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熨斗蘭 ノシラン 0072 金本位制や警察制度の、不必要性

2018.02.15 12:56

蛇(じゃ)の髭(ひげ)や、龍(りゅう)の髭を植えて、

土留めとしますが、

それの大きやつで、葉の長さが1mくらいになります。

 

夏は、蚊の住処(すみか)になりますから、

これを、庭に植える人は、いないでしょう。

 

リュウノヒゲのほうが、小さく、紫の実が可愛く、

実用的です。

なぜ、ノシランのように馬鹿でかいのを、

植える必要があるのか、疑問です。

 

どうせ、紫の実を、見るためですから。

 

熨斗蘭の名前が、何を意味しているのか、

よくわかりません。

花も葉も、ちっとも熨斗(のし)に似ていません。

のしは、大きいという意味かも。

 

ラン科でなく、昔のユリ科です。

今は、キジカクシ科(Asparagaceae)と言いますが、

アスパラガスの類です。

クサスギカズラ科とも、言います。

 

Ophiopogon jaburan の Ophiopogon は、

蛇の髭の意味です。

jaburan は、日本語の藪蘭に似ている、

という意味ですが、あまり似ていません。

  

 

   ***    ***

 

 

金本位制がなくなっても、

何の異変も、起こらなかったように、

警察がなくても、治安は、少しも乱れません。

 

犯罪が増えないどころか、

コソ泥や詐欺師や怠け者まで、殺されて、

社会は、ひっそりするかも、知れません。

 

精神科医や弁護士は、生きた心地がしませんから、

恨みを買わないように、

阿漕(あこぎ)なことを、行なわなくなります。

 

みんなに慕われる者が、威勢を張るのは、

当然ですから、

清水次郎長や新門辰五郎が、横行するのは、

仕方ありません。

 

間違いが多く、警察や裁判などの権力と比較して、

どちらが良いかと、思案するのは、

事実や善悪や科学などの、

ロマンティックな価値のせいでなく、

警察官や法律家と同様に、

算術の無能が、次郎長や新門の才能ですから、

どんぐりの背比べかも知れません。 

 

ロマンスは、物語にすぎませんから、

正しいロマンスや、不正な物語がないように、

事実や善悪や科学などは、みんなが喜べば、

それで良い。

 

幸せは、流行文化の徒花(あだばな)ですから、

地獄の苦しみや、極悪非道の憎しみに、

いとも簡単に変わり、

悶絶する苦しさが、至福の喜びや、清楚な美しさと、

讃(たた)えられて、少しも不思議でありません。

 

人柄や、人生の浮き沈みは、現金であると、

コンピュータは、算術の優越を、主張します。

 

法律家やヤクザは、

論理能力や計算能力がありませんから、

毛沢東の大躍進政策や文化大革命のように、

人類は、ロマンティックに絶滅して、

お目出度いことに、なりかねません。

 

 

   三国志やフランス革命のように、

   面白い物語を堪能して、死ねるのなら、本望です。

   警察は、要らない。

 

   アナキストめと、

   わたしは、何度も、学生時代に非難されました。

   ロマンティックな物語が、好きなだけです。

 

   コンピュータは、人類の増殖を、

   音楽のように計算します。

   流行歌のほぼ全部は、種付け歌でしょう?

 

   どうせ死ぬのに、人類の繁栄や幸せとは、

   権力でなければ、コンピュータの言い草です。

 

   世界で最もロマンティックで、

   時代錯誤の日本国憲法や天皇制を、

   しつこく奉じるのは、何のためでしょうか。

 

   毛沢東の大躍進政策や文化大革命に、期待するのと、

   同じです。

   人類の繁栄や幸せの、計算は、欲しくない。

   警察や裁判も、要らない。

 

   次郎長や新門で、行け!

   もうすぐ死ぬのに、面白いことをやらんと、損です。

   三島由紀夫は、そう言っていたのかも。

 

   わたしは若かったので、

   「コンピュータは、

   事実や善悪のない、素直な社会を作ります。

   人間は何もしなくて、構いません」と、

   三島氏に、教えました。

   人類が繁栄するための、医学的な手順を、

   コンピュータが示してくれると。

 

   人間の身体が、合理的に再利用される技術を、

   コンピュータは、普及するでしょう。

   鶏舎の鶏が、鶏肉を食べて育つのは、合理的です。

 

 

幸せや、愉快なんて、流行文化の価値ですから、

何が、そうであるかは、時代や場所や人により、

異なります。

 

寿命や人口は、数量化して計算できますから、

寿命が延び、人口が増えれば、

繁栄した社会や、幸せな国民の、証拠になります。

 

人口が多いにもかかわらず、寿命の長い社会が、

悲惨であった例は、ありません。

必ず、国民は満足しています。

 

寿命と人口を、増やせば、良い。

 

コンピュータが計算した通りに、実行すれば、

人は、幸せな社会に適応するだけで、構いません。

それが幸せであると、学習できれば、幸せです。

信じる者は、救われる。

 

そうでない人間を、犯罪者や精神病患者のように、

法律家や精神科医が、間引いてくれます。

 

遺伝形質を、最も長寿で、繁殖できる組合わせに、

調節すれば、

平均寿命は、簡単に、100才を超えます。

鶏舎で飼育するように、育てれば、

今世紀中に、150才に達するでしょう。

 

人間の身体を、有効に再利用して、飼料を作れば、

経済的です。

医者が、精神の健康を、管理してくれますから、

心配要りません。

わたしたちは、漏れなく、幸せになれます。

千手観音の慈悲の網に、救われるように。

 

 

   江戸時代の、現場の警察官は、皆、やくざでした。

   やくざが十手持ちでも、

   治安に、異常をきたさないどころか、

   現代よりも、犯罪が少なかった。

 

   110番やパトカーのない時代に、

   現代よりも、少ない犯罪は、

   桁違いに、治安の良い社会を、意味しています。

 

   十手持ちは、皆、賭場を開いていました。

   現代の警察は、何のためにあるのでしょうか。

 

   言わずと知れていますが、

   国民でなく、権力を守るために、必要です。

  

   わたしの若い頃に、金本位制がなくなりましたが、

   紙っぺらの紙幣の価値を、

   だれが、どのように保証するのかと、

   心配する人がいました。

 

   金に交換できない紙幣なら、

   いくらでも、印刷できるでないか。

  

   警察がなければ、だれが、人殺しを捕まえるのかと、

   心配する人は、頭が悪い。

   警察がなくなれば、

   犯罪が少なくなり過ぎるのでないかと、

   心配されます。

 

   法律家がいなくなれば、

   冤罪が激増するだけでなく、

   刑罰が重くなります。

 

   人口の過半数は、三段論法を適用できず、

   IQ135未満の人は、事実を識別できませんから、

   当然ですが、法治主義は形骸化します。

 

   現在と、五十歩百歩ですが。