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ハンセン病の詩人たち:生きる証としての詩

2018.05.07 11:05

 ハンセン病に対するわたしの関心の原点を探ると、神谷美恵子とカトリック司祭岩下壮一に対する興味に行き着く。周知のように、神谷は長島愛生園とのかかわりがあったし、岩下は御殿場にあるハンセン病療養施設神山復生病院長として後半生を生きた。著作を通じて彼らに親しむことから、自然とわが国の近代史におけるハンセン病について知ることとなった。だが、それぞれの療養施設内で文芸活動の振興がはかられていたことは知りつつも、その実態については無知なままであった。  

 NHKテレビで、療養所で暮らす詩人と韓国人女子学生との交流を取材した番組があった(二〇〇一年七月二〇日放送「にんげんドキュメント『津軽・故郷の光の中へ』」。なおこの作品はギャラクシー賞月間賞、放送文化基金・テレビドキュメンタリー番組部門を受賞している)。長年、療養所に通って詩作指導を行ってきた恵泉女子大学教授(当時)森田進が出演していた(その後、森田は大学を定年退職後、東京神学大学に入学し、卒業後に牧師となった)。この番組からは多くを教えられたが、その後、森田の著書『詩とハンセン病』(土曜美術社出版販売)が出版され、これを読み、それまで知ることのなかった世界に目を見開かされた。そこには、近現代の詩史からすっぽりと抜け落ちていたもうひとつの詩の世界が語られていたからである。もっとも、以前カトリック詩人澤村光博について調べた際に、大江満雄のハンセン病患者への献身的な詩作指導について知り、おぼろげながら、ハンセン病患者による文学作品という世界の存在を認知していたということはあった。だが、個々の具体的な作品に触れる機会はなかったのである。  

 そうした長年の渇を癒す思いは、『ハンセン病文学全集』(皓星社刊・第一期全一〇巻)をひもとくことによって果たされた。第六巻、第七巻が現代詩を収録しているのである。編者は大岡信氏。二段組で二巻合わせると千頁余。巻末に、著者略歴と著者別索引が付いている。  

 この本の中には、世間的にも名高い詩人である塔和子氏(一九二九―)も収録されている。彼女が傑出していることは、この書物の中で、ほかの詩人の作品と並べて置かれることでよくわかった。とはいえ、世間的には無名な詩人ばかりの選集でありながら、感銘を受ける作品がいくつもあった。  たとえば、長島愛生園の小島浩二(一九二六―)の「絵」は、一読忘れがたい秀作である。


  子供がたれかを描いたという。

  足が馬鹿に細長いのでこれでは歩けそうに見えない。

  腕は短かすぎて手の指が二、三本足りない、鼻が低い。

  口が横についている。

  耳朶が肩のあたりまでぶら下がっている。

  その上眉毛を描くことを忘れたらしい。

  これではまるでお化のようである。

  でも人間であることは確だ。

  胸に手を当て 

  眼を伏せ

  頭を深く垂れて

  何かしきりに考えこんでいるから。


  胸に手を当て、眼を伏せ、頭を深く垂れて何かしきりに考えこんでいる人の姿。それはクレーの描く天使を思わせる。「何かしきりに考えこんでいる」姿。知性を持つ人間存在の形象的定義として、これほどふさわしいものがあろうか。

 星塚敬愛園の北河内清(一九二四―)の「月夜のみちで」の玲瓏たる美しさは比類がない。


  昼間の黒い眼鏡をはずして

  わたしは 月にぬれてあるく。

  まるで 別の世界です 家々に 葉桜に 道路に すべてのうえに月が輝って。

  蛙のこえと 虫の音が どこにも みちみちて

  こわれた水道の音を こんなにも なつかしく聞き。

  昼間 あんなに通っていながら 

  思いがけない 道の傍に くちなしが匂って。

  このわたしの 切れた手 くずれた顔 繃帯にふくらんだ足で 平気であるけるのです。

  そして すべてを 

  あの黒い眼鏡をかけなくとも見ることができるのです。

  かつて自分の足おとを

  こんなにもはっきりと聞いたことはありません。


 夜、世界は優しく作者を包み込む。そこではこわれた水道の音までもが、親密に語りかけてくる。嘘のない真実の持つ美しさが行間から湧き出ているといってよい。

 うちだ・えすい(一九二一―一九九八)の「菖蒲から」も、懐旧の思いが、感情を抑えた描写で語られている。彼女は一九五八年にキリスト教に入信しているという。 


  母は 

  粽をむすんでいた

  姉は

  菖蒲湯の釜を焚いていた 

  父は 

  旅から帰つて来て

  鯉のぼりを立ててくれた

  青い菖蒲を見ていると 

  巻きもどつてくる

  昔の懐かしいフイルム


 子供のいる家庭の、何でもない日常の一齣。それが病気によって永遠に失われてしまう驚き。だが、目の前にある菖蒲から次々に浮かび上がってくる懐かしい記憶の風景は、現在の詩人の生を支えるものでもあるのだ。

