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雛祭り

2023.02.20 06:51

https://ameblo.jp/nijiokun/entry-12731060744.html 【「雛祭り」と終末預言:その12】より

2022-03-10 01:09:58

テーマ:世界の謎

「雛祭り」と終末預言:その12

◆茶道と蚕の社の「三柱鳥居」の謎

 太秦の「木嶋坐天照御魂神社」(このしまにいますあまてるみたまじんじゃ)、通称「蚕の社」(かいこのやしろ)には池の中に立つ不思議な鳥居・三柱鳥居がある。神道では「柱=神」であり、3人の神を表すとされる。この三柱鳥居とそっくりなものがあるのをご存知だろうか?それは茶道に使われる「蓋置」(ふたおき)である。

    

 どこからどう見ても「蚕の社」の三柱鳥居そのままである。それもそのはずで、茶道の開祖「千利休」の墓には十字架が収められたといい、名前も「セント・ルカ」=「聖ルカ」。キリスト教徒だったのである。茶道の奥義では「茶道とはキリスト教の聖餐式」(せいさんしき)と伝えられている。「聖餐式」とはイエスが12使徒と過ぎした「最後の晩餐」のことである。

 「最後の晩餐」でイエスはぶどう酒とパンを使徒とともに食した。「ぶどう酒」はイエスの血を象徴し、パンはイエスの体の象徴である。これを茶道に当てはめるとこうなる。「お茶」=イエスの血、お茶請けの「菓子」=イエスの体である。袱紗(ふくさ)の取り扱いやお椀の回し方などは「聖餐式」とそっくりである。茶道を仕切る千家(裏・表)とは聖なる家(一族)となるのだ。そんなの無理くりだろう!と言われそうだが、日本の文化・風習をなめてはいけない。

◆下鴨神社発祥の「みたらし団子」   

 「雛祭り」の元となったといわれる「流し雛」を行う京都の下鴨神社では、境内にある「御手洗池」で無病息災を祈ってお祓いをうける足つけ神事「御手洗祭」(みたらしまつり)が行われる。この神事を発祥とするのが名物「みたらし団子」である。

 近所のコンビニやスーパーでも売っている「みたらし団子」は、御手洗池から湧きあがる水泡の姿を団子にかたどり、鎌倉時代に作られたとされる。最初は神社の境内の店で売られたり、「神饌菓子」として祀られており、その際には祈祷後に醤油を塗って食べたと言われる。要は神様への捧げものだったのである。

 下鴨神社の向かいには「加茂みたらし茶屋」 (かもみたらしちゃや) というお茶屋さんがあり、ここが「みたらし団子」の発祥の店とされる。この店の「みたらし団子」少々独特で、団子の粒が小さく、頭に1個、その下に4個に分かれて串に刺さっている。なぜこういう形なのかについて、上の1個が頭で、無病息災の儀式て使う人形(ひとがた)という。ポイントは3本セット、それぞれに4つの団子と上に分けた「頭」の団子が刺さっている、という点だ。

 お茶はぶどう酒でイエスの血ならば、お茶請けの団子はパンでイエスの体である。最後の晩餐を一緒に過ごしたのは12使徒である。そう、「みたらし団子」は12使徒に分けたイエスの聖体の象徴であり、12使徒のことなのだ。さらに「頭」が3つで3人の高弟ペテロ、ヤコブ、ヨハネを表わしているのだ。たとえ団子が4個☓3本であろうと、3個☓4本であろうと構わないのである。

 「御手洗」は聖なる池の水に体を浸して穢を祓う儀式であり、キリスト教でいう「バプテスマ」である。日本人は全国隅々で誰も気にせず「バプテスマの団子」を食べて、穢れを除きながら「最後の晩餐」を再現しているのである。 

 これに加えるならば、最初は下鴨神社で祈祷した後に醤油を塗って食べたとある。それは白い団子=イエスの体に醤油という血が流れた象徴である。さらにイエスの体である団子には串が貫かれている。それは十字架にかけられたイエスが、ロンギヌスの槍を突かれて絶命した象徴でもあり、串が3本ならイエスの磔刑に使われた3本の釘の象徴でもある。それが3個の団子4本セットの場合には、釘3本とロンギヌスの槍となる!

 もはやこじつけでしょうと言われそうだが、秦氏が仕掛け象徴につぐ象徴の呪詛を舐めてはいけない。秦氏は日本列島と日本人全部に象徴による仕掛けをしているのである。

 茶道も華道も香道も、全て京都に本拠地がある。秦氏が作った平安京で行われてきた儀式であり、後世の人たちが何も気にせずに日常的に行う習慣にまで仕上げたのである。ならばである、平安京にはもっと多くの仕掛けが施されているはずである。

