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テーダマツ 0088 現代社会を廃棄するために

2018.03.03 00:22

 

テーダマツを見かけたので。

葉が、3本1組で束生して、

長さ10~20cmくらいですので、

日本に近縁種の自生がなく、

山に植えれば、簡単に識別できます。

 

公園や庭ですと、

日本に自生しない樹種が多く、

責任を持てません。

 

アメリカ南部の平原の、ふつうの松です。

湿気を要求しますが、日本の赤松の感じ。

 

フロリダやジョージアのような、

暖かく、雨の多い所に、勝手に生えますが、

ニューヨークやロサンゼルスやシカゴには、

ない。

蚊の多い所です、生えるのは。

 

あっちは、植林用に、

苗木を大量生産しているそうですが、

東京では珍しく、

大阪では、公園でよく見かけます。

 

今頃は、花粉を飛ばしているはずなんですが。

高い所ばかりに、枝を出して、

葉が茂りますから、花序が見えない・・・

 

 

   ***    ***

 

 

革命と聞けば、アメリカの独立や、

フランス革命やロシア革命などの、

ロマンティックな歴史観での、

革命を思い出します。

 

儒教の易姓革命や、

古代ヨーロッパやインカ帝国の革命を、

思い出す人は、滅多(めった)にいません。

  

日本の明治維新も、

ロマン主義を導入するための、

革命にすぎませんでした。

 

上からの変革であり、

民衆の意志によるものでなかったので、

本当の革命でないと、

高校の教科書の指導要領に、

書いてあったり。

 

人殺しに、本当もへったくれも、ないのに、

原爆を落とされて、まだ、わからない。

 

日本人は、黒船や薩長による討幕を、

想像しますが、

非常にロマンティックな、

大日本帝国憲法を見るまでもなく、

たんに、強い欧米の真似(まね)をして、

近代化したのでなく、

ロマン主義と言われる思想を、

実行するための、

社会や文化の装置を、輸入しました。

 

 

目的は、ロマン主義と言われる思想ですが、

日本人は、気づきませんでした。

 

鉄砲や黒船は、目に見えるけれど、

欧米の思想を、見る目は、日本人になかった。

 

盲滅法(めくらめっぽう)に、

ロマン主義を奉りながら、

何を拝んでいるのかを、知りませんでした。

 

 

武士道と言われる軍事政権の教義で行くなら、

日本人全員が玉砕して、

奴隷になり、犬に食われようとも、

当たり前でしたから、一向に構いません。

死や絶滅や悲惨や苦痛を、

忌避すべき理由は、何もありません。

 

戦争は、いつも、そうでしょう?

殺すのに、

自分が殺されるのは、嫌(いや)だと、

怖気(おじけ)づいていたら、

何もできません。

 

戦争をするときは、

虫けらのように殺される覚悟です。

機械のように、壊れて、

動かなくなるだけです。

死んだり、苦しんだり、するわけがない。

 

平家物語や太平記の戦争は、

女の子の文学にすぎません。

あんなものを信じては、生きて行けないと、

戦争は、教えています。

 

 

徳川氏の軍事政権は、その気持ちを、

社会の合意として、掲げました。

 

徳川一族だけでなく、明治になったのに、

生き残った武士たちは、笑い者です。

 

薩長政府がそうでしたから、

欧米のロマン主義に縋(すが)り付いたのは、

当たり前です。

欧米人に、拾ってもらわなければ、

武士は、全員、

百姓や町人に、殺されていました。

 

ポルポトなら、皆殺しを選んだはずです。

毛沢東の文化大革命を、信じていましたから。

 

漠然と、強い欧米の真似をした近代化でなく、

ロマン主義という考え方に、しがみつき、

薩長政府は命乞いをした、ということが、

大切です。

 

 

   じつは、現在の日本国憲法は、

   大日本帝国憲法よりも、純粋に、

   ロマンティックになりましたので、

   壊す時は、世界で最も苦労すると、

   思われました。

 

   新左翼の時代に、

   わたしは、そう思った。

 

   レーニンやスターリンや毛沢東などの、

   マルクス主義は、

   ムソリーニやヒトラーなどの、

   ファシズムと並び、

   ロマン主義の行き着く所の、

   頂点の艶姿(あですがた)です。
   女々(めめ)しい。

 

 

   日本人は、キリスト教の世界観と、

   ロマンティックな思想が、

   根本的に違うことを、

   理解できませんので、

   武家政権が崩壊したように、

   キリスト教の世界観が、

   ナポレオンのような、

   世俗的な権力に、取って代わられて、

   廃(すた)れたと、誤解しています。

 

   欧米は、

   ロマンティックな憲法を、

   見せびらかしても、

   ちゃんと、キリスト教の聖書を、

   隠し持っていますから、

   二股を懸けています。

 

   当たり前です。

   憲法のどこを見ても、

   あほな人間の命を、大切にする理由や、

   何と何と何が、論理法則であるかって、

   書いてないでしょう?

