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スギの雄花 0061 精神病の廃止と、論理法則という知覚の遺伝形質

2018.02.04 02:16

アレルギーの人は、困るでしょうが、私は平気です。

綺麗なもんだと、思いながら、眺めています。

 

スギは長生きする木ですが、

セコイアやメタセコイアと同様に、

化石の時代から、しぶとく生き残っています。

 

セコイアにしても、杉にしても、

放って置いても育ちやすく、病気に強く、

なかなかのものですが、庭木にするには、大きすぎる。

 

 

   ***    ***

 

 

精神病院の精神疾患の典型は、統合失調症ですので、

医師の言う精神病は、精神疾患の中でも、

治療と称して抗精神病薬を強制的に投与する種類の、

統合失調症や妄想性障害や躁うつ病などの、

狭い意味での精神病を指します。

 

広い意味での精神病は、精神疾患と同じです。

紛らわしいので、医師は、狭い意味でしか、

精神病という言葉を、使いません。

要するに、精神病は、統合失調症とその近辺の病気です。

 

 

統合失調症の症状は、診断基準に書かれている通りですが、

抗精神病薬の精神的な作用を、精神症状としています。

 

脳の機能全体が、強制的に低下させられることによる症状と、

その依存症や禁断症状などです。

 

精神病は、抗精神病薬の投与による病気であり、

それ以外の原因は、ありません。

 

 

   西欧では、すでに精神病院が廃止された国もあり、

   廃止の傾向は、はっきりしていますが、

   ロシアやアメリカ合衆国では、今なお盛んであり、

   今後20年以内に、廃止される可能性は、ありません。

 

   抗精神病薬を投与することにより、

   健常者を精神病にするのは、懲罰のためですが、

   裁判に依らずに、

   犯罪の証拠や証明が、皆無であるだけでなく、

   精神症状があったという証拠や証明も、皆無であり、

   精神科医の恣意により、

   ほとんど瞬時に、不可逆的な身体刑が、

   治療の名のもとに、執行されます。 

 

   精神医療は、

   憲法の、残虐な刑罰や私刑に相当しますが、

   基本的には、人格についての、殺人ですので、

   加害者の精神科医を、

   こまめに処罰しなければいけません。

 

   人口の1%が、精神病とされて、

   強制的に抗精神病薬を投与されますので、

   それだけの件数の、

   権力による殺人未遂罪が、看過されています。

   

 

抗精神病薬は、1日の所定量を、

2週間を超えて投与し続けると、

その作用が、精神病とされる基準に達します。

 

それ以後は、

毎日、所定量の抗精神病薬を補充しなければ、

陽性症状と言われる禁断症状が現れます。

補充し続けると、

陰性症状と言われる依存症が現れ、死に至ります。

 

本人の意思により、

個人的に抗精神病薬の服用を中止することは、

医師の協力がなければ、できません。

麻薬の依存症と同じ理由です。

 

強制的にやめさせるために、

医療施設が必要ですが、

精神病院は、抗精神病薬を強制的に投与して、

健康な人間を、精神病にする施設ですから、

精神病を治療しません。

 

 

   当然、精神病は治りません。

   作るときは、10秒で済みます。

 

   デポ剤と言われるロングライフの注射液を打つと、

   アンプル1本で2週間、2本で1か月間、

   効き続けますので、

   健康な人間に、注射1本を打つだけで、

   生涯の不可逆的な精神病が、完成します。

 

   精神病は、

   抗精神病薬の強制的な投与が、唯一の原因です。

 

   イタリアは、1980年代に、精神病院の廃止により、

   精神科と精神病と抗精神病薬の廃止を試みましたが、

   精神科医を懲罰しない方法は、笊(ざる)であり、

   さしたる効果はないと、思われます。

 

   ロシアやアメリカ合衆国が、

   精神病院による権力維持を放棄しないことから、

   わかるように、基本的に、

   精神病の診断と治療の禁止および懲罰を、

   医療制度に盛り込まなければ、

   医者の非行を根絶できません。

   抗精神病薬の廃止が、端的です。

 

