中学受験のリベンジを高校受験でかました少年のお話【慶應義塾高校合格体験記】
本日は、当塾の開校当初に来てくれたある少年の合格体験記についてのお話です。
彼の合格先は第一志望だった慶應義塾高校。ただ、それはひたすら苦難の道でもありました。そこに秘められたストーリーとは。彼の体験記を引用しながら進めていきましょう。
もともと小学生の時に慶應義塾の中等部を目指していましたが、塾での成績は悪く、クラスも最下位でした。結局、途中で諦めてしまいました。その後、小6の時にこのHOME個別指導塾に通い始め、公立中高一貫校の受検を目指しました。
そうそう、彼に出会ったのはまだ彼が小学生の頃でした。「一年の準備では難しい」ということを承知の上で、彼は中高一貫校合格を目指して猛勉強をしました。夜遅くまで黙々と勉強していた彼の姿を覚えています。当日の朝、受検する学校の前で出会った彼は良い顔をしていました。
しかし、残念ながら不合格。
私も凹みました。でも、そこから彼のリベンジ大計画が始まりました。
中学校での成績は中学受験で培った学力や学習習慣が功を奏し、4と5のみで乗り切ることができました。
中学受験の際に多くの知識や思考力問題を解いた経験が、中学でも大いに役立ちました。そして、それらの知識や経験に甘んじることなく、彼は中学校生活でも努力を続けました。しかし、再び彼を苦難が襲います。
模試の判定も右肩上がりでした。三年の春までは。
周りも本気の努力を始めるこの時期から低迷期が続きます。
夏は必死でした。徹夜の日も一週間分ぐらいありました。脳みそフル稼働の夏を超え、期待の秋を迎えました。「合格者の声」を読むと「秋に合格に近づきます」と書いてあったので自分もそうだといいなと思っていました。でも、現実は違いました。むしろ下がりました。判定が努力圏になって、大きな不安が僕を襲いました。そして、その不安を抱えたまま、冬が来ました。
ついに勝負の冬です。不安も、焦りも、苦しみもたくさん抱えていました。しかし、ここで弱気になってはいけないことを、彼は経験で知っていました。
冬は過去問中心でした。大体1教科60点ぐらいを目標にしていました。初めの頃は30点くらいしか取れませんでした。でも「最初はこんなもん」と思っていたので、ショックはそこまで受けませんでした。しかし、年度を遡っていっても60点台が取れませんでした。同じく慶應を目指していた人からは嫌味ったらしく「俺その年合格点とったよ。それだとヤバくね」と鼻で笑われました。
彼の心は折れかけます。
僕は家で色んなものを投げました。ペン。過去問。ぬいぐるみ。プリントはビリビリにしてクシャクシャにしてゴミ箱狙って投げました。でも、僕にはそれらを拾って、机に向かうことしかできませんでした。後戻りはできませんでした。やるしかなかった。
彼は、いつかの彼よりも強くなっていました。
一次試験当日。気持ちは落ち着いていました。始まりのチャイムが鳴り、ただひたすらに問題を解き、試験を終えました。
そして、合格発表の日。気持ちはビクビクしていました。午後1時。自分の部屋で右手の親指を震わせながらスマホの画面をタップしました。「一次試験を通過しました」という文言を見て「フェ!」と今まで出したことのない声が出ました。その日は泣きました。まだ一次試験を勝ち抜いただけなのに。
自分の手で掴んだ勝利。それが嬉しかったんですよね。そして、二次試験を乗り越えた彼に、ついに運命の瞬間がやってきます。
運命の日。気持ちはフワフワしていました。「えい!」と叫び、スマホの画面を勢いよく押しました。画面を見た時は不思議な気持ちでした。努力が報われた快感と、本当にやっていけるのかの心配が混ざった感覚でした。でも、やっぱり嬉しい。最後はえもいわれぬ嬉しさに包まれていました。
見事、リベンジ達成。
素晴らしい結果は、素晴らしい努力の結晶です。もちろん合格は確かに素晴らしいけれど、それ以上に素晴らしいのは、そこまでの努力だと私は思います。
積み上げてきたものは、これからの道でも最高の武器となって、彼を守ってくれることでしょう。本当におめでとう。頑張ったね。
最後は、彼の好きなこの曲の歌詞で締めましょう。Mrs.GREENAPPLEで、僕のことです。
ああ なんて素敵な日だ
幸せに悩める今日も ボロボロになれている今日も
ああ 息をして足宛いている
全て僕のこと
あの日の僕らのこと
これからの道も、良き旅路になりますように。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
すべての挑戦が尊いよね。