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鬱の事に関して,もっと知ろう。今は心を病んでいる人達が沢山いる時代。

「無=最高の状態」を読んで分かった事それは、人が悩みを拗らせる理由と原因それは自分に対して無意識に、二の矢を自分に放っているせいである。

2023.02.19 06:27

 どうもこんにちはブログの更新を始めたいと思います。

人生に何らかの生きづらさを感じ安らかに日々を過ごせ無い人が増えつつある今、現代人の苦しみが絶え無いのは一体何故か?

苦しみから解放されるには如何したら良いのか?

そもそも苦しみとは何か?あらゆる苦しみに共通点を見つけた時、あなたは初めて対策を立てる事が出来、精神機能を最高の状態に導く事が出来る。

それは無である。

今回はサイエンスライターの鈴木 祐さんの最新刊 無=最高の状態を解説していきたいとおもいます。


私自身鈴木 祐さんの書籍は割と好きでして今回も、やはり非常に勉強になる一冊だと思いましたのでこの記事を見てこの本いいなぁと思って頂きましたら、ぜひ一度手に取って読んで見て欲しいです。それでは早速行きましょう、本日の要点は次の通りです。

1、人はなぜ苦しみを拗らせるのか?と言う事に付いて

2、自己とは何か?

3、世界は虚構である?

と言う事を解説して行きたいと思います。

それではさっそく

1、人はなぜ 苦しみを拗らせるのか?

から解説をスタートして行きたいと思います。

人類は皆生まれつきネガティブである。

この考え方は科学的な研究でも裏付けられ始めています 。

自分はそんな事無いよ、とか自分はポジティブな人間だと思う人もいるかもしれません 。

しかしそのポジティブはこの世に生を受けてから後天的に築かれて言ったものであり、

性格の部分を指している物では無く生まれながらに人はネガティブに備わっている、

遺伝的な物つまり人間の初期設定と言えば分かりやすいでしょうか?

人間はポジティブな情報よりもネガティブな情報の影響を受けやすくマイナスな事程、記憶に残ると言う心理をもっております。

何年何十年と昔の事を思い出すと幸福な思い出よりも辛い経験の方が鮮明に記憶に残っていたりしないでしょうか?

これは心理学用語で「ネガティビティバイアス」と呼ばれます。

メディアが悲観的なニュースばかり流すのも不安を煽る様なフェイクニュース程拡散されやすいのもこの「ネガティビティバイアス」が原因でございます。

さらに残念な事に私達人類にはネガティブな事程強く印象に残る一方、ポジティブな情報程長持ちし無いと言う心理も備わっています。

例えば好きな相手と結ばれた時の幸福感・楽しくやる気に満ちあふれている時間・新しい何かを手に入れた時の喜び・成功を掴んだ時の爽快感・達成感と言ったプラスの感情は何もその時限りの物で持続しないのです。

この現象を心理学では「快楽の踏み車」と呼びます。

「快楽の踏み車」の存在を実証したとして特に有名なのは宝くじの高額当選者の心理状態を調べた 1978年の研究です。

宝くじで数千万円から数億円の賞金を手にした人々はその後バラ色の様な人生を生きているでしょうか?

結果は大半の被験者は当選の直後にしか幸福度が上がらず半年後には、

ほぼ全員が元の精神状態に戻って入たと言う物でした。

どうやら人生が変わる程の途轍も無くラッキーな体験をしたとしても私達の幸福は高止まりし無い様です。

また別の研究においても・新しい住居に引っ越した・昇級した・好きな相手と恋仲になった・と言った幸福彼は数カ月で薄らいで行き、およそ3年たてば元の精神状態に戻ってしまうと言う事も分かっているんです。そんな風に幸せは、いとも簡単にすぐ消え去ってしまうのに対して、苦しみは時を経ても鮮明に残り続けております。

なぜ人間の脳はネガティブな記憶程忘れ無いと言う設定になっているのでしょうか?

