俺だけが覚えていた
穂高の稜線から少し下がったところで小休止。
その男は、プラスティックの容器を取り出す。
「どうすか」と手渡された容器の中は、薄切りされたレモンの蜂蜜漬けだ。
「お前、いい嫁さんになれるぞ」
そんな風に言いながら、パーティ全員が順繰りに甘くなったレモンを味わった。
別の山での夕食。
ウィンナーを入れたスパゲティに、そいつは顔色を変えた。
「俺、ウィンナーは駄目なんすよ」
「タバスコかけりゃ平気だよ」
乱暴な話だが、当時、山での俺達は、何にでもタバスコをかけて食っていた。
少し臭いの出始めた食料も、タバスコで食っていた。
第一、好き嫌いとは別に、その日の食事はそれしかなかった。
食えないものがあれば、食料係を自分ですればいい。
それが俺たちの考え方だった。
そいつはスパゲティと一緒にウィンナーを頬張り、喉を通らず、胃液もろとも吐き出していた。
その男のことを覚えているのは、俺だけだ。
他の誰も、彼を知らない。
山行中のスナップ写真にも彼の姿はない。
だが、高校時代の山の記憶に、彼は登場するのだ。
「あいつ、穂高でレモンの蜂蜜漬け持ってきたろう」
「あれって、お前が持ってきたんだろ」
荷物が重いのが山で何より嫌いだった俺が、余計なものを持ち込むわけがない。
当時、わずかでも荷物を軽くしようと俺は必死だったのだ。
下山中に足を踏み外し、棘だらけの茂みに突っ込んだり、
丹沢湖の沢で宙吊りになり、衝撃で骨折したそいつを皆で担いで降りたこともあった。
「それって、こいつじゃなかったっけ?」
指差された男は、その沢登りには参加していなかったし、山で骨折したことはないと応じた。
茂みには、全員が突っ込んだ経験があった。
10リットルも水が入るポリタンクをひっくり返したこと。
カラビナに細引きを掛け損ない、死にかけたこと。
そいつの登山靴は、ミンクオイルを大量に塗り過ぎたせいで妙にてらてら光っていた。
米の中に固形燃料が紛れ込み、そのまま炊いてしまったこと。
俺にとって、それら全てが彼の思い出だった。
そうした思い出の全てに、それぞれ別の名前が挙がった。
ただ、その場に居合わせた者の名前が出たときだけ、それは自分ではないと否定された。
固形燃料の一件は、俺だったと全員から言われた。
全ては高校時代のことだ。
そいつの名前は覚えていた。
俺だけが覚えていた。
山岳部のOB会名簿を開いたが、その名前はない。