首を左右に向ける
首を右にまわしてみます。
左にまわしてみます。
同じですか?
違いがありますか?
と言われると最初は同じですと答えられます。
まさかそんなことを質問されるとは思っていないからかもわかりません。
そこで小さく動かしてくださいと言うと差をわかってくれたりします。
大きな動きと小さな動きは感じ方が違います。
大きく動かすと勢いがあるのでわかりにくいけど、小さな動きだと勢いがないので力の入り方がよくわかるという訳です。
この時どのあたりが突っ張りますか?
肩に力が入っている人とそうでない人では違和感を感じる場所が違います。
肩に力が入っていることに気づかずに動かす人もいます。
肩を落とすようにすると首に力が入っているのがわかります。
肩をあげて首を動かした時と肩を下げて首を動かした時も違いがあります。
首を動かすという単純な動作であっても肩を落とすかあげるかで大きな違いがでます。
首肩の凝りがある人は、首と肩を一緒に動かしてしまいます。
つまり首をまわしても肩も一緒にまわってしまうので首の純粋な緊張を感じ取れない。
ということがあります。
こういう運動を代償運動と言いますが、これがかなり曲者です。
首を動かした時の代償運動をかなり意識しないと必ず首と肩が一緒に動いてしまいます。
純粋に首だけを動かすと肩凝りのある人は動かせていなかったことに気づきます。
これに気づかないと首の緊張を解除することはできません。
それができないから首の凝りを解消することができません。
MBR法を使っても、まずそれが意識できないと効果がありません。
また首を曲げながら首以外のところに意識をもっていくと意外にも胸やお腹、足にまで影響がでているのがわかります。
そんな馬鹿な?
って思うかもわかりませんが、よ~く観察するとそれがわかってきます。
立ち方も変わります。
頭は重いですから、頭の位置が変われば必然的にそうなりますが、そのことに注意を向けられる人とそうでない人では大きな違いがあります。
ただ首を動かすだけでもこれだけの違いがある訳です。
それが人によってそれぞれ違います。
同じところを刺激して同じ効果を期待するのは、愚かなことです。
効果的だということは言えても実際の臨床では参考にしかなりません。
テクニックは同じことをして同じ効果を期待する方法論です。
テクニックを超えなければ絶対に治療はありえないと言えます。
そのためには最大限の感性を使う必要があるということです。
感性を使うためには知識を捨てなければなりません。
知識を得て、知識を捨てる。
守破離そのものです。
治療は守破離です。
しかし、それはどんなことにも共通します。
ルールを超えたところにしか独創性はありません。
ルールを超えられる大らかさがないから独創性がなくなってしまうということです。
首を動かしただけで、そこまで考える人もいれば、ただ首を動かしたということしか印象に残らない人もいます。
人それぞれ、それが人です。