◆「牛祭り」と「大辟神社」

 秦氏三所明神のひとつである太秦(うずまさ)の「広隆寺」には奇妙な神事「牛祭り」(うしまつり)がある。元々は「広隆寺」の境内にあった「大酒神社」(おおさけじんじゃ)の祭礼で、京都三大奇祭のひとつである。どういった祭りかといえば、牛に乗る正体不明の神「マダラ神」が4人の鬼を連れて境内を練り歩く。白く鼻の高いお面をつけたえのがマダラ神で、境内をまわると次に舞台上にマダラ神と「四天王」が登り、意味不明な祝詞を奏上。観客がずっと野次り、祝詞が終わるとお堂の中に消えてしまう何がなんだか理解不能な祭りなのである。

 この「牛祭り」が発祥した「大酒神社」であるが、かつては「大辟神社」(オオサケ)と表していた。この「大辟」は「たいへき」「だいびゃく」とも読むが、辞書で調べるとその意味は、ずばり「死刑」!なのである。つまり「大辟神社」とは「死刑神社」を意味しているのだ。

 5〜6世紀頃から中国にはキリスト教の教えが入ってきたとされ、それを「景教」(けいきょう)と呼ぶが、正式には「ネストリウス派キリスト教」という。この「景教」の経典には「大闢」(だいびゃく)という名の男が出てくる。この「大闢」とは古代イスラエルの王「ダビデ」のことなのである。漢字の変化で重要なのは「つくり」ではなく基本となるのは中心の文字である「闢」、つまり「辟」である。「大辟神社」は「ダビデ神社」となる。ちなみに「大辟神社」は兵庫など関西に多く点在する。このダビデの血筋の末裔が「イエス・キリスト」であり、キリスト教の死刑はユダヤ教における「燔祭」(はんさい)、つまり「生贄」(いけにえ)である。

 古代ユダヤでは羊や牛を「燔祭」の儀式に使う動物としていた。さらにイエスは自らを「神の子羊」であり「生贄の子羊」と称していた。もうお分かりだろうか。「大辟神社」=「死刑神社」で行われる「牛祭り」とは、ロバに乗ってエルサレムに入場してきたイエス・キリストのことであり、磔刑にせよとユダヤ人たちがイエス・キリストをなじった聖書の逸話を表しているのである!

◆広隆寺の「いさらい」の井戸

 「大辟神社」があった広隆寺の近くに「いさらい(井佐良井)」という小さな井戸がある。景教の経典には「一楽賜業」と書いて「イスラエ」と発音する言葉が出てくる。これはそのまま「イスラエル」を意味している。

 ダビデ王の時代、古代ユダヤ人たちのの国の名は「イスラエル王国」と言った。しかし、旧約聖書にはダビデ王の逸話として井戸の話は出てこない。では、秦氏があえてこの井戸にイスラエルの名をつけた意味は、「新約聖書」にある。イエスは「ヤコブの井戸」で水をくみにきたサマリア人の女に、井戸の水を請うと同時に、永遠の命について説いた、とある。

 ユダヤ人とアラブ人の祖である預言者アブラハムの孫は「ヤコブ」であったが、一晩中神の遣いと格闘して負けなかった。それを神が祝福して「今日から名をイスラエルと改めよ」とし、ここに史上初めて「イスラエル」という言葉が誕生。同時にこの時からヤコブの名は「イスラエル」となり、そのイスラエルの子孫たちが増えていったのである。

 つまり、「イスラエルと名を神からもらったヤコブ」=「ヤコブの井戸」=「イスラエルの井戸」、なのである。

◆太秦(ウズマサ)の暗号

 広隆寺も蚕ノ社も太秦にある。秦氏の首長の称号であるこの「太秦」、「ウズマサ」という読みは日本語では意味をなさない。だが、古代ヘブライ語で読むと「ウズ」は「光、東、文化」を意味、「マサ」は「賜物、貢物」、つまり「光の賜物」を意味する。

 さらにイエスの時代のヘブライ語は、アラム語と呼ばれる方言の一種であった。このアラム語では「ウズマサ」は「イズ・マサ」となる。そして「マサ」は「マッサー」となり、その意味は「メシア」。つまり「救世主」を表しているだ!

そう、「太秦」(ウズマサ)とは、「光の救世主=イエス・キリスト」を表していたのである。

Facebook小早川 智さん投稿記事

八坂「ヤーサカ」=「神」

祇園『ギオン→ジオン→シオン』

京都と言えば「平安京」だが、ヘブライ語に訳すと『イール・シャローム』、つまり「エルサレム」となる。

○「イール」=都・京○「シャローム」=平安

エルサレムは「イェルシャライム」と発音。

https://ameblo.jp/noginohi107/entry-12662041604.html 【祇園とシオンと剣山の内緒話】より

『桐紋とメノラ―と漢字の内緒話』

桐紋の中でも『五七桐紋』は皇室の紋章であり、内閣総理大臣の紋章や、名だたる戦国武将も使用していた。

『五七桐紋』とは、桐の花の数が五・七・五に並んでいることからそう呼ばれている。

五・七・五は、俳句にも採用されている特別な拍だ。

全て足すと『十七音』。「十」には、「十字架」が隠されている。

例えば、「草」の文字。頭に「草冠」、「日」は太陽すなわち「神」を表し、「十字架」がついている。これは、『イエス・キリスト』を意味しているのだという。

そして『七』は聖数だ。

旧約聖書『創世記』では、神は6日間で世界を創造し、7日目に休んだ。

だから、古くから「日曜日」が休日とされているのだ。(私は違うけど💧)

