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厳粛な想像力:来住野恵子の詩の世界

2018.05.06 13:13

 言語芸術として先鋭化し、難解さを競い尽くした結果、現代詩が世間一般の人々から見放されて久しい。詩誌を書店でたまたま手に取ったはよいが、理解困難な作品と批評に顔をしかめて首を振り、雑誌を書棚に戻した人も少なくないだろう。  来住野恵子の新詩集『天使の重力』が書店に並んでいる。手にした人は幸いだ。彼女の詩は、ふつうの人々の心にも、単なる共感とは違った深い次元での共鳴(レゾナンス)を与えるに違いないから。


   舳先から

   手すりから

   いくたび 身を乗り出して

   飛び降りても

    飛び降りても

   心ならずも翼が開いてしまう

   風を切り

   雲を分け

   おもいをきわめて

   あなたのみもとにゆくために

   小鳥は

   ひたすら上空へ

   駆けのぼる外ないのです

   千年の夜を貫くひかりの矢に射抜かれて

   翼があおぞらに

   さよならが

   讃歌に変わるまで


 「告別」全篇を引いた。彼女の作品には日常の言葉にない厳粛さが漂い、感受性だけで完結しない思想的骨格が感じられる。「あなた」を「神」と読むことも可能だが、しかし彼女は信仰の人ではない。  

 この作品で、飛び降りようとしているのは汚れ毀れた自分の心、そしてそれを止めるものは永遠に無傷な聖なる魂だと詩人はいう。「心と違って魂は確かに自分の裡に在りながら、自分の所有物(もの)ではないのです」。  

 そして詩は、聖なる魂だけでは形になることができない。この世でぼろぼろになっている「私」の心があって、初めて言葉は詩として飛び立つことが可能になるのだという。  

 生を選択する力を与えてくれる作品に対する渇望。だがそうした作品が世の中にはあまりにも少ない。  

「森の奥に美しい湖があったとしましょう」と彼女はいう。「その美をカメラのように捉えて完結するのが俳句の世界だとすると、湖に入水しようとする私を生の世界へと引き戻す力を持っているのが、私にとっての詩なのです」。  

 六〇年代以降の現代詩のさまざまな言語解体の試みにはおおむね否定的だ。それは言葉を人間が自由に操作できると思いこんでいるからこそなしうることで、言葉に対する敬虔さを欠いていると思うからだ。修辞的洗練への努力はいうまでもない。だが彼女にとって、詩は根本的に「生まれるもの」であり「こしらえるもの」ではない。  

 一方で創造行為に無自覚な「等身大」の言葉に対する違和感もある。日常の目線と五感で知ることのできる世界が全てならば、世界中に溢れる悲鳴にも聾(ろう)であるしかないからだ。また、ただ美しければよい、自分の見える世界が真実ならばよいということで言葉が連ねられるとするならば、それは単に趣味の世界だと彼女は断言する。  

「私は想像力で抱擁したい。歴史的に経験していなくとも、想像力の中でこそ受け継がねばならぬ傷みがあり、それは言葉を通して、想像力の中の共感を通して伝えられるはずです。そしてそれは言葉にかかわる私の義務です」。彼女の作品「八月の祈り」「八月の祝福」には政治的言語を超えた世界が深々と広がる。  

 少女時代、教科書に載る萩原朔太郎も中原中也も、自分の感性には響いてくるものがなかった。唯一の例外が西脇順三郎だった。その大きな世界に惹かれ、数千行の作品をノートに筆写した。だが十六歳から二十一歳までの作品を編んだ第一詩集『ブリリアント・カット』にも西脇のあからさまな影響を認めることはできない。ただ一読して理解されるのは、多くの詩人と異なり、彼女が個人的心情を素直に表出する叙情からは無縁の出発をしたことだ。  