 

   無条件に、

   命や論理法則を信じています。

   ロマン主義憲法は、

   ほとんど、テレビの娯楽番組のように、

   流行文化の表面の、

   皮(かわ)や波(なみ)を、

   掲げているだけです。

 

   テレビの娯楽番組の、編成方針と、

   大差ありません。

   そんな上っ面(つら)の、

   倫理綱領のような規則が、

   人生や世界を、差配できるわけがない。

 

   

   それが証拠に、

   欧米の科学者の中に、

   唯物論を信じている人は、

   ほとんどいません。

   唯物論以外の考え方により、

   背後から糸を引くように、

   科学を動かしているだけです。

 

   日本人は、

   心のことを、宗教や人生相談に任せて、

   物のことは、科学でと、

   思っていませんか。

 

   そんな御都合主義が、

   上手(うま)く行けば、良いのですが、

   キリスト教の考え方が、

   科学と、根本的に矛盾するのは、

   言うまでもありません。

 

 

問題は、コンピュータなんです。

今後、人間の心の、奥深くにまで、

侵入してくるのは、目に見えています。

 

将棋指しが、コンピュータに負けたのは、

心の問題ですか、物の問題ですか。

 

将棋に勝つ方法は、数学や論理学のように、

判断の枝分かれや組合わせを、探すのと、

まったく同じですから、

コンピュータの、最も得意とする作業です。

 

今まで、時間がかかったのは、

プログラムを作るのが、

しんどかっただけです。

 

人間なんか、せっかく育てても、

すぐに死にますけれど、

プログラムは、死にません。

人間の脳の中身は、コピーできませんから、

使い捨てです。

   

個人の流儀を、

みんなの文化として、伝承したければ、

コンピュータが、確実です。

   

プログラミングできない流儀は、

劣勢になりますから、

今後、どのような文化が、栄えるかは、

簡単に、予想がつきます。

  

 

もしも、精神病の診断を、

プログラムするとしたら、

どういう手順が、頭に浮かびますか。

  

その手順で良いのですか。

ロマンティックですか、法治主義ですか、

科学ですか、

それとも、コンピュータが、

人間の心を、支配する時代に、なるのですか。

 

現在は、どうですか。

精神病の強制的な診断と、強制的な治療と、

抗精神病薬の強制投与による

人格の不可逆的な廃疾は、

事実上の、裁判に拠らない死刑と、

同じですが、

全人口の約1%が、

そうして葬り去られています。

 

精神科医は、どのような、

個体や社会の、人生や文化の、規則性を、

他人に対して、強制的に実行していますか。

 

その規則性を、正しいとする根拠は、

何ですか。

精神医学に、そんな原理原則がないのに、

なぜ、全人口の1%もの人を、

精神科医が殺しても、良いと、

社会は認めていますか。

 

コンピュータが、将棋に勝つ時代は、

精神病の診断や治療と、同じ考え方が、

人間を支配するのでありませんか。

 

   

   わたしたちは、

   人間の命が大切であると、

   安易に、思ってはいけません。

 

   ボウフラやうじ虫のように、

   いくらでも、涌(わ)いて来る、

   ちっとも尊くないと、言ったのは、

   お釈迦さんです。

 

   人類や子孫の、繁栄や平和を、

   信じる必要も、まったくありません。

 

   お釈迦さんは、人類の絶滅を、

   良いことと、信じていました。

   

   論理法則の一々の教条に、

   自分が同意していないのに、

   論理法則に矛盾していなければ、

   数学のように正しいと、

   信じる理由なんか、何1つありません。

   

   ある人は、

   ジャンケンで決めようと言い、

   ジャンケンに負けたので、

   相手を殺しました。

  

   神話の教訓です。

   

   生命の価値や、論理法則の一々を、

   コンピュータに定義しなければ、

   判断できるわけがありません。

 

   その定義を、

   問わなければいけませんから、

   コンピュータのプログラムの仕組や、

   集積回路の設計を、

   憲法に規定しなければ、いけません。

   当然です。

   

   天皇制の問題でありません、

   憲法改正は。

   

   ノイマンの天才を、喜んでいる人は、

   精神病院に放り込まれて、

   肉屋の肉のように、処分されます。