『五七桐紋』の真ん中の七つの桐花。これは恐らく、『メノラ―』を表している。

『メノラ―』はユダヤの象徴である。

なぜ、ユダヤとこれ程までに繋がりを感じるのだろうか。

ちなみに、「桐」とは「キ」と「同じ」と書く。

ユダヤのルーツと言われる古代メソポタミア『シュメール神話』において、「キ」とは『女神』という意味である。つまり、「同じ女神」という意味が隠されているのだ❗

さらに、漢字をもうひとつ。『船』。「舟」+「八」+「口」で構成されている。

なぜか。まず、「口」とは人数の意味(人口って言うでしょ❓️)

旧約聖書の『ノアの方舟』では、方舟に乗り込んだのは、ツガイの動物達と、ノアの家族。

その家族の人数が「八人」であったのだ❗


『お稲荷さんの正体と秦氏の内緒話』空海と二柱の竜神の内緒話』 『空海と渡来人と飛来人の内緒話』 『空海と失われた十氏族の内緒話』 『阿波と粟と空海の内緒

↑では、『五七紋』について触れた。

まるで俳句のような五・七・五の並びを足すと、「十七」という数字になる。

「7月17日」。

奇しくも、「桐紋」を創案したと言われる『嵯峨天皇』の葬儀がおこなわれた日である。

「7月17日」は、京都の『祇園祭』のメインイベント「山鉾巡行」がおこなわれる日。

そして、同じ時期に遠いイスラエルの地では『ZION(シオン)祭』があり、「ぎおん」は「シオン」が転訛したものであるというのは有名な話。

祇園祭は『八坂神社』から始まるが、この「ヤサカ」はヘブライ語で「神の小屋」と訳せるのだという。

『シオン祭』とは、旧約聖書の『ノアの方舟』が大洪水から逃れ、トルコの『アララト山』に漂着し、ノアとその一家が無事生き延びた記念すべき日を祝う祭だ。

『祇園祭』の「山車」は、「方舟」を模したものだと言われている。

その時の掛け声「エンヤラヤー」は、古代ヘブライ語で「私はヤハウエを褒め称える」と訳せるのだそうな。

「シオン」とは「エルサレム」のことであり、

京都と言えば「平安京」だが、ヘブライ語に訳すと『イール・シャローム』、つまり「エルサレム」になるのだ。

○「イール」=都・京

○「シャローム」=平安

エルサレムは「イェルシャライム」と発音。

京都には、まだまだユダヤとの共通点が隠されている。

たとえば↓

この二つには…

ダビデの星『六芒星』を見出だすことが出来る。

そして、「7月17日」は阿波の国「徳島県」にとっても重要である。

『剣山』では、7月17日に『剣山本宮山頂大祭』がおこなわれる。

そこで用いられる『神輿(みこし)』が、古代ユダヤ人の秘宝『契約の箱(アーク)』を模したものだという説がある。

『契約の箱』とは、エジプトから脱出したモーセが、『シナイ山』にて神から授かった『十戒』が刻まれた石板を納めた箱だ。

神は、モーセに石板を納める箱を作るように指示した。

なぜか、作り方の指示はかなり細かいものであった。

『シナイ山』と『剣山』。

竹刀と剣。

ここにも関連性を感じてしまう。

『契約の箱』にはその後、ユダヤ三種の神器が納められたようだ。

○十戒の石板  ○アロンの杖  ○マナの壺

『契約の箱』は、ソロモン王により神殿に安置されたが、その後にイスラエル王国は滅亡、分裂した南ユダ王国は、紀元前587年に新バビロニア王国に滅ぼされた。

エルサレム神殿も破壊され、『契約の箱』は消えてしまったという。

それが、実は生き残った古代ユダヤ人によって、日本に持ち込まれ、阿波『剣山』に隠したというのだ。

阿波にはユダヤ人の隠れ里があったという逸話もある。

徳島県の祖谷(イヤ)地方、剣山の入り口には『栗枝渡(クリシド)神社』があり、これは「キリスト」を連想させる。

そんな祖谷地方の伝承歌がこちら↓

3つの宝… ユダヤ三種の神器⁉️

「イヤ」とは古代ヘブライ語で「神よ❗」なのだそうな。

空海と失われた十氏族の内緒話

『阿波と粟と空海の内緒話』 『阿波の国の内緒話』 『「ア」と「ワ」と『蛇』の内緒話。』日本語は五十音で構成されている。これを『五十音(コトダマ)』と読むこと…

・電車の無い徳島

・剣山を隠したお遍路

・剣山から大量のミイラを持ち帰ったGHQ

・消えた契約の箱

全ては繋がっていくようだ。

つづく

ではまた❗

ちなみに…

1993年7月17日に、彗星が20個以上に分裂して木星に衝突しまくったという。

その彗星はこう名付けられた。

『シュメーカー・レヴィ彗星』。

レビ族…    とは関係無いよねまさか。