 水田広(一九三二―)の「らい園短信」は、病気で家族から引き離され入園した子供たちの姿を描く。


  ぽっかりと

  黒い 

  傷口のあいた

  心をぶらさげて

  子供たちは

  鬼ごっこに余念がありません


 暗黒の世界を透視する作者の目によって、傷ましさは倍加する。

 全集には、烈しい歎きの歌が数多く収録されている。それらは旧約聖書の詩篇に見出されるような、底知れなさを持っている。作品としての修辞的洗練を拒否する純粋な悲嘆とでもいうものがそこにはある。現在の商業詩誌に掲載される作品から、このような歎きを見い出すことはできない。それは作品としての完成度とは別問題と思われる。要するに、編集者、読者がどこまでそうした深い感情を日常の読書行為の中で許容できるかの問題であろう。

 さて、わたしはどうしてもキリスト教と彼らの作品との関係に目がいってしまうのだが、松丘保養園の沢田徳一(一九二六―一九五七)は、その意味で注目に値する人である。沢田は一九四三年に失明した。そして、一九五四年にキリスト教に入信している。未見だが、遺稿詩集『星と詩人』(聖燈社、一九七四年)があるという。『ハンセン病文学全集』に収録された「星と詩人」「われエホバをほめ讃えん」「聖書に寄せて」「十字架の旗の下に」「信仰の言葉」「復活祭に寄せて」「生命の記録」「十字架の血潮」「十字架への道」はいずれも宗教的確信に満ちた雄勁な宗教詩である。「われエホバをほめ讃えん」の一節を引こう。


  ああ 全能の神よ

  若き罪人の祈りを 聞き入れ給え 

  われと わが兄弟の魂は 

  天地の創造主の聖霊に

  燃えあがりたり

  地に這う蟻よ 聞け

  ひらめく蝶の群れよ 聞け

  罪を犯し 神にそむき 

  敵たりしわれをさえも

  なお神は 愛し給えりと


 現代詩としての独創性や個性には確かに乏しいだろう。しかし、この盲目の詩人には、現代詩人にはない預言者の風格があり、集団で唱える教会典礼讃歌の趣がある。言葉が生動しているのは、文語体の採用によるところもあろう。沢田の作品は、現代詩における文語自由詩復権の可能性も示唆するところがある。  

 ハンセン病患者にとって詩作は生きることと同義である。だが、考えてみれば、そうでない詩作などあるだろうか。上丸春生子(一九一二―一九八三)は「訴へ」と題する作品で記している。


  やつと細く息をしている私は

  書くことによつて

  切つない純粋がみつかるのだ

  自我とか 思索とか

  それだつて私には虹なのだ


  言語による表現を「虹」のごときもの、「切ない純粋」ととらえる感性に、思わずはっとさせられるが、「思索(詩作)」が、人間存在を証する驚くべき行為であるという事実についても、改めてわれわれは教えられるのである。


【附記】

『ハンセン病文学全集』で、菊池恵風園の藤井俊夫(一九一七―)略歴欄に〈……在園中、「日本歌壇」やカトリック新聞の詩誌「火」などに詩を発表……〉云々とあるが、「火」はカトリック詩人会という在野の詩人団体の機関誌であり、カトリック新聞社が発行した詩誌ではない(拙著『詩のカテドラル』二六―三三頁「焼け跡の宗教詩人たち 澤村光博とカトリック詩人会」参照)。高橋喜久晴によれば、カトリック新聞には創刊を伝える囲み記事が出たとのことなので(高橋『遙かなる異郷にあらず』八一頁「詩人澤村光博」参照)、これが紹介記事ではなく新聞社の自社広告との誤認を招いたのかもしれない。  

*初出:『羚』16号、2005年6月