 西脇から学んだのは、創造された作品世界が、日常の現実世界と地続きでありつつも、どこかで決定的な転換、変容を遂げたものであるという認識であった。とはいえ西脇の独自の世界は誰も真似することができない。自分の本質にかなう詩のスタイルを模索する日々が続いた。フランス語の学校に通い、二十歳で就職した。結婚、出産。そして七ヶ月の娘を抱えて夫と渡米したのが二十代後半のことである。  アメリカで、自分を支える唯一のものとして詩が迫ってきた。生まれて初めて投稿を始めた。当時「ユリイカ」投稿欄の選者をしていた吉増剛造氏は、送られてくる彼女の作品を毎月採り、彼女は一九九〇年度「ユリイカの新人」に選定された。  

「現在の私の詩の世界に西脇の痕跡はないと思います」。確かに彼女の世界には、西脇にはない死と生の張りつめた緊張感が漂っている。

「晴朗なる塵へ」の後半部には、何度読んでも圧倒されるものがある。そこでは終末論的世界が荘厳に現前しているのだが、何よりも言葉による壮麗な音楽が鳴り響いている。  

 詩は音楽の状態を憧れる。だが言葉にはどこまでも意味が、いわば天使の重力がある。それでも音楽を目指す。必然的に言語の抽象性は高まるが、ぎりぎりのところで彼女の作品は、読者の共感を置き去りにして意味の彼方に逃れ去ることがない。  

「聖」を予感させる「美」。最後には美を破る方向に行ってしまっても構わないと彼女は思っている。シューマンがそういう芸術家であった。彼の音楽は深い霊性に満ち、フォルムの綻びなどものともしない魂の真実と純潔に輝いている。「いかに美しかろうと、ショパンの音楽のように、表層的鍵盤的にはなりたくないのです」。  

 画家ではレンブラントを誰よりも愛する。それはどの宗教画を見るよりも、紛れもなく神がそこにいることを実感させるからだ。神の光を浴びているという感覚。それはなぜか実際に教会の中にいる時には感じられないもので、彼の絵を通して初めてわれわれに近しいものとして感じられる。「圧倒的です。そして謎です」。だがここで彼女は画家について語りつつ、図らずも自らの詩について語っているように感じられる。  

 詩論を書くことには関心がない。本物の芸術は説明を超えた圧倒的なものであり、精魂込めて作品を創造する方が大切だからである。芸術とは本来、時間も空間も超えて人間の心と魂に直接するものだ。限られた生の時間だからこそ、やるだけやって死んでいこう。  

「小細工は通用しません。一作書いて、闇に沈む。何も学ばないまま。できるのは闇の中で自分を投げ出さずに耐えることだけです。」  

 新詩集には饗庭孝男が「垂直性の彼方へ――来住野恵子の詩的宇宙」と題する一文を寄せている。具眼の士の支持があるにせよ、批評に乏しい詩の世界で仕事を続けることには孤独に押しつぶされない強い意志が必要であろう。 書いた作品の半分を捨てて新詩集を編んだ。寡作というべきだが、あまりに手軽に詩集が出版され読まれない状況に辟易しているからでもある。朗読会の類にも一切顔を出さない。作品が全てなのだ。  

 彼女はある文章の中でいう、「言葉で書かれた詩などというものに一生無縁な多くの人々の心に、春が来る度、バラは言い知れぬ幸福をもたらすだろう」と。感覚的現実世界の圧倒的優位。だがそれを承認しつつも、彼女は続けて詩の必要を決然と語る。その言葉は、詩を見放したはずの人々の心を揺さぶり、忘れ去っていた感情を呼び覚まさずにおかないだろう。  

《詩よ、言葉よ、ひとつの春、ただひとつの開花にも如かない自らの貧しさに泣け。千度の春に、かぐわしいばらのいのちが降りしきる。だが、言葉で摘みとったいのちのばらは、その不滅の香気を、魂だけが知る永遠の春につなぎとめるのだ。ロンサールの信じたように「詩句は神から来」、詩人は「神々の意志の通訳と名づけられる」のであれば、遍在する神のいのちを汲みつづけることこそが、究極の詩の行為となる。蒼白な棘に零れた涙の滴は、まっすぐに天上に昇ってゆくだろう。非人称の輝きにみちた讃歌となって、遠い星々と響き合いながら。》(「今日よりぞ摘め、いのちのばらを」部分)   


*初出:『表現者』3号、2005年11月