 

世間一般の知能が、IQ150未満だから、仕方ない、

という意見もあります。

   

精神病には、合理的な診断の根拠がなく、

未治療の精神病があるとする論拠もないことから、

精神病は抗精神病薬の中毒であると、勘づくために、

IQ150以上の知能が必要であると、言うのです。

 

私は、医原病に気づく人と、気づかない人を、

知能検査により比較したことがないので、知りませんが、

東京大学医学部学生の平均知能が、IQ145程度ですので、

少し厳しい気がします。

 

その知能では、一般的に、事実を知る能力が、足りない。

 

精神医療の事情を説明して、

精神病が、偽りの病気であり、

本当は、抗精神病薬による医原病であると、講義すれば、

IQ145の学生は、十分に理解できますが、

その反対のことを、講義したにもかかわらず、

講義の内容が医療の実態に則しておらず、

証拠や証明がなく、

本当は、抗精神病薬の依存症が精神病であると、

気づくには、心もとない。

 

五十歩百歩ですが・・・

 

 

   刑事事件の判決を読めば、わかりますが、

   捜査当局の提出した証拠が、捏造でない、

   という証拠や証明がありません。

 

   これでは、裁判は底抜けですが、

   学術論文も、そう。

   実験データに嘘偽りがないと、

   読者には、わかりません。

 

   実験データが捏造でないと、証明しない論文は、

   眉唾と思うべきですが、

   疑わずに信じることの危険性に、

   学者は、少しも悩みませんので、

   疑う能力がないかも知れません。

 

   裁判のほぼ全部は、

   証拠が本物である、という証明がありませんから、

   子供のままごとと、大差ないことに、

   民衆のほとんどは、一生かかっても、気づきません。

 

   この差を、知能と言っても、仕方ないような。

 

 

抗精神病薬の作用は、ドーパミンやセロトニンなどの、

いくつかの神経伝達物質と関係がありますので、

精神病との関係を書いた論文が、5万とあります。

 

ドーパミンやセロトニンなどの、

神経伝達物質の過不足により、精神病と診断された患者を、

わたしは、1人も見たことがないだけでなく、

神経伝達物質の量を測ってから、

精神病と診断した精神科医を、1人も知りません。

 

未治療の初発の患者に、

精神病の症状があったという事実が、

証拠や証明により、確認された例は、

世界中を探しても、1例もありません。

 

精神症状が出ていた、とする記述は、

腐るほどありますが、

精神症状が出ていたのが、事実であると、

証明された例は、皆無です。

 

医原病でない精神病は、

世界中を探しても、1例も見つかりません。

幻の病気です。

 

言葉は、嘘かも知れないので、

証拠や証明がなければ、事実と確定できないことを、

理解できる人なら、精神医療の実態を知らなくても、

精神病に関する記述を読めば、すぐにわかりますが、

わからない人は、精神医療の現場で働いても、

死ぬまで、わかりません。

 

どのような証拠や証明があれば、事実とされるかが、

わかる人と、わからない人がいて、

刑事裁判が茶番であると、わからない法律家は、

一生かかってもわからないほうの、代表かも知れません。

 

 

    それなら、IQ145うんぬんの話のように、

    知能の問題かと言うと、

    それは、違うと、私は言っています。

 

    これこれの証拠や証明があれば、

    間違いなく事実であると、わかる仕組は、

    論理法則によりますが、

    ただの文法と違う理由は、

    世界共通であるからと言うよりも、

    知覚の仕組と同一であるからです。

 

    言語や文法や民族などを、

    超えているかどうかは、怪しいもので、

    むしろ、人により、

    論理法則の教条は、違いますから、

    大変です。

 

    言葉は、

    使用されるたびに、新しく定義されると、

    言い放った学者もいるくらいに、

    何が言葉の意味かを、だれが定義しても、

    権力を動員しなければ、

    個人的な拘束力しか、ありません。

 

