バウ・サピエンス「意識の家」で展開される 「世界議会」と呼ばれるアイデンティティ・ゲマインデとは?
バウ・サピエンス「意識の家」で展開される
「世界議会」と呼ばれるアイデンティティ・ゲマインデとは?
現在、地球上で展開されているのは、「グローバリズム」と「ナショナリズム」の衝突である。
アイデンティティとは「意識」と「概念」が合流する点、あるいは区別されない点のこと。
環境・人権・貧困・テロ・難民・高齢者問題などのビッグイシューは一国では解決できないグローバルな問題であり、国内だけでの議論では限界があります。
しかし、グローバリズムにおける「世界政府」というキーワードは、未だ「概念」すら存在せず、残念ながら未来社会においても極めて不確実なものであると言えます。一方でその実現可能性において、もっとも注目を浴びているのが、今後世界中に群発的に発生すると予想される「アイデンティティ・ゲマインデ」と呼ばれる「世界議会」の存在でなのです。
IdentitätGemeinde
「アイデンティティ」は いつでも厄介なもので、「アイデンティティ」が基盤となっているのが 例外なく「虚構=イマージュ」であり、その「虚構=イマージュ」は早かれ遅かれ 現実と衝突するものだからです。ほぼあらゆる「アイデンティティ」が 数十人からなる基本的な「共同体=コミュニティ」の枠を超えて「虚構=イマージュ」に基づいて作られています。それは真実でも現実でもありません。人々が創造し伝え合って信じ始めたに過ぎません。だから「アイデンティティ」というものはどれも非常に不安定なのです。生物学的な真実ではないから、時に国家主義者は国家も生物学的な実体だと言います。 国家は血と土の組み合わせにより成立する生物学的実体とも言えるがこれもやはり「虚構=イマージュ」に過ぎません。
重要なのは、我々が見ている世界が、ありのままの現実の世界であるかどうかではなく、見ている世界が同じかどうかなのです。同じ世界を見ていればコミュニケーションが可能となり、人とコミュニケーションがとれるということは、人間と同じ世界を見ていると言え、少なくとも同じ世界観を共有しているということになります。
世界のグラウンドは大きく二つに分かれています。ひとつは「白線」のグラウンドであり、そして、もうひとつは「瓦礫」のグラウンドです。それは国家という単位ではなく、境界なき「リージョン」と呼ばれるオルタナティブな領域であり、一つの国家や都市においても「リージョン」のダブルイマージュが存在します。
各身体パーツは、頭‐胴‐脚というように本来は連続しており分かれては存在していません。つまり各々の「パーツ」の存在とは、 ことばに対応した「概念」レベルでの区切りに他ならないのです。そのため「全体像」が解体され、本来あらぬ位置に部位が配置されるとき、「概念」レベルでしかありえないはずのパーツがそれとして現われてくる。馴れ親しんだものであるからこそ、それは不気味なものとして現われるのである。ひとつきりの表象では複雑に変化していく「現実」を描きとめるのは難しい。この「二重写し」の現実を「ダブル・イマージュ」と呼ぶ。数々の対象は何かを投影されることによって多層化し目に見える現実となるのである。
多様なアイデンティティの問題点は 国家主義においても問題になっている。極端な国家主義は単一、画一的なアイデンティティを信じ排他的な忠誠心を信奉している。そのために国家主義は多くの問題を抱えてきた。 単にグローバリズムやナショナリズムという問題とは言えないのである。
各個人に ただ1つの アイデンティティしかないのならば 「私はXでしかない それだけだ 複数のものにはなれないのだ」 これが問題の発端となり、必ずしもそのような排他的な条件で 考えるべきではないのだ。
宗教や国家が 時に排他的な忠誠心を求めるが他にも選択肢があり、多くの宗教や国々では 同時に多様なアイデンティティを 持つことが許されている。
生物学では 同時に ホモ・サピエンスについて 社会的な動物であるが とても限られた範囲で 社会的なのだと言います 人が親交を深められる範囲は 150名程度が限度であるということは人類に関する単なる事実です 自然にできる集団— ホモ・サピエンスの自然な共同体は 150人を超えることはありません それ以上の規模になると それこそ様々な想像や大規模な社会制度が 基になっているのです 人類という種の生物学的な理解に基づき この2つの理解を統合して グローバルな社会と 地域社会の両方が 21世紀の今の時代には必要だという 理解を深める方法があると思います
世界で起こっている排外的な潮流は、自由主義的なエリートのような人たちが多くの異なるアイデンティティを貪欲に求める様子に「でも俺のアイデンティティはどうなんだ 俺は完全に無視されているじゃないか 自分は多数派に 属していると思っていたのに!」と 怒りを爆発させたということである。
グローバリズムとナショナリズムの衝突という状況は、帰属意識の強い集団に 左右される傾向が強まっている。国境に関係なく活動しながらも国家権力のようなものを強く振りかざしている。このような集団をどのように世界の行政に統合し、国や世界のリーダーシップのもとで 多様なアイデンティティの集まりとどのように折り合いをつけていくのかが今後の課題である。
人類は破滅的な出来事が起きて初めて ようやく目覚め グローバルな統制のための 真のシステム作りへと動き出すものであり 我々は破滅的な出来事が 起きるまでは動けないが 大惨事が起きたときに 迅速に対応できるような 基盤作りを始めなければならない。
その中核は、将来を見据えた行動を起こさなければならないと考えている無名の人々だ。また、この「グループ」には将来的には国家や団体の、先見の明あるリーダーも参加する。人類の長期的な未来のために戦うことを目的として組織されたNGOや世界組織も、この集団の強力メンバーに名乗りををあげるはずである。現状支持派に対抗するのは、持続可能性を高めようとする個性豊かな人々で、唯一の共通点は、遠い未来を見据えているということだ。
人類はすざましい災害や劇的な紛争や事件が起きた時にパラダイムシフトが起こる。『今後数十年間で、人々の心の中に地球規模の意識が出現するであろう。その本質や大きさは今のところ分からないが、数年後には、世界は距離がなくなり、その新たな「意識」は、私たちに論理的な結論をもたらすだけでなく、他の人々のタスク(行動)を通じて、世界中で群発的に発生する。それは別に誰かが「そうしよう」と決めるわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。