それは人類の生存に有利だったからであると言われています。

遥か太古の昔を想像してみましょう。

太古の昔私達人間の祖先は、獰猛な野獣に穂食されたり・飢餓・伝染病・暴力・等が日常茶飯事の事であり、今では考えられ無い人間の命を脅かす、脅威に晒された環境を生き延び子孫を残す必要がありました。

あらゆる生命の危機を回避する為には臆病である事、つまりネガティブな情報を敏感に察しその記憶を長く保つ事が最適解だったのです。

しかし原始時代の世界では役に立った警戒システムが、

安全がまして仕舞った、現代には適用し無くなって仕舞いました。

その結果、現代人は心の機能不全(脳がバグを起こしている)を起こしています。

例えば真実は1000人以上には広まら無いのに恐怖を煽る様な偽の情報は10万人を超えて拡散されると言う研究結果があります。

 脳が難を逃れる為に遺伝的に備わった機能を働かせた結果現代では良く無い事態を招いてしまっている、また先進国である程、裕福である程、若い世代程、鬱や不安・孤独感・完璧主義・等に悩んでいると言うデータがあります。

時代が新しくなる程、原始の時代に培ってきた警報システムは不安やネガティブな心に過敏に反応する現象に私達は苦しんでいる訳何です。

ポジティブでいる為にストレスを逃がす方法や幸福度が高まる習慣等を学び、

それを実践している人も多いかと思います。

しかしどの様な手段で立ち向かっても人間はネガティブ思考がデフォルト設定であると言う事実を動かす事が出来ません。

実践した対策により一定の効果を得られたとしても幸福感がすぐベースラインに戻ってしまいます。

 ここでチンパンジーの例をの話を少しお話しましょうか。

京都大学の霊長類研究所で暮らすレオとなずけられたチンパンジーは脊髄炎を患って仕舞ました。

その結果首から下が動かせずほぼ寝たきりの状態に陥ってしまったんです。

もし、人間が同じ状況を経験したらその先の人生に絶望して鬱病になってしまってもおかしく無いでしょう。

しかしレオはそうではありませんでした。

体の痛みと空腹の辛さ以外の苦しみを現す事は無かったと言う事が分かっています。

人間の様にこの先の未来に絶望して苦しむと言う様子は無かったんです。

レオはリハビリをこなして1年で座れる様になり何と3年後には歩ける様に為ったそうです。

近年ネガティブな出来事に対して人と動物は脳の同じエリアが活性化すると言う事が分かってきました。

先程のチンパンジーのレオも痛みや空腹に対しては、苦の感情を見せました。

また他の様々な哺乳類にも苦の感情が有ると見なせる様子や行動が報告されているそうです。

しかしそれらの動物と人間には一つだけ大きく異なる点があります。

それは哺乳類動物は苦しみを引きずらず、拗らせる事は無いと言う事です。

野生の動物達は苦境に対してネガティブな感情を表しても少し経つとすぐに元の状態に戻って仕舞うそれに対し人間は辛い経験を体験しそれを、その辛い体験を引きずり何年も苦しみ続けたり将来の不安や仕事のストレスで眠れない日が続くと言う様な事が起こるのに対し、

動物達は慢性的な不安や鬱・精神疾患が見つかった例が無いのです。

なんで人だけが苦しみを引きずり拗らせせて仕舞うのでしょうか?

怒り・不安・悲しみ・虚しさ・等苦しみには幾つ物種類がありますが私達がそう言った、ネガティブな感情に襲われる時はそれを引き起こす原因があります。

その原因に共通しているのはどれもあなたのニーズが満たされ無い状態だと言う事です。

私達の苦しみは不足を自分自身に知らせるメッセンジャーとして機能しているんです。

例えば幾つか例を挙げると、

怒りは自分に取って重要な境界が敗れた事を知らせる物。

恐怖はすぐそばに危険が存在する可能性を知らせる物。

不安は良くない物が近づいている事を知らせる物。

といった具合でございます。

この機能は人類が進化する過程で形成され生活形態がソロから集団へと変化すると共に感情の種類が増えて行きました。

こうして見るとこれらのネガティブな感情は決して悪い物でも敵でも無くむしろ身に迫る危険を察知して私達を守ろうとしている事に気づきます。

それでも人類は、その苦しみを引きずり拗らせ長い間そこから抜け出せなくなって仕舞うのです。

なぜそれが人間だけに起きて仕舞うのか?

その理由は仏教開祖であるゴーダマ・ブッダ(仏陀)の次の言葉を借りると理解しやすいです。

一般の人も仏弟子も同じ人間なので 仏弟子も喜び・憂い・怒り・悲しみ・虚しさと言った感情を持つ事がある。

しかし両者の違いは二の矢が自分に刺さるか否かだ。

どんな生物でも予測が出来ずに降りかかる最初の苦しみだけは受け入れるしかありません。

この最初の苦しみこそが一の矢でございます。

人間が悩みを拗らせる理由とその原因は予測不能な最初の一の矢を受けた後で立て続けに自分自身に放って突き刺して仕舞うのが二の矢でありこれが更に人間を苦しませる原因である。