    通じれば、問題ありませんし、

    通じなければ、力づくにならざらを得ません。

 

    事実と言われる知覚の内容は、

    一層完全に、個人的ですから、

    権力なくして、みんなの事実は確定しません。

    

    論理法則の教条は、

    遺伝形質の組合わせを、表わしていますから、

    個体により異なります。

 

    みんなに共通の事実を確定する裁判が、

    権力による遺伝形質の選別であることは、

    言うまでもありません。

 

    邪魔な奴や、嫌な奴を、精神病として、

    人格を殺しますが、

    刑事訴訟に乗せずに、闇から闇に葬り去るのが、

    中世欧州の手口でした。

 

    現在も踏襲しているのは、

    ロシアとアメリカ合衆国であり、

    アメリカの忠実な僕の日本は、

    精神病を使った権力維持の、

    世界最右翼と言われています。

 

    要するに、

    アメリカやソ連や日本などの新興国は、

    後進国であると言われるのですが、

    これらの国の民衆は、

    事実の証明を直感的に知覚する形質を、

    遺伝的に継承していない可能性が高い。

 

    

論理法則の個々の教条は、遺伝形質の組合わせですから、

個体により、知覚の内容や仕組みが違うように、

論理法則の中身も違います。

 

通常は1才までに、運用する能力が形成されて、

以後は、いくら勉強しても、向上しません。

瞬間的にわかりますが、

わからない人は、一生かかっても、わかりません。

色盲のようなものです。

 

他人の知覚を、検証することが出来ないように、

論理法則は個人的であり、

みんなに共通の論理法則を設けることは、

色盲の人を、間引くようなものです。

 

論理法則の個々の教条は、

200カ条ほど、提案されていますが、

人により、生まれつきに違う遺伝形質に、

共通のものを設けることは、

精神的な遺伝病の診断基準と、

ほぼ同じ意味になります。

 

いったい、どのような顔なら、

病気と言われるくらいに、

生まれつきに遺伝的に不細工であり、

健康なら、どのような要件を、

備えていなければ、いけないのでしょうか。

 

みんなに共通の論理法則を決めることは、

エステティックに似ています。

大きなお世話です。

 

論理法則が、刑事訴訟や精神医療で使われる理由を、

はっきりと、させなければ、いけません。

なぜ、それが、みんなに共通の論理法則であるか、

という根拠を、はっきりと。

 

嫌(いや)な奴を、間引く根拠を。

 

論理法則がなければ、本当に困るのでしょうか。

遺伝形質の組合わせを、選択することが、

何を意味するかを、忘れてはいけません。

 

昔は、白黒テレビや白黒写真しか、

ありませんでしたが、

白黒だからと言って、別段、不自由しませんでした。

 

ただの遺伝形質の組合わせを、

色盲だからと言って、間引くように、

論理能力が低いからと言って、

頭の悪い法律家や精神科医を、

刑務所や精神病院に、放り込むべきでしょうか。

 

事実を知らなければいけない仕事に、

就くべきでないかのようですが、

論理法則が事実を決めますので、

頭が悪くても、法律家や医師になるべきかも知れません。

 

論理法則は、事実や精神の、知覚の遺伝形質です。

 

個人的な知覚の内容と、

言葉やビデオなどの、コミュニケーションのために、

他人に伝えられるメディアの表現とは、

全然違うものであることから、

ロマンティックな思想のように、

個人と社会の一致を、理想とするのは、

論理的であるのか、ないのか、よくわかりません。

 

個人的な知覚の特定の内容と、

多数に共通のメディアによる特定の表現は、

同じであると、

そのメディアの使用により、自動的に定義されます。

 

これは、論理法則であるのか、ないのか、

よくわかりません。

 

何と何と何が、論理法則なのか、

論理法則の教条が、定まりませんので、

論理を使った訴訟や医療だけでなく、

事実や精神の知覚は、

権力の恣意でなければ、不確実です。

 

論理法則は、数学や科学技術のように、

流行文化の泡にすぎません。