〈永遠〉への亡命者:来住野恵子詩集『天使の重力』に寄せて
来住野恵子が詩を書き始めたのは少女時代のことである。三島由紀夫の「詩を書く少年」ではないが、詩はすらすらとできた。ところが、十五歳のときに、それまでのようにはどうしても書くことができず、切羽詰まったところで、突然、言葉が降りてくるような体験を持った。詩がこしらえるものではなく生まれるものであるという認識が芽生えたのはこのときのことである。
学校の教科書に載っている中原中也にも萩原朔太郎にも共感できなかった彼女にとって、唯一の輝かしい存在は西脇順三郎であった。第一詩集『ブリリアント・カット』(一九八二)を読むと、彼女の出発が、多くの詩人たちとは異なり、個人的感情の素朴な吐露とは全く無縁であったことが理解される。完成した詩集を携え、尊敬する未知の老詩人を訪ねた。詩集に添えた手紙には、西脇と出会ったことで自分が〈永遠への亡命者〉になったと記されていたという。
「永遠を語るための言葉はそれ自体ダイヤモンドのような硬質の無でなければならない」という自覚、それは〈永遠〉への憧憬から生まれたものだ。要するに、詩の言葉は日常で消費され消えていく言葉とは絶対的に違うものでなければならなかったのである。
〈永遠〉を志向する者は、その双生児であるところの〈虚無〉についても、これを強く意識せざるをえない。彼女が己の自我を誇大視しないのは、それが虚無の別名かもしれないとぼんやり予感したからかもしれない。一九五九年生まれの彼女にとって、〈虚無〉は二十世紀末という歴史的世界における一時代の〈終末〉の観念に結びついていたが、二十一歳の彼女がイメージする終末は、明るく巨大で無機的な廃墟であった。それは詩人が生まれ育った八王子市の、青い光に包まれた朝の沈黙のような静かさと結びついていた。人生はまだ明け初めたばかりであり、全ては夢想と予感のなかに浸されていたといってよい。
一九八七年から一九九一年、すなわち二十代から三十代にかけての四年間、来住野はアメリカ東海岸で暮らしたが、この時に彼女は深刻な実存的危機を経験したらしい。この時に、詩が実存を救済する唯一のものとして現れた。
その頃に書かれた作品を中心に編んだ第二詩集『リバティ島から』(一九九一)では、詩人の終末意識は、第一詩集のころの無機的な廃墟から世界史的規模の阿鼻叫喚へと大きく変容している。世界は「夥しい血が無意味に流れ、出口のない混沌は深まるばかり」であり、「長い時間をかけて獲得してきたはずの自由は、決して清算されていない。ふさがらぬ傷口。行き場のない憎悪」。ニューヨークのミス・リバティ像を見たときの烈しい衝撃が、直接のきっかけとなった。「世界中の自由という名の壮絶な狂気を一身に受けとめて、アトランティックに臨むその姿は、自由の代償としてのとてつもない苦悩を受けた立つ決意そのもののようだった」。このミス・リバティの「決意」は、そのまま詩人のそれとなった。来住野恵子がアメリカで発見した自己は、「渇望と焦燥にいつも身を焼く」異邦の女、地上の旅人であった。
生と死の緊張関係が際立つ作風は、西脇順三郎の影と響きから彼女が完全に独立を果たしたことを意味している。彼女は〈永遠への亡命者〉たることをやめ、〈永遠からの帰還者〉へと変貌したのである。
彼女の作品には、歴史的現実に対する声高で直接的な怒りや弾劾を見出すことはできない。詩人の仕事は悲惨の考現学ではないからである。「八月の祈り」全行を引こう。
このひび割れたガラス杯を
静かな夜明けで満たしたまえ
薔薇色の酒は
悲しみに光輝をもたらすだろう
乾いた瞳の奥に信頼を呼び戻したまえ
誰のためでもなく
何のためでもなく ただ在ることに
きらめく矜持を潜ませたまえ
名もない小さな花によって
荒野は季節を知るのだ
傷つけられ辱められた孤独に
香油を注ぎたまえ
沈黙の中にこそ清らかな贅を尽くしたまえ
隔たりには白一色の虹がかかるだろう
動かぬ太陽に焦がれて
波は生まれ続ける
生成のよどみの際で
鳴り止まぬ海鳴りに耳を澄ましたまえ
そこに
ひとつの肯定を読みとりたまえ