動物達はこの一の矢を受け少しの間はネガティブな感情を示しますがすぐに元の状態に戻ります。

 この一の矢を受けた後に更に、二の矢を自分自身に放って仕舞うのが悩みを引きずり拗らせ更に複雑にしているのが人間何です。

先程を登場したチンパンジーのレオのケースに当て嵌めて見ると一の矢は半身不随による苦痛その物でございます。

体が満足に動かせない最初の苦しみである一の矢だけは受け入れざるを得ません。

しかし、もしこれが仮に人間だった場合、身体が動か無い辛さに加えて、こんな風に思ったりするんです。「なんで自分がこんな目に遭わなくては行け無いんだ、こんなまともに動かせ無い身体では家族や周りの人に自分の介護をさせて仕舞う、これからの生活を如何すれば良いのか。」

これが二の矢でございます。

半身不随と言う最初の一の矢に付随して生じた、新たな怒り・不安・悲しみ・締めに次々と襲われ苦しみは強まって行くばかりです。そして二の矢だけで済めばまだ良い方で、その後さらに自分を責め次々に三の矢・四の矢と続け様に自分に対して放って突き刺して仕舞い更に悩みを複雑化させ自分を責め出す人が多いのです。

「そもそもの不摂生な生活をしていたな、偏食だったし、仕事も遅いから結局残業ばかりでしっかり休めなかった。自分の能力の無さのせいだよな」

この様に最初の悩みががまた別の悩みを呼び込み同じ様な悩みが脳内で反復される状態を、

心理学では反芻思考と呼びます。

反芻思考は忘れていた、筈の過去の失敗や未来の不安を何度も掘り起こすので頭の中はいつもネガティブな事が渦巻き精神へのダメージが大きいとされています。

鬱病や不安障害に大きく関係するだけでは無く、なんと心臓病や脳卒中のリスクまで高くなり早期の死亡率も高まる傾向も報告されております。反芻思考を招かない為には、二の矢を自分に向けて放たない事が何よりも重要な事です。

現代のアンガーマネジメント(怒りのコントロール)

近年の研究では一の矢の脅威は長続きし無い事が分かってきました 。

例えばあなたが誰かから暴言を受けて怒りを感じたとしましょう。

その瞬間あなたを戦闘モードに切り替える為に脳内では大脳辺縁系からアドレナリンやノルアドレナリンという神経伝達物質が放出されます。

あなたは相手に暴言を返す等、怒りのアクションを起こしたくなるはずです。

しかしここで少し待ってみましょう。

数秒たつと人間の理性を司る前頭葉が大脳辺縁系を抑えにかかり10分から15分後にはアドレナリンやノルアドレナリンの影響力は殆ど消えてあなたの怒りは収まっているんです。

前頭葉が起動するまでには4秒から6秒かかりますからつまり暴言を受けてから6秒だけ我慢すれば、一の矢の痛みを終わらせる事が出来るんです。

こうして苦しみがすぐに収まれば私達はネガティブな事に対して無駄にエネルギーを消費せずにすむでしょう。

これと似た方法で人間のモチベーションを駆使するドーパミンと言う神経伝達物質の影響力を抑える事も分かってきています。

ドーパミンは例えば人が何か欲しい物を目の前にした時にドーパミンが分泌されます。

つまり目の前の誘惑に耐えたい時に効果ありです。

ダイエット中に目の前で売られているケーキが食べたくて困っている。

そんな時に携帯のゲーム例えばテトリスをやって見て下さい。

目的は少しの間脳の注意を反らす事。

ドーパミンの持続時間は10分前後その時間さえ凌げば目の前の誘惑に然程魅力を感じ無くなる為、 一の矢だけで苦しみを終える事が出来るでしょう。

実際に3分のテトリスをやった事により脳の注意を反らす事でその直前まで食べたいと考えていた物への渇望が薄れたと言う実験結果が報告されております。

人が動物と違って怒りや苦しみや悲しみをずっと引きずって拗らせて仕舞うのは神経伝達物質が作用しているたった数分の間に、自ら二の矢・三の矢と嫌と言う程、自分に打ち込んで負の感情を増幅させるからと考えられます。

もし誰かの心無い言葉に傷ついたとしても急に未来の不安に襲われたとしてもその感情は少しの間だけ放っておけば神経伝達物質が低下し消えていくはず何です。

人以外の動物は過去や未来を深く考えずほぼ目の前の世界だけを生きているからこそ不安や悩みを抱え込む事が無く平常心を保つ事が出来るのでは無いでしょうか。

といって人間が過去や未来の事を考えて悩むな!

