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BARの話

2018.05.07 15:00

夜の世界を泳いでいた時期がある。

美大を卒業したと同時に、絵が描けなくなって自分のエネルギーの発散の仕方がわからなくなってしまったことと、いわゆる仕事との兼ね合いがうまくいかず、心は切実に飢えていて、そして破裂しそうだった頃だ。サンクチュアリのように心が休まり本来の自分に戻れるBARに辿り着けたことを良かったと思う。悲しみや孤独を抱えた1人の人間が、自分を休める場所として機能していた本物のBARだった。


一杯のグラスで、苦味も豊饒さも噛み締めながら、自分の痛みを溶かしながら飲み、酔いが回る頃には心が少しだけ楽になっていた。そこで懐の深い常連達やバーテンダーと話すうちに、それまで心を閉ざしてきた自分が人と話すことが好きなのだと気付かせてくれた。映画の話、本の話、ロックの話、新しい知識を取り入れたり、自分の意見を出すことで交流するということに醍醐味を感じ、いつの間にか私も常連になっていた。その内にオーセンティックなBARだけではなく、みんなで騒ぐようなカジュアルなお店にも行くようになって、遅ればせながら青春を味わった。そこに行けば、仲間がいる、という安心感は、家や学校や会社や地元に居場所が無かった私にとって、何者にも変えがたい楽園だった。みんなで馬鹿な話をして笑って、ロックに全員で身を任せて、カラフルな照明の中で何度も乾杯をして、自分の中のエネルギーがどんどん解放されていくのが分かった。カオスなカーニバル、挑戦と冒険、それぞれの傷と優しさ。狂騒時代と言えるほど、最高な夜と最低な夜が、様々なドラマが盛り沢山にあり、激しく全力で夜を泳いでいた。たくさんの恋をして、いつの間にか自分がただの小さな人間であることが、とても良いことなのだとわかるようになってきた。


仕事が変わり、都内で一人暮らしをするようになり、多忙さからもBARのある街から遠ざかっていたのだけれど、一段落した時、また通う時期が来てまた新たな交流が生まれた。とても嫌な思いをしたり、腹が立つことも何度かあったけれど、私にとって本当に必要な時間だったのだろう。さらにその先で、自分の時間と自分の表現を取り戻したときには、飲みに行く意識が薄れ、足が遠ざかっていたのだけれど、お店のほうも環境が変わっていて、信頼するスタッフがいなくなっていたり、常連さん達がライフステージを変えて来なくなっていたりしたのでそういうタイミングだったのだと思う。少し寂しいけれど、私はBARを目一杯経験して卒業した。


やっぱり人には、どうしようもない自分の心を慰める場所が必要なのだ。どこかの街で、今夜も明かりを灯して、その人のための一杯のお酒とタバコの煙、良い音楽と、痛みを知った優しさがあったら、人間は多分大丈夫だと思う。もし自分の心がBARを求めたら、私はまた扉を押すだろう。その時はまた、乾杯をしたいと思う。

Image(C)夜の魚

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