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ドイツトウヒ 0069 知覚と経験と事実、規則性やエステティックや音楽

2018.02.11 15:30

 

大阪の鶴見緑地で見かけましたが、

幹に、デカイ名札を巻き付けて、テーダマツと、書いてあります。

 

下のほうに枝がなく、葉を、手に取れません。

カメラのSDカードの中身を、パソコンで見ると、

葉っぱが短く、テーダ松(Pinus taeda)に見えません。

 

毬果が、ドイツ唐檜(ドイツトウヒ Picea abies)です。

手に取って見たのでなく、写真判定ですが、テーダマツでありません。

 

遠くから見て、ドイツトウヒと紛らわしいのは、

樅(モミ Abies firma)の木ですが、
モミの毬果は、ピンと上に立ちます。

ヨーロッパや日本で、

クリスマスツリーとして使われるモミの木は、

ほとんどが、だらんと毬果のぶら下がるドイツトウヒです。

 

おそらく、樅の木として売られています。

写真の木は、ドイツトウヒです。

 

まだ若木の、高さ20mぐらいでしたが、

下から見上げると、毬果が短く見えます。

たぶん、横から見ると、もっと長く、

男性器よりも、遥かに太いが、

ドイツトウヒ特有の、にょろっと長く伸びた感じに、見えるはずです。

 

ヨーロッパトウヒや、オウシュウトウヒとも、言われます。

 

なんで、テーダマツと、間違えたのか・・・

全然違います。

でも、高いところにしか、葉がないので、

下から識別できなかったのかも。

植樹した時の名前でなく、後から同定したのでしょう。

 

公園の名札は、間違いが多いので、気を付けないと。

 

 

   ***    ***

 

 

知覚の対象の事実や、知覚の主体の精神などの、

個人的な知覚の経験と、

論理法則と言われる遺伝形質の組合わせによる知覚の、

個人的な規則性から、

わたしたちは、他人と共有するための、

公共の知覚や論理法則を、談合して、

科学や科学技術を、立ち上げたのでしょうか。

 

個人的な、知覚の経験や規則性でなく、

コミュニケーションのための、

言葉やビデオや音楽やエステティックなどの、

他人と共有されたメディアの表現が、

個人の知覚に依らずに、独立して存在すると、

科学技術や科学は、確信しました。

 

メディアの表現と規則性を、社会や自然の、事実や摂理として、

個人の知覚しない権力を、信じるかのように、

科学的な文化や自然を、吹聴しました。

  

わたしたちは、科学技術や科学のように、

文化的に作られた事実や精神を、個人的に知覚しています。

技術と言われるメディアの事実に、

科学と言われるメディアの規則性を、適用して、

科学技術を知覚します。

 

そのことを、ロマン主義は、

事実と精神や、個人と社会や、個人と自然や、社会と自然などの、

一致と言います。

権力が、中央集権を目指したようなものです。

 

 

   わたしたちは、個人的な遺伝形質によらずに、

   公共の事実や精神を、知覚できるのでしょうか。

   コンピュータは、ロマンティックな考え方に、

   矛盾しないのでしょうか。

 

   個人の知覚に依存しない社会や自然の、

   秩序や摂理や論理法則などの、規則性は、

   権力の帰趨ですので、

   科学技術や科学は、刑事訴訟や精神医療のように、

   公共の事実や精神の、不正な捏造に見えます。

 

   無意識の自動的な知覚から、

   論理法則と言われる規則性が意識されれば、

   個人的な事実が見えるように、

   メディアの規則性を、個人的な事実に適用すれば、

   自然の摂理から、科学技術を得たと、表現されます。

   

   ロマン主義は、科学主義や社会主義を掲げましたが、

   ムソリーニやヒトラーやスターリンの目論見は、

   破綻しました。

  

   第二次世界大戦後の日本国憲法は、

   全世界で、最もロマンティックな憲法ですが、

   大日本帝国憲法が、

   そもそも、ロマン主義を標榜していたのに、

   戦争に負けて、余計に、ロマンティックになりました。

   あほです。

 

   日本国政府が、科学技術立国を掲げたので、

   日本経済は、バブルになり、破綻しました。

 

 

何が間違っていたかは、言わずと知れています。

ロマン主義の間違いを、

コンピュータは、はっきりと指摘しています。

 

日本は、家電製品の製造販売が、得意で、

テレビや冷蔵庫や洗濯機のある生活を、

世界中に普及した張本人なのに、

電卓を売りまくって、高度経済成長を果たして、

なぜ、コンピュータに負けたのかを、理解できません。

 

コンピュータは、はっきりと言っているのに。

   

事実や精神や自然は、定義された規則性である。

変更されない定義は、ない。

 

科学技術が、文化文明であるのでなく、

自然や、自然の摂理などの、定義された規則性が、

文化文明です。

 

事実や精神などの、知覚の成り立ちを知らなければ、

自然や科学の成り立ちも、理解できません。

 

脳みそは、樹状突起の枝分かれがあるだけです。

枝分かれは、算盤(そろばん)の珠(たま)と、同じです。


接着剤で固められた算盤の珠が、記憶の内容を表わすのは、

算盤の珠の位置が、数を意味するのと、同じですから、

翻訳すれば、言葉になると、簡単にわかります。

 

でも、珠を動かすことが出来るから、算盤は、役に立ちます。

接着剤で固められた算盤なんか、計算できません。

 

枝分かれの組合わせを、変更して、

違う道筋を選ぶ手順を、日本人は理解できません。

古代ギリシャから、ヨーロッパ人は、それを考えていたのに、

日本の権力は、刑事訴訟や精神医療のように、猿に近い。

 

 

   自然の摂理と言われる変更不能の規則性が、

   個人の知覚から独立して、
   最初から終わりまで、宇宙にあると、

   日本人は思っています。

 

   科学主義や唯物論や社会主義などの、

   ロマン主義そのものです。

   学校の教科書に書いて、子供に教えているんだから、

   韓国朝鮮や中国と同じです。

   

   従軍慰安婦に南京大虐殺。

   歴史の真実であると、

   教科書に書いて、教えています、あっちは。

 

   世界中が、韓国朝鮮や中国の味方になり、

   いくら、捏っち上げだと、日本人が抗議しても、

   世界は、言うことを聞きません。

 

   従軍慰安婦や南京大虐殺の証拠は、全部捏造です。

   自然の摂理や、科学の法則も、捏造に決まっているのに、

   日本人には、それがわかりません。

 

   捏造でなければ、何を根拠に、

   だれが、そんなものを作るのですか。

   みんな、個人の知覚を根拠に、作るんですよ。

 

   自然や科学の規則性は、

   こういう風にして、個人の遺伝形質から、

   殺し合いにより、作られました。

   その規則性を、みんなに普及するのを、権力と言います。

   そういう風に、小学1年生に、教えなければいけません。

 

   わたしは、小学2年生の時に、疑問に思いましたし、

   論理能力は、遅くとも1才までに完成すると、

   言われています。

 

   生まれた時から、

   事実や自然などの、公共の知覚や規則性は、

   喧嘩や殺し合いや権力闘争の結果であり、

   文化そのものであると、

   赤ちゃんに教えて、育てるのが、正しい。