今を生きるんだ!

と言われた処で、ではそうすれば良いと頭では分かっていても中々実践する事が出来ません。

人が過去の否定的な出来事をはっきりと覚えていたり将来に対しての不安や悩みを持って仕舞うのは 生き残る為に進化のプロセスで遺伝子に組み込まれたデフォルト(初期設定)だからです。

それでも、先程学んだ方法を実践すると状況に拠ってはあなたはあなたに降りかかる苦しみを、

一の矢を受けるだけで最小限に抑える事が可能になるでしょう。

今後予期せぬネガティブな出来事が起こった時、

腹が立つのでやり返したいとか、

叶わぬと分かっているのに欲望が抑えられ無いとか、

だから自分はダメなんだ、

ダメな自分には罰を与えなきゃとか、

そんな思いが過っても神経伝達物質の作用が収まる迄少し待って見る取り合えず少し待ってみる、関係無い別の事に意識を向けてみる。

そうやって自分をコントロールする事は可能なはずです。

是非、食欲が我慢出来無い時等本当に3分位携帯のゲームでもして見て下さい。

怒りの感情が湧いてきても取り合えず10分黙って静かにして置いて下さい。

そうするとネガティブな感情が通り過ぎると言う事を実感出来るかと思います。

ではこの辺で

1、人はなぜ苦しみを拗らせるのか?の内容をこの辺でまとめておきたいと思います。

1、 人間が抱く怒り・不安・悲しみと言ったネガティブな感情は人間が生き残る為に進化のプロセスで遺伝子に組み込まれた初期設定であり自分が求める何かが不足している事を自分に取って何か重要な物が欠けた可能性を知らせる機能である。

2,人間が動物と違って苦しみを引きずって拗らせるのは目の前の世界だけを生きる事が出来ず反芻思考により過去の失敗や未来の不安を何度も思い出して仕舞うからである、最初の一の矢の苦しみを感じている時にそれに付随する様に新たな苦しみに次々と襲われ自ら二の矢・三の矢を自分に放ち、負の感情を増幅させるからである。

3、苦しみを増幅させずに、終わらせる具体的な方法は苦しみを感じている時に分泌される神経伝達物質の効果が薄まり始める迄の約6秒間は、何もアクションを起こさずに待って見る、又は少しの間、脳の注意を別の事に反らす、約10分から15分もすると神経伝達物質の影響力は殆ど消えて負の感情が収まって行く。

 それでは次に

2、自己とは何か?

に付いて皆さんと一緒に考えて行きたいと思います。

さて人類は過去のネガティブな経験を鮮明に記憶し未来に起こりうる脅威を予測出来る能力のお陰で生き残り他の生物を圧倒する進化を遂げました。

しかし原始時代には役に立って入た物が、今ではそれが現代社会では恐怖・不安と言った苦悩の火種に油を注ぎ精神疾患や寿命短縮の元凶に迄になってしまいました。

この問題を突き詰めると現代人の苦しみは自己の存在により膨らむ事が分かるでしょう。

まずここからのお話で使う

自己の定義をしておきましょうか?

自己とはどんな場所でもどんな時間軸でも私は一貫した存在であるとの感覚を貴方にもたらす物です。

幼い頃と今ではどれだけ見た目や性格が変わろうが何処に住もうがあなたは常にあなたであり同じ人物なのだ。

他の人とは違うのだと誰もが認識していると思います。

実は、この私は私であると言う感覚は人類の苦しみのペースとなります。

例えばあなたが上司にあられも無い疑いをかけられて怒られたとしましょうか?

すると理性が働くよりも先に脳の警報システムが作動し大脳辺縁系が刺激を受けてネガティブな感情が湧き起こります。

その感情は本来は少し放っておけば消えて行く物のはずなのに自己を中心としたネガティブな思考により苦しみが増大していきます。

私が怒られるのは理不尽であるとか、私は悪く無いとかこれだけでは終わらず、

私を中心としたネガティブなイメージが過去と未来にまで向かい出すと又しても二の矢・三の矢を自分に放って苦しみを更に拗らせる事になります。

「私は1ヶ月前も似た様な事で怒られてしまったなぁ」とか「私の未来は行った一体如何なって仕舞うのだろうか。」

自己注目とは?

