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表参道 0001 飛行機が富士山の真上を通る日 ロマン主義を廃止しよう

2017.12.05 15:43

この写真は、富士山です。
 
人間の排泄器官でありません。
 
 
子供の頃に、本駒込に暮らしていました。
 
今も、実家がありますが、息子夫婦に寝取られました。
 
 
横須賀に、家を買いましたが、
 
今は、娘夫婦や孫だらけです。
 
 
お金と一緒に死ねませんから、当然ですが、
 
新しく、檜町にマンションを買いましたので、
 
子どもたちは、呆れ返っています。
 
 
もうすぐ死ぬくせに。
 
 

だから、言っておきます。
 
 
病気でないのに、精神病や精神病院があるのは、
 
近世や近代の、欧米のロマン主義が、
 
中世ヨーロッパの魔女狩りを継承して、
 
裁判を受ける権利を与えずに、他人の人格を殺せば、
 
さらに一層完璧であると、実行に及んだからです。
 
 
日本の明治憲法や、マッカーサーの日本国憲法などは、
 
純粋なロマン主義を、目論んでいます。
 
 

とりわけ、統合失調症や妄想性障害や躁鬱病などの、
 
抗精神病薬を使い、治療と詐称する種類の、
 
狭い意味での精神病は、神経伝達物質についての、
 
抗精神病薬のアンタゴニストの作用と、
 
その依存症や禁断症状が、
 
診断基準に記載された症状であるに、すぎません。
 
 
未治療の診断以前に、
 
神経伝達物質の機能の異常があったとの証拠を、
 
提示できる症例はなく、
 
原因となる器質的な病変は、皆無です。
 
 

狭い意味での精神病の、診断基準に記された症状は、
 
抗精神病薬やロボトミーなどの、
 
治療と称する処方の、当然の結果であり、
 
健康な個体なら、だれでも同じ結果を招くことから、
 
精神科の診断と治療が、
 
裁判によらない処刑であることは、明白です。
 
 
身体や脳の器質に、原因となる病変がありませんから、
 
当人の希望でなければ、
 
単なる流行の価値観により、市民を廃疾に処する権力を、
 
精神科医が、医療の名のもとに、
 
強制的に実行しているに過ぎませんが、
 
そのような特定の価値と権力の関係は、
 
法律はもとより、診断基準にも、
 
何ら民主的に規定されていません。
 
 

旧ソ連の粛清と同じ手段が、世界の中でも、日本で、
 
最も端的に行なわれていることを、日本人は知りません。
 
 
西欧の趨勢は、
 
すでに、精神病院の廃止に、踏み切りましたが、
 
精神科が、精神病院を必要とするのは、
 
狭い意味での精神病を、
 
捏造もしくは偽造することにより、
 
特定の個人の人格を、闇から闇に葬り去るのでなければ、
 
精神科医の、拝金主義や権威主義などの、
 
権力維持を動機とする劣情に過ぎません。
 
 

精神科は、医療を行なっているのでなく、
 
権力による公然とした犯罪に加担しているだけですが、
 
平和な日本ですから、
 
医療が、権力の本体であるのは、言うまでもありません。
 
 
学力優秀なら、医者になることを望むのは、
 
あたり前です。
 
 

実際に、精神医療が、権力の暴力装置でありながら、
 
国民が気づかないのは、頭が悪いからです。
 
 
数学の出来ない法律家が、賢くないように、 
 
精神科医の知能も、権力を握りたいと思うくらいの、
 
五十歩百歩の代物(しろもの)です。
 
 

もしも、あなたが、猿の惑星に生まれたなら、
 
一流大学出身のエリートの猿になりたいと、
 
思うべきか、思わざるべきなのかと、悩むでしょう。
 
 

人間と人間の関係も、黒人と白人のように、
 
猿と人間の関係に相似であると、考えるのが、
 
進化論ですが、
 
猿と人間は、自然に生殖できないように、
 
遺伝の変更不能も、
 
人間と人間の流行文化が、
 
ブルドックやダックスフンドを作ったのと相似の、
 
人間同士の取捨選択が原因です。
 
 

毛沢東が、「平和は、鉄砲を使わない戦争である」と、
 
言い放ったのは、正しかったと、ポルポトは信じました。
 
 
知覚の対象の事実を、知覚の主体の精神が、知覚すると、
 
ロマン主義は感じ、
 
鉄砲や黒船や原爆などの科学技術を、確信しますから、
 
自然淘汰や適者生存を、演出する黒幕が、誰であるかは、
 
火を見るよりも明らかです。
 
 

科学主義を唱えるロマン主義の典型は、
 
マルクス主義の唯物論でしょうが、
 
日本の精神科も、それに近い。
 
 
異人種と異民族の大量虐殺や
 
共産主義革命や2度の世界大戦などは、
 
ロマン主義の産物です。
 
 
精神医療が、それを支えていることを、
 
知らなかったあなたは、賢くない。
 
 
このブログは、瞬時に理解できなくとも、
 
人生経験を積めば、
 
じわじわと、わかってくるものなのか、
 
それとも、死ぬまでわからないものなのかを、
 
明らかにしません。