この杭を抜くものは高望みを述べよ
森見登美彦のエッセイ集「太陽と乙女」を読了した。
森見氏の作品は、アニメ版の「四畳半神話体系」から入ったクチである。アニメが2話まで放映された時点で、その語り口の面白さにどうにも我慢できず原作を購入し、それからデビュー作の「太陽の塔」や、出世作「夜は短し歩けよ乙女」などを斜め読んだ。インターネットで検索し森見氏のブログである「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」に辿り着き、そのあまりに見事なタイトルセンスに嫉妬して、ほとんど読まずにブラウザバックしたりした。「高望み」というのは何とも小憎らしい、森見ワールドを象徴するようないい言葉である。
森見氏はこの本を「眠る前に読むべき本」と称していたが、生憎こちらは寝る前に本を読む習慣が全くない。のでトイレに置き、用を足すごとにちびちびと読み進めた。基本的に森見氏が様々な媒体で書いた「小説ではない文章」を寄せ集めたものであり、たとえば東京で暮らしていた頃の仕事場として借りた部屋の思い出であったり、編集者と一緒に富士山に登った話であったり。京都大学で所属していたライフル部の思い出などは繰り返し何度も登場するが、これは森見氏が小説家になる明確なきっかけなのである。
中でも面白いのは、森見氏の日記が収録されている点である。しかも京都大学在学中に日本ファンタジーノベル大賞に「太陽の塔」を応募し、大賞を受賞した、まさにその前後の日付のものである。ある人物の人生が明確に変わる瞬間の記録であり、しかも日記であるから、他人に読ませようと思って書かれた内容ではないため、その心情の生々しさには信頼度がある。こちらは当然、応募した小説が大賞を受賞し、その後は有名作家になることがわかった上でその日記を読むのだが、そうした「答え合わせ」を知った上で読む過去の日記というのは非常にスリリングでゾクゾクする。余談だが、「岡嶋二人盛衰記」も江戸川乱歩賞を受賞し作家になる瞬間が描かれており、こちらは後から書かれた回顧録なのであるが、たいそう面白いので是非読んでほしい。
エッセイ集の最後には「空転小説家」という連載が収録されている。これは台湾の雑誌に向けた連載という異色の仕事であるが、一方で森見氏本人やその小説観の集大成とも言える内容で、読み応えがある。さらに加えて、このエッセイを書いた当時、森見氏は東京に上京した後に仕事を受け過ぎてパンクし、全連載を停止させて生まれ故郷である奈良に帰り、そこから始まった長いスランプに心労していた時期である。その頃はこのエッセイと、他には既に終了した連載小説の手直ししかできなかったという。タイトルの「空転」の意味が重くのしかかるバックボーンである。日々、何かをしなければいけないが何もできない焦燥感にかられジリジリと身を焼かれている居心地の悪さ、将棋の世界で言われる「不調も三年続けば実力」という恐ろしい言葉が引用され、そのエッセイは読者のこちらの首まで絞めてくる勢いである。
ほかに、特に面白かったものを挙げるなら、「記念館と走馬灯」というエッセイは、『小説家にとって成功とは何か──。それは「記念館」を設立することをおいて他にない。「森見登美彦記念館」それだけが私の目指すものである』という、とんでもないインパクトのある書き出しで始まり、4ページほどの短い作品でありながら、見事な着地をする。「森見登美彦記念館」いずれ建設されたら、ぜひ訪れてみたいものである。