会と個人の新たな結節点(宇野重規/東京大学)
あとがき 社会科学の新たな地平へ(玄田有史・宇野重規)
第2巻 希望の再生
はしがき 日本の近未来としての釜石(玄田有史・中村尚史)
序章 釜石で希望を考える――希望学・釜石調査の概要(中村尚史/東京大学)
第I部 希望の来歴――歴史 第1章 記憶の源流――釜石地域の近代史(中村尚史)
第2章 組織の希望――釜石製鉄所の過去と現在(青木宏之/高知短期大学、梅崎修/法政大学、仁田道夫/東京大学)
第3章 釜石市長としての鈴木東民――地域の福祉政治とローカル・アイデンティティ(宇野重規/東京大学)
第II部 希望の再生――地域振興
第4章 企業誘致と地場企業の自立(中村圭介/東京大学)
第5章 家族自営漁業における希望と自制(加瀬和俊/東京大学)
第6章 地域経済活性化と第三次産業の振興(橘川武郎/一橋大学)
第7章 グリーンツーリズムが育てるもの(大堀研/東京大学)
あとがき(希望学・釜石調査 関係者一同)
第3巻 希望をつなぐ
はしがき 地域の希望を考えるために(中村尚史・玄田有史)
第I部 希望をつなぐ――地域社会
第1章 地域住民のトラブル経験と相談・支援のネットワーク(佐藤岩夫/東京大学)
第2章 地方政治と議会内会派――多様な利益をつなぐ政治主体(上神貴佳/高知大学)
第3章 誰が釜石市を「つくる」のか――地域生活応援システムと住民運動(大堀研/東京大学)
第4章 スポーツによる地域再生の可能性――釜石におけるラグビーへの期待と現実(宮島良明/東京大学)
第II部 希望にむかって――市民の動向
第5章 同窓会調査の概要とその重要性(永井暁子/日本女子大)
第6章 釜石市出身者の地域移動とライフコース――釜石を離れる・釜石に戻る(西野淑美/日本女子大学)
第7章 地域からの転出と「Uターン」の背景――誰がいつ戻るのか(石倉義博/早稲田大学)
第8章 釜石の女性を取り巻く現状と課題(土田とも子/東京大学)
第9章 釜石出身者の「誇り」と「希望」を考える(玄田有史)
総 括 地域の希望を考える――希望学釜石調査座談会の記録(竹村祥子/岩手大学、玄田有史、中村尚史、宇野重規、中村圭介、仁田道夫、土田とも子、西野淑美、青木宏之、永井暁子、梅崎修、石倉義博、石川耕三)
あとがき (希望学・釜石調査 関係者一同)
第4巻 希望のはじまり
はしがき 流動化する世界における希望(宇野重規)
第I部 人類学がみつけた希望
第1章 オバマの希望(宮崎広和/コーネル大学)
第2章 法に希望はあるか?(アナリース・ライルズ/コーネル大学)
第3章 法と夢想と希望――フィジーの公立老人ホームで考える(春日直樹/大阪大学)
第II部 成長の向こうにある希望
第4章 開発学にとっての繁栄、幸福と希望の意味――ブータンと水俣の事例から(草郷孝好/大阪大学)
第5章 ホープ・ウィズ・ウルブズ――植民地主義者は交渉できるか(ガッサン・ハージ/シドニー大学)
第6章 社会性のいま――感情、家族、そして日本の子ども(アン・アリソン/デューク大学)
第III部 福祉社会の新たな希望
第7章 希望が台無し――逆機能する生活保障システム(大沢真理/東京大学)
第8章 足場とブレーキ――希望の条件としてのベーシック・インカム(田村哲樹/名古屋大学)
第IV部 医療と性における希望
第9章 先端医療は「希望」か?(仲正昌樹/金沢大学)
第10章 性をめぐる新たな権利と希望(中里見博/福島大学)
あとがき 希望学――始まりの終わり・終わりの始まり(玄田有史)
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