この様に苦しみが増幅する場面には必ず自己が感情と時間の基準点として関わっているんです。

ですから自己に拘る人程、辛い出来事を経験すると起こった事以上の苦しみを感じその感情を長く引きずっているはずです。

この自己に拘る状態は専門的には自己注目と呼ばれ実際に自己注目が強い人程、メンタルを壊しやすいと言う事が研究により報告されております。

私はダメな人間だと言う様な自己否定が良く無いのは、勿論の事、私はどんな人間なのだろうとか!本当の自分らしく生きているのだろうか?

と理想の自己を想う時間が長い人も不安や抑鬱の症状を起こしやすいのだそうです。

時には、私はよくやった私は偉かったと思う事もあるかと思います。

しかし人は生まれながらにしてネガティブだと言うデフォルト(初期設定)であるが故に自己に纏わる思考はマイナスな方向に向かいやすいんです。

例えば「同年代よりも私は年収が低いなぁ」とか「1年前に私が起こした失敗さえ無ければ」とこんな風に自分自身に又しても、二の矢を放ち始める回数の方が多いんです。

この様に思う人も少なからず入らっしゃるでしょう。

苦しみを増やす原因に自己が関わっているのならば自己等無い方が良いのでは無いか?

と自己が無くなれば苦しみの矢を受ける主体も未来も過去も消え現在だけが残るその方が幸せなのでは無いか?

とこの様に思う人いるかもしれません。

しかし私が私を消すと言うならばその私を消した私とは何だったのでしょうか?

自己を消す言う発想にそもそもに矛盾がある様な気がします。

果たして自己を消す事等可能なのでしょうか ?

少し話がややこしくなって仕舞いましたが、先に結論を言って仕舞いましょう。

あなたは既に自己が無いと言う状態を何度も経験しております。 

如何言う事か?

を説明する前に近年の認知科学や脳科学の発達により

出来上がった自己に付いての考え方を詳しくお話ししておく必要があるでしょう。

それは自己とはあなたの内面に常駐する絶対的な感覚では無くあなたの感情を支配する上位の存在でもなく

特定の機能の集合体に過ぎないんだと言う結論でございます。

特定の機能の集合体とはアーミーナイフ・万能ナイフに例えると分かりやすい例えでありアーミーナイフ・万能ナイフがナイフの他にも栓抜き・ハサミ・+-ドライバー・鑢と言った多様な機能が一つに纏まっている様に自己とは様々なツールを纏めたパッケージだと言う結論です。

 1,苦しみの感情が沸き起こるのは不足を感じているサインである

と言うお話をした様に私達の感情は人類の進化の過程で生まれ生存に必要なメッセージをあなたに贈る機能を受け持ってきました。

それと同じ様に私は私と言う感覚も又、自己もまた生活する環境に応じて進化し役割を増やしてきたはずです。

人間の自己を保つ働きは、神経心理学で次の様に分類されております。

1、人生の記憶(「5年前の旅行は楽しかった」「あの出会いが今の仕事に繋がった」と言った過去のイベントをエピソードとして想起する機能)

2、性格の要約 (「私は人当たりが良い」とか「私は内向的な人間だ」等、自分のパーソナリティの大まかな概要を掴む機能)

3,感情の把握(「私は悲しい」や「私は怒っている」等、外界の変化に対して肉体が発するサインを感情として把握する機能)

4、事実の知識(「私は45歳だ」や「私は日本人だ」等自分に関する単純なファクトを理解する機能

5、連続性の経験(今の「わたし」は、過去の「わたし」と繋がった同じ人物だと言う感覚を齎す機能)

6、実行と所有感(自分がこの肉体の持ち主であり、その行動と思考は私の意思で決まると感じさせる機能)

7、内面の精査(自分の行動や思考、感情をモニタリングしそこから得た情報をさらに新しい、行動と思考に繋げる機能)

