なつたろうの思い出 vol.4<藤岡なつゆ>
「サツキとメイ」
わたしには、七つ下の妹がいる。まさにサツキとメイくらいだろうか。大学進学でわたしも弟も家を出てしまったせいか、ほぼ一人っこのように育ち、また姉兄の友達とも一緒に過ごせるくらいに肝が座って、コミュニケーションにも長け、精神的にもずいぶんと追い越されたように思う。ずばっと言われて、たじたじな姉、なんてことも多々。今やどっちが姉で妹なのかわからないくらいだ。そんなわたしもちゃんと姉だったという話をしておこう。
妹はわたしが小学二年、弟が小学一年の冬に産まれた。どうしても同性のきょうだいがほしかったわたしは、仏壇と母のお腹に毎晩手を合わせて拝み倒した。ついに母から「赤ちゃんができたよ」と聞いたときは真っ先に仏壇に向かって「ありがとうございました」と土下座したものだ。
妹は幼い頃のわたしと瓜二つで、それもまた愛おしく、お姉ちゃんははりきって、おむつを替えたり、ミルクをあげたり、指を噛まれたり、髪を引っ張られたりしてあげた。首が座って、寝返りができるようになって、座れるようになると、次はハイハイ。部屋に一人置いてけぼりにするとわたしを探し回って、見つけるとうわーんと泣きついてくるのが可愛かった。(いやな姉だな。)わたしが弟とシャボン玉をしていたら、いつのまにか隣にきて、真似をした。こうやってやるんよ、とストローを口に加えさせたら、シャボン玉の液を飲んでしまって慌てたこともあった。幼い子は吸うことは本能的に知っていても、ふうっと息を吐くことはちゃんと教えないとわからないのだということをそこで学んだ。
保育園に上がると、同年代の友達をよく家に連れてきていた。当時わたしは小学校高学年、念願の一人部屋を獲得し、自分の時間をじっくりと味わっていたときに、突然バーンと部屋に入ってきて「わたしのおねえちゃんでーす!」と友達に紹介された時ははなはだ迷惑だったが、今思うと、これまた可愛いエピソードである。
ある冬の休みの日、前の晩に一緒にお風呂に入り、明日は早く起きようね、と早めに布団に入り、約束通り、まだ薄暗いうちにそうっと二人で起きて散歩に出かけたことがあった。雪がまだ少し残っていて、坂を下ったところにある集会所の前にゆきだるまを作った。近くの畑に入って、出来立ての霜柱をざくざく踏んだ。明るくなる頃には体が冷えて、すぐに帰ったけれど、この短い映像がずっとわたしの脳裏に焼き付いている。ちなみに、その後、小学校のみんなで応募した俳句大会で、この思い出を詠んだわたしの一句が入選した。
わたしが大学一年か二年のころ、妹は小学校を卒業したところの春休みだったか、中学上がったばかりのゴールデンウィークだったか、「そうだ、京都へ行こう」とCM のように思い立ち、リュックを背負って、二人きりで京都へ行ったことがあった。嵐山へ行き、自転車を借りて、竹林をまわり、出口のお土産屋で綺麗なビー玉を買って、レンタルサイクル近くの古本屋で妹が杉浦日向子の「四時のオヤツ」を買った。姉の威厳をと思い、食事も宿も全部支払ったら、帰りの電車賃がなくなってしまい、妹に立て替えてもらった。帰りの電車では何を話したか全く覚えていないけど、二人してずっとお腹を抱えて笑っていた。本当に何がそんなに面白かったのか。
しばらくして、高校を卒業した妹は京都の学校へ進学した。いまや姉の威厳など皆無なわたしだが、ぼそっと「まあ姉ちゃんと行った京都が楽しかったんかな。わからんけど。」と言われたときは、照れ臭くも心底嬉しかった姉である。
文:藤岡なつゆ