この詩から、太平洋戦争終結のあの「八月」を想起しないことは困難である。来住野は戦争を経験した世代ではない。だが、想像力の中で受け継がねばならぬ傷みがあり、それは言葉を通してのみ行われると彼女は信じているのである。「ガラス杯」「薔薇色の酒」「香油」といったキリスト教典礼を思わせる語彙があるが、それよりも、地上に「ただ在ることに」人間存在の厳粛性を見出し、「鳴り止まぬ海鳴り」に、創造者の肯定を予感していることに注意すべきである。歴史的現実世界が圧倒的な力で彼女に迫ってきたということは、対するところの超越的世界への希求もまた同様に拡大したということなのである。言葉による指弾ではなく、言葉による抱擁――それはもしかすると「愛」と呼ばれるべきものなのではないだろうか――こそが、彼女の意図するところなのである。
来住野には彼女独特の詩の理解がある。詩人たる自らの内には、永遠に無傷な聖なる魂と、人間としての汚れた自我がある。前者は永遠世界に属するものではなるが、自分にも分有されている。だが、それだけでは詩は生まれない。自分の自我があって初めて詩が生まれるのだ、という観念である。そのために詩人は「聴く」ことが必要なのである。
こうした思考からわたしが想起するのは、アメリカの詩人キャスリン・ノリスである。彼女はベネディクト修道会に長期滞在し、詩人としてのものの見方を変容させたが、霊感が訪れるのを注意深く待つことの意義を重視する点に共通点を見出すからである。ちなみに、ベネディクト修道院規律第一条は「聴け」であるという。
来住野は洗礼を受けたキリスト者ではなく、「神」という語彙も注意深く避けているが、彼女の作品にはクリスチャニズムを予感させるものが多い。少女時代に初めて自室を飾った複製画が聖母子像であったというささやかな事実は、レンブラントに魅せられているという事実同様、軽視されるべきではない。感性だけで完結しない、血肉化された思想的骨格の所在――それは第三詩集『天使の重力』(二〇〇五年)の諸作、「告別」「窓」などに明らかである。とりわけ「晴朗なる塵へ」には、キリスト教的終末論が露わである。冒頭部分を引こう。
人間の悲しさに焼かれ
逆巻く熱砂を
泳ぐ
背びれの代わりにください
何を
何も
願うことのない
真白き無常が夜明けのようにひるがえる
苛烈な夏の廃墟
陽の底で
骨たちを混ぜあわせる 神の
さびしい歌が
きこえる
詩人に聞こえてくるのは、このような「神のさびしい歌」なのだが、後半になって、詩人の言葉は期待を込めた荘厳華麗な終末の光景へと高まっていく。
人類が
その夢見たものが
何の切れはしであろうと
すべてはあなたの律動だった
悲惨 野蛮 すなわち私に出会い抜いて
やぶれ抜き くだけ抜き
星の音符となって
交響する
世界の楽譜は
劫初の無意味に晴れわたり
澄んだ最初の音を
待つばかりだ
舞い上がれ 晴朗な塵よ
永遠の新譜に刻まれて
流れ止まぬ血の旋律を
無窮の和音が
支えている
ゆるされて
ゆきたおれる
私たちを吹き寄せる
聖堂のような秋が
やってくる
「降り敷く歓喜が蘇生する」という言葉で閉じられるこの作品を、キリスト教的視点から見るのは視野をいたずらに限定することになるだろうか。だが、わが国の現代詩にほとんど見出せない宇宙構造をこの作品が持っていることに着目するとき、フランス象徴主義の豊かな遺産がキリスト教を培養土としてこの詩人に生きていることがはっきりと理解されるのである。詩人の自我は、歴史的状況という水平的世界と、神を頂点とする垂直世界との交錯する創造の場となり、ダイナミックな詩的空間を作り上げる。先に引いた「八月の祈り」にしても、「命令形の愛」、換言すれば〈虚無〉に抗う構築的精神が認められる。そこには、なし崩しに拡散していく短歌的詠嘆は見出せないのである。 個々の作品からというよりも、作品群全体から、わたしはある種の厳粛さと、何か人間的スケールを超えた巨大なものを感じるのだが、特にこの作品からは、いわゆるキリスト教詩人の作品からは感じ取ることのできない超越的な風が吹き付けてくるのを覚える。
来住野恵子には、第一詩集のころから、「舗道の汚物に群がるハエの羽が朝一番の陽ざしに金色に輝く」ことへの讃歎が見られるなど、世界に対する美醜を超えた眼差しがあった。これは〈美〉に完結せず〈聖〉に開かれた感性といってよい。
歴史的現実への凝視と聖なる世界への希求が緊張を持ってクロスする世界、それが来住野恵子の世界とわたしには思われる。
*初出:『現代文学』72号、2005年12月