ちょっと難しいですが、人間のこの部分が保つ働きはこの7つに神経心理学で分類されていると言う訳何です。

これらの機能は全て自己により成り立ちその場の状況に応じて問題解決に役立つと脳により選ばれた物が自動的に起動します。

選ばれた機能は脳内の異なる神経ネットワークによって調整されほぼ独立したシステムとして活動を始めます。

例として次の様な場合それぞれの状況に適切な異なる神経ネットワーク中に自己が発生し活動を始めます。

具体例1、「どの仕事から手を付けるべきかと考える時」この場合は前頭葉や海馬に自己が発生します。

具体例2、「悲しくてやりきれ無いなぁと思った時」この場合は扁桃体や視床下部に自己が発生します。

具体例3、「鏡を見てこれは自分だと感じた時」この時は皮質下の脳幹構造に自己が発生します。

これは先程のアーミーナイフ・万能ナイフで言うとナイフが使われたりハサミが使われたり鑢が使われたりと場面事に適切なツールが選ばれるのと似ています。

しかし自己に特別な神経基盤がある分けではなく脳からすると自己とい言う物は人類の生存ツールの一つであり手・足・目・鼻・耳・口等の機関と変わら無い様です。

著者は自己の事を外界の脅威に応じて機能を発動する生存の為のツールボックスの様な物とかサバイバルに必要な道具の寄せ集めと表現されております。

あらゆる場面に適応すべく異なる機能が出現するのはた目には、あたかも統一された、唯一の私がいるかの様に思い込んでいるんですが一つの統一された私等は存在しないんです。

自己は架空の存在でありあくまでも生存用のツールの一つです。

ですから必要がない時には起動されません。

自らの生存を脅かす事の無い安全な状態でも自己を発生させ自分を守る様な事をしなくても良いんです、と言う事実により導き出されるのは自己が消えるのは珍しい事では無いと言う事です。

あなたは実は自己が存在してい無い時間を日々経験しています。

思い出して見て下さい、

私達は何かに対して没頭しのめり込んでいる時、

例えば集中してゲームをしている時や、

小説を読んでいる時、

気の知れた仲間と毎晩盛り上がっている時等、

目の前にある世界に溶け込んでいる様な感覚だけが

あり自己の感覚はなくなっていたはずです。

また

お風呂で寛いでいる時、

大自然の中でのんびり過ごしている時、

寝る前に心落ち着く音楽を聴いている時

と言ったリラックスしている状態の時も自己の感覚は薄れているでしょう。

こう言った状況は平和であり苦しみの感情を引き起こす事も無くなり自己を起動させて過去や未来に思いをはせる必要もなくただ目の前の世界で起きる情報を処理するだけで済むんです。

だから自己がここでは出てこないんです。そして私達はこれらの場面においては自己がなくても全く問題なく過ごせております。

自己が消えていてもあなたは作動するんです。

貴方が起床して顔を洗ってコップ一杯の水で乾いた喉を潤し御支度を始めると言った。

毎朝のルーティーンを行っている時でも適切な近くと動作が無意識の内に生じています。

実際私達は自己に頼らなくても多くの処理を熟せているんです。

毎日のどこかでいつのまにか自己は無くなっているし、

自己が関わら無い方が上手く行くと言う状況も人は多く経験しています。

となると自分でコントロールをして自己を消す事、つまり自分が無我の境地に達する事も可能なのではと思う人もいるのでは無いでしょうか。

感情をコントロールする為に効果が実証されている様々なトレーニングがあり、より自己も同じ様に鍛錬を積む事で操作をする事が可能だとしたら如何でしょうか?

興味が湧いてきませんか?

それではこの辺で

2、自己とは何か?の内容をまとめておきたいと思います

1、自己とはと 特定の機能の集合体に過ぎ無い、あらゆる場面に適応すべく異なる機能が出現するので私達はあたかも統一された唯一の私がいる様に思い込んでいるのだ。

2、自己は人間が持つ多くの生存ツールの一つであり脳からすると感情や思考また手・足・目・耳・鼻・口・等の機関と言った他の機能と同じ位置付けである

3、自己は日常的に生成と消滅を繰り返している、私が無くても問題なく過ごせる状況が多く存在する。

それでは

3、世界は虚構であると言う事

を解説して行きたいと思います。

さてトレーニングを積むことで自己を操作できるのか?

これが

2、自己とは何か?

の終わりで私達に与えられた問いでございます。

早速結論から言ってしまいますが可能でございます。

本書を序章から終章まで順に読める事で無我に至る精神修養の貴方そして過去の賢人の体験談やここ数年の研究結果を元に無我によって私達はどの様な人間になるかを学ぶ事が出来ます。

3、世界は虚構であると言う事

ではその一部である無我を達成する為のスキルを掻い摘んで説明して行きたいと思います。

ここ最近の神経科学の分野で私達の脳は物語を産み出す為に生まれた器官なのだと言う考え方が浸透しつつあります。私達は脳が次のプロセスを経る事により現実を体験しているんです。

1,周囲の状況が如何展開するかに付いて事前に脳が物語を作る。

2、感覚器官が受け取った映像や音声の情報を脳の物語と比べる。

3、物語が間違っていた所のみを修正して現実を作る。 

さて細かい説明とか具体例を割愛させて頂きますが神経科学や心理学の専門家達は

私達が知覚する現実の大半は脳が生んだ物語で構成された世界のシュミレーションと見なして生きているんです。

例えば、仕事に向かう為家を出る時にあなたの脳がいつも通り家のドアを開けて外に出て駅に向かうと遅刻に予測をします。

そして実際に家のドアを開けて駅に向かったとします。

その時に起こっている事の情報は1秒と掛からず脳に届き事前の物語の情報と比較されます。

今の例の場合は情報が一致していましたよね!

