「『パリの宝石箱』サント・シャペル②」
標高130メートルとパリで最も高い信仰の場モンマルトルの丘にそびえる白亜のドーム、サクレ・クール寺院。「聖なる心臓」という名を持つこの寺院の正面には、二体の騎馬像が並んでいる。向かって右側が、フランスの守護聖女ジャンヌ・ダルク。左側は聖ルイことルイ9世。フランス王国・カペー朝の王で在位は1226~1270年。敬虔なキリスト教信者で南フランスの異端アルビジョワ派に対するアルビジョワ十字軍を終わらせ、王権を南フランスまで及ぼするとともに、第6回と第7回の二度の十字軍を起こした。そして、その信仰心と十字軍活動に対して、ローマ教会から「聖人」の称号を贈られた。
「聖ルイ」=「サン・ルイ」の名は、シテ島と並んでパリ発祥の地とされる「サン・ルイ島」(ここにある唯一の教会は「サン・ルイ・アン・リル教会」)やアンリ4世が皮膚病専門病院として建設を命じた360年の歴史をもつ「サン・ルイ病院」(Hospital Saint Louis)に残っている。「サン・ルイ」は英語では「セント・ルイス」。アメリカミズーリ州東部の町セントルイスも聖王ルイに由来しているのだ。この町にあるセントルイス美術館前には十字架を掲げた聖ルイの騎馬像が設けられている。
ところでサクレ・クール寺院の聖ルイ像。右手に剣、左手に持っているものは何か?キリスト受難の聖遺物である「荊冠」である。ルイはこれをどうやって入手したのか?当時にあっては極めて珍しかったのだが(聖遺物の多くは略奪によって入手された!)1239年にコンスタンティノープルのラテン帝国皇帝ボルドワン2世から購入した。その金額は13万5000リーヴル。なんと当時のフランスの国家予算25万リーヴルの半額以上!そしてこの「荊冠」を十字架の断片などの他の聖遺物とともに収容する礼拝堂として4万リーヴルを投じて建設されたのが「サント・シャペル」だったのだ。
現在では、コンサートなどが催される以外に、もはやサント・シャペルは礼拝堂としては使われていない。しかし、かつて聖ルイは、つねにはだしでここでミサにあずかった。後陣の中央の壇上(現在は何もない)には聖遺物箱が安置されており、聖ルイはみずからその壇上にのぼって、宝石をちりばめたこの箱のふたを開けて、会衆の前に聖遺物を開帳して見せたのだった。見事なステンドグラスの光の洪水にひたりながら、聖遺物にすがらなければ生きられなかった、信仰を堅持しなければ生きられなかった中世の人々の精神世界に想いをはせたい。
(「サクレ・クール寺院」二体の騎馬像)
(「聖ルイ像」サクレ・クール寺院)
(「ジャンヌ・ダルク像」サクレ・クール寺院)
(モンマルトルの丘にそびえる「サクレ・クール寺院」)
(「サクレ・クール寺院」)
(エル・グレコ「ルイ9世」ルーヴル美術館)
(「サン・ルイ島」)現在は高級住宅地。女優の岸恵子が住んでいる。
(「サン・ルイ病院」)
(「聖ルイ騎馬像」セントルイス美術館)