第4回十字軍17-マグナ・カルタの制定
2018.05.09 11:52
ついに近代憲法の先駆けといえる「マグナ・カルタ」が制定される。ちなみに不文憲法であるイギリスではマグナカルタは未だに有効。ともかく近代憲法は、為政者の権力を制限するために生まれた。ここらへんをしっかり認識しないとえらいことになる。要するにプランタジネット家はよそ者、フランス人の王なのだ。
ところがジョンは大陸の代々の領地を失ったあげく、フランスでの戦争にイギリス諸侯に税金をかけたのだ。それで負けて帰ってきたのだから始末が悪い。この点仏王フィリップ2世は、ジョンの家臣を裏切らせたので戦費調達は苦労せずにすんだ。
イギリスに居着いたノルマンはすっかりイギリス人化していた。1215年1月から諸侯はジョンと交渉したが、ジョンはこれまでの法の順守を拒んだ。そこで内戦となり、ジョンはロンドンを追放。ウィンザー城に籠るジョンに、貴族代表が交渉に行き、結ばれたのが最初のマグナ・カルタ(大憲章)」というわけである。
ところが、このマグナカルタを教皇インノケンティウスが認めない、つまり一番偉いのは教皇だから。解放されたジョンはこれでまた掌を返す。堪忍袋の緒が切れた貴族は、仏王太子ルイを呼びこんだ。勇躍上陸したルイはイギリスの東半分を従え、他の制圧に乗り出した。しかし1216年10月、やっかい者の王ジョンが亡くなると、諸侯は9歳の息子を国王にして、一転ルイに歯向かい、リンカーンの戦いで大敗したルイは帰国した。
下はマグナ・カルタに署名させられるジョン王