すると面白い事に比較した情報が同じケースでは実際に見聞きをして脳に送られた情報は採用されずあなたは脳が作ったシュミレーションの方を現実として体験する事になるんです。

もしドアを開け様としてドアノブが壊れて回らなかったとしたらそれは事前に脳が作った物語とは状況が違う為に脳が予測していなかった部分だけが修正されます。

そして脳はそこから遅刻するかもしれないと言う様に新しい物語を作り出していくんです。

私達は現実をありのままに体験している脳では無く、

脳が作り出したシュミレーションの世界を生き続けているんです。

あなたの脳が見た物を処理し物語を産み出す迄の時間は1秒も無い為、

私達が意図的に物語の発生を止め様としてもそれは不可能です。

そもそも私達は脳が生み出した架空の物語の存在にも気づいておらず、

経験した事全てを現実その物なのだと思い混んでいるんです。

私達が自己を捜査するに当たってまず問題となるのがこの2つでございます。 

1、人間は物語の自動発生をピンポイントで止める事が出来ない。

2、人間は物語によって行動させられる自分を認識できない。

無我の境地に導く為の作業としてこの2つを解決する必要があります。

物語その物が浮かば無い様に脳を使い物語と自分を完全に切り離し本格的に自分を解体するんです。

しかしコンマ0秒の世界で仕事を進めて仕舞う脳に対して私達に何が出来るのでしょうか?

はなからお手上げの様に見えて仕舞う問題ですがラッキーな事に現代では神経科学及び心理療法の研究が進み臨床テストでも良い効果が認められた方法と対策があるんです。

その方法と対策とは

停止と観察の2つでございます。

まず停止とは脳を何か他の事に働かせて物語の製造機能その物を止めて仕舞う方法です。

最も手軽に停止スキルを養えるトレーニング法として止相と言う物が紹介されております。止相とは脳内のイメージや呼吸等の特定の対象に意識を向けるタイプの瞑想で具体的なやり方は書籍等を参考にして頂けたらと思います。

そして観察はあなたの脳内に浮かぶ全てのネガティブな物語を科学者になった様な気持ちでじっくりと見つめる作業です。

この観察トレーニングによって脳が作り出す物事をこれは役立つ物では無いと認識出来る様になっていきます。

意思の力で物語の強度限界も上げ、観察の力で物語を現実から切り離すと言う事です。

ここからはこの観察と言う対策を積む事であなたがどの様な変化を経験するかを紹介したいと思います。最初に観察の感覚その物を知る為の簡単なワークがあるので参考までに書籍のご購入のご検討を下さい。次の様な5つの単語を声に出さずに読んでみます。

3秒ほど待ちますので下記に表示された次の5つの単語を声に出さずに読んで見てください。


さて実際にワークを行う時は単語はなんでもOKです。

このワークの狙いはこういったごく平凡な単語を選んでいる間にあなたの対面が如何反応したか心に何か変化が起きたかに気付く事でございます。

あなたはこれらの単語に対してイチゴや何らかの種類の犬を創造したかも知れませんし登山をしたときに見た景色が心をよぎったかもしれません。

むしろ何の変化も起きなかったかもしれません。

単語に対して何らかのイメージが奪いたり思考が浮かぶかどうかを観察するんです。

改めてご自身でされる時は5つの単語を何度か読み返しもっとしっかりと眺めて頂きたいと思います。さて駆け足ですが次に進んでいきましょうか 。

1、苦しみを拗らせる二の矢の話をしましたが、

二の矢は自己をベースに生まれると言う事をお伝えしてきました。

一般に、二の矢を自分に向かって放つ事が多い人の脳が世界の小さな変化を全て自分事として捉えがちでございます。

ですから先ほど単語を読み上げた時に心の中で起こった変化を眺めた様に外界の変化を悪戯に自分事にせずただ脳内で起きた現象の一つとして観察をするんです。

体の不調や内面の不安と言った身体の不調を放置しそのまま見つめ続ける態度を求められると脳は自然と心身の変化を自己の問題としては捉えなくになるんです。

この様に観察を続けた人の脳は脅威に反応しづらくになる為自分に向けて二の矢を放つ回数が減る事に繋がります。

脳が作り出す物語に影響する、やりにくくなった、と言う事はつまり脳が作り出す物語をこれは現実では無いと認識出来る様になったんです。

停止と観察のトレーニングの経験を積み重ねて行くと自己の思考感情の一切はどこからともなく現れ 放置すればやがて消えて行くと言う感覚を体感しそしてネガティブな感情や思考は生体の維持機能の1つでありいずれも世の移り変わりの一部に過ぎ無いと言う事実を心から実感出来る様になります。

