Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

イチョウ並木 東京大学 0054 知覚と論理法則と科学技術

2018.01.28 06:01

今頃に写真を撮るあほは、私1人です。

 

でも、この枝振りと言い、狭い道と言い、

幹の美しさと、いつも子供が遊んでいる光景は、

忘れられません。

 

懐かしい青春時代が、毎日続いて、老いぼれて行くのは、

残酷です。

本郷キャンパスの前を、結構、通りますが、

中を通り抜けることは、できるだけ、避けています。

あとは死ぬだけの年齢になり、青春を振り返りたくない。

 

銀杏は、落葉しても美しく、街路樹にしたいけれど、

実が臭くて、かなわん。

人間も、年老いると、臭くてかなわんと、自分で思いますが、

女でなくて、良かった。

 

男から女に性転換する人は、年寄りの女を知りません。

若い女しか、見ていませんから、

女から男に性転換するほうが、賢いような。

 

ごつごつの樹肌のイチョウが、実をつけるのは、

梅の花のように、風流です。

 

 

   ***    ***

 

 

何を、どのように知覚したかを、

私たちは、直接に、他人に伝えられません。

 

電気ケーブルで繋いでも、

私の知覚の内容が、他人にコピーされることは、

ありません。

 

言葉や絵や写真やボイスレコーダやビデオなどの、

コミュニケーションのためのメディアを使い、

事実と言われる表現を、

他人に伝えなければなりません。

 

痛いとか美味しいとかは、相変わらず、言葉が頼りですが、

言葉や絵と違い、

写真やボイスレコーダやビデオなどの、科学技術は、

事実の伝達に、嘘や間違いがないと、思われましたので、

ロマン主義は爛熟して、

19世紀後半から、20世紀前半にかけての、

科学主義による共産主義革命や、2度の世界大戦や、

ホロコーストなどを、惹き起こしてから、

ナチスドイツや旧ソ連などと共に、滅びました。

 

日本の、大日本帝国憲法や日本国憲法は、

純然たるロマン主義を標榜しています。

科学技術立国は、日本の政策です。

 

ソ連が潰(つぶ)れたのは、

ノーメンクラツーラと言われる官僚主義と、

コンピュータに乗り遅れたからと、言われています。

 

日本経済が左前になったのは、

バブルが原因と言われていますが、

家電製品を世界に売りまくったにもかかわらず、

コンピュータに負けたからでないかと、疑われています。

 

鉄砲や黒船や原爆と来て、コンピュータになったことを、

ナチスドイツやソ連や日本は、

理解できなかったのでないかと、疑われます。

 

 

   子供の頃に、

   日本人は、俳句や浮世絵などの、詩的な感覚が鋭く、

   長編小説や学術論文のような論理を、理解できないと、

   教わりました。

 

   日本人は、

   自然の摂理のような論理法則が、科学技術を貫いていると、

   誤解します。

   何と何と何が、論理法則の教条であるかは、

   誰が決めたのでもなく、自然の中に、最初からあり、

   科学技術は、自然に埋もれている規則性を、

   運慶が仏像を彫り出すように、発見すると。

 

   事実は1つであり、科学技術が矛盾しないのは、

   そのような摂理が、知覚に因らずに、知覚の外にあり、

   知覚が、自然の摂理に、制約されているからと。

 

   そのような考え方を、唯物論と言い、

   唯物論や科学主義は、マルクス主義が掲げたように、

   ロマン主義の1派の特徴ですが、

   科学主義を掲げたにもかかわらずに、

   ロマン主義は、1946年のコンピュータの登場と共に、

   滅びました。

 

 

写真やボイスレコーダやビデオなどの科学技術は、

個人に知覚された事実が、他人にも知覚されることを、

どのようにして保証するのでしょうか。

 

知覚の仕組は、遺伝して、

ほとんど生まれながらに、変更不能ですから、

人それぞれの知覚や、知覚された事実が、

遺伝形質の組合わせを超えて、

すべての人に、自然に一致するとは、思えません。

 

自然は規則的でなく、自然には不均一でないかと、

疑われます。

論理法則の教条は、自然にあるのでなく、

流行文化にすぎないのでないかと。

自然にあるのは、

人それぞれの遺伝的な組合わせの、

変更不能だけでないかと。

 

個人の知覚は孤立して、他人に正しく伝えられないと、

欧米人やインド人は、古代から考えていましたが、

写真やボイスレコーダやビデオなどの科学技術により、

解決されたと、誤解したので

共産主義革命や、2度の世界大戦や、

ホロコーストなどに至り、

ナチスドイツやソ連などと共に、ロマン主義は滅びました。

 

コンピュータの成功を見れば、

ロマン主義の誤解は、明らかですが、

インド人は、瞬時に気づいても、

日本人は、生涯、理解できないかも知れません。

 

 

   ロマン主義が滅びたとは、

   どのような意味なのでしょうか。

   写真やボイスレコーダやビデオなどの科学技術が、

   事実の確信を掲げたのは、間違っていたのでしょうか。

 

   事実のように、権力に由来する概念が、

   自然に由来するとされる科学技術の規則性に、

   保証されることは、あり得るのでしょうか。

 

   そんなことは、あり得ないから、

   ナチスドイツやソ連が潰れたのに決まっていますが、

   日本人は、理解できません。

 

   事実は、社会的概念でなく、自然の概念であると、

   日本人は思っていますので、

   知覚は、人間の出来事を、自然のように、

   客観的に見ることができます。

   知覚の対象の事実を、知覚の主体の精神が、

   客観的に見ることが出来るそうです。

 

   私は、知覚の主体の精神が、自然現象でなく、

   文化のように感じられますので、

   知覚が、流行文化の産物の論理法則に、

   一致するのを、実感します。