その時多くの人が自分を苦しめていたシガラミから解放された様に感じるでしょう。

しかしトレーニングはこれで終わりではありません。

その後も精神機能を観察し続けると次のステージへと行きあなたの自己を構成してきた人生のあらゆる要素がまるで最初から自分とは無関係だったかの様な感覚が現れるのです。

それは、これまでの人生であなたを形成してきた経験や概念がフィクションだと言う事つまり本当の現実では無いと気付いてしまったからすべてが虚構であるのならばもはや自己を規定する必要も無くなりすべてが少しずつ強度を失い始めます。

この状態まで行った時あなたは無我の境地に達したと言えるでしょう。

ただ誤解しないで頂きたいのはどれだけ無我のトレーニングを積んでも生存する為のツールとして備わっている自己の軌道を防ぐ事は出来ないと言う事です。

無我の境地に至った後もあなたの中には相変わらず自己が現れ続けます。

しかし一度この観察スキルを身に付けて仕舞うと自己に振り回され無くなるんです。

自己が静まったあなたは脳内に現れる思考と感情から一旦距離をおける為予断と思い込みには簡単に影響されませんし誰かの裏切りに失望したり失敗の挫折感に打ちのめされる事も新たな苦しみの矢を自分に対して放つ事もありません。

あなたはすべてと無関係にただ一つの場として存在を続けるんです。

こうして過去の記憶と今現在そして後の未来への期待等あらゆる物語から切り離されたあなたは一体どんな人間になるのでしょうか?

無我の境地に至った人間は何者になれるのか。

いかなる心情を抱き、どの様に行動するのか。

そもそも幸せになれるのかと言う疑問にお答えしたいと思います。

これに付いては多くの読者による体験談があり次の点が共通しているそうです。

1、自分と世界を隔てる境界が消え 精神が拡大した感覚と強い幸福感を抱く

2、西洋にも似た様な証言が多く自己が消えた後で独特の一体感や安心感が生まれ人生の悩みが消えて強い幸福感を得たと言う報告がお決まりのパターンだそうです。

さて貴方は無我の境地へ歩みを進めて見たいと思うでしょうか?

それでは

3、世界は虚構であると言う事の内容をこの辺でまとめておきたいと思います。

1、私達は現実をありのままに体験しているのでは無く脳が作り出したシュミレーションの世界を生き続けている。

2、停止と観察のトレーニングの経験を積み重ねると自己の思考感情の一切は何処からともなく現れ放置すればやがて消えていく、そしてネガティブな感情や思考は生体の維持機能の1つでありいずれも世の移り変わりと一部にすぎないそして自己を作り上げた全ての要素が虚構であると言った事に気づく様になる。

3、トレーニングにより無我を達成した後も自己の軌道を防ぐ事は出来ないが過去の様には自己に振り回されなくなり様々な苦しみや悩みから解放される。

さて皆様いかがでしたでょうか。

中々に難解な内容だったとは思いますが出来る限り分かりやすく解説させていただきました。

この記事で無我のトレーニング停止と観察の内、まず、後者の観察を中心に取り上げましたが無我のトレーニングを始めたばかりの頃は手始めに停止のスキルから高めて頂きたいと言う著者の助言があります。

また序章から終章まで読み飛ばす事無く順番に読み進める事でしっかりと理解が繋がって行きます。理解をより深めたい人は実際に書籍をご購入の検討を頂けたら幸いです。

トレーニングを行って見たい人は特に本書を熟読される事をお勧めしておきましょう 。

私も悩みを引きずって仕舞うタイプであり無意識の内に二の矢・三の矢・四の矢と、ひたすら自分自身に放っていたかもしれません。

過ぎた事はもう過去の事と割り切る事も必要だなと私はこの書籍を読んでそう思いました。

今度は二度と自分自身に対して二の矢を放たない様に気を付けたいと思っております。

ここ迄私の記事を読んでくれた皆様に感謝します。

本間義昌でした。