テーダマツ 0088 現代社会を廃棄するために
テーダマツを見かけたので。
葉が、3本1組で束生して、
長さ10~20cmくらいですので、
日本に近縁種の自生がなく、
山に植えれば、簡単に識別できます。
公園や庭ですと、
日本に自生しない樹種が多く、
責任を持てません。
アメリカ南部の平原の、ふつうの松です。
湿気を要求しますが、日本の赤松の感じ。
フロリダやジョージアのような、
暖かく、雨の多い所に、勝手に生えますが、
ニューヨークやロサンゼルスやシカゴには、
ない。
蚊の多い所です、生えるのは。
あっちは、植林用に、
苗木を大量生産しているそうですが、
東京では珍しく、
大阪では、公園でよく見かけます。
今頃は、花粉を飛ばしているはずなんですが。
高い所ばかりに、枝を出して、
葉が茂りますから、花序が見えない・・・
*** ***
革命と聞けば、アメリカの独立や、
フランス革命やロシア革命などの、
ロマンティックな歴史観での、
革命を思い出します。
儒教の易姓革命や、
古代ヨーロッパやインカ帝国の革命を、
思い出す人は、滅多(めった)にいません。
日本の明治維新も、
ロマン主義を導入するための、
革命にすぎませんでした。
上からの変革であり、
民衆の意志によるものでなかったので、
本当の革命でないと、
高校の教科書の指導要領に、
書いてあったり。
人殺しに、本当もへったくれも、ないのに、
原爆を落とされて、まだ、わからない。
日本人は、黒船や薩長による討幕を、
想像しますが、
非常にロマンティックな、
大日本帝国憲法を見るまでもなく、
たんに、強い欧米の真似(まね)をして、
近代化したのでなく、
ロマン主義と言われる思想を、
実行するための、
社会や文化の装置を、輸入しました。
目的は、ロマン主義と言われる思想ですが、
日本人は、気づきませんでした。
鉄砲や黒船は、目に見えるけれど、
欧米の思想を、見る目は、日本人になかった。
盲滅法(めくらめっぽう)に、
ロマン主義を奉りながら、
何を拝んでいるのかを、知りませんでした。
武士道と言われる軍事政権の教義で行くなら、
日本人全員が玉砕して、
奴隷になり、犬に食われようとも、
当たり前でしたから、一向に構いません。
死や絶滅や悲惨や苦痛を、
忌避すべき理由は、何もありません。
戦争は、いつも、そうでしょう?
殺すのに、
自分が殺されるのは、嫌(いや)だと、
怖気(おじけ)づいていたら、
何もできません。
戦争をするときは、
虫けらのように殺される覚悟です。
機械のように、壊れて、
動かなくなるだけです。
死んだり、苦しんだり、するわけがない。
平家物語や太平記の戦争は、
女の子の文学にすぎません。
あんなものを信じては、生きて行けないと、
戦争は、教えています。
徳川氏の軍事政権は、その気持ちを、
社会の合意として、掲げました。
徳川一族だけでなく、明治になったのに、
生き残った武士たちは、笑い者です。
薩長政府がそうでしたから、
欧米のロマン主義に縋(すが)り付いたのは、
当たり前です。
欧米人に、拾ってもらわなければ、
武士は、全員、
百姓や町人に、殺されていました。
ポルポトなら、皆殺しを選んだはずです。
毛沢東の文化大革命を、信じていましたから。
漠然と、強い欧米の真似をした近代化でなく、
ロマン主義という考え方に、しがみつき、
薩長政府は命乞いをした、ということが、
大切です。
じつは、現在の日本国憲法は、
大日本帝国憲法よりも、純粋に、
ロマンティックになりましたので、
壊す時は、世界で最も苦労すると、
思われました。
新左翼の時代に、
わたしは、そう思った。
レーニンやスターリンや毛沢東などの、
マルクス主義は、
ムソリーニやヒトラーなどの、
ファシズムと並び、
ロマン主義の行き着く所の、
頂点の艶姿(あですがた)です。
女々(めめ)しい。
日本人は、キリスト教の世界観と、
ロマンティックな思想が、
根本的に違うことを、
理解できませんので、
武家政権が崩壊したように、
キリスト教の世界観が、
ナポレオンのような、
世俗的な権力に、取って代わられて、
廃(すた)れたと、誤解しています。
欧米は、
ロマンティックな憲法を、
見せびらかしても、
ちゃんと、キリスト教の聖書を、
隠し持っていますから、
二股を懸けています。
当たり前です。
憲法のどこを見ても、
あほな人間の命を、大切にする理由や、
何と何と何が、論理法則であるかって、
書いてないでしょう?
無条件に、
命や論理法則を信じています。
ロマン主義憲法は、
ほとんど、テレビの娯楽番組のように、
流行文化の表面の、
皮(かわ)や波(なみ)を、
掲げているだけです。
テレビの娯楽番組の、編成方針と、
大差ありません。
そんな上っ面(つら)の、
倫理綱領のような規則が、
人生や世界を、差配できるわけがない。
それが証拠に、
欧米の科学者の中に、
唯物論を信じている人は、
ほとんどいません。
唯物論以外の考え方により、
背後から糸を引くように、
科学を動かしているだけです。
日本人は、
心のことを、宗教や人生相談に任せて、
物のことは、科学でと、
思っていませんか。
そんな御都合主義が、
上手(うま)く行けば、良いのですが、
キリスト教の考え方が、
科学と、根本的に矛盾するのは、
言うまでもありません。
問題は、コンピュータなんです。
今後、人間の心の、奥深くにまで、
侵入してくるのは、目に見えています。
将棋指しが、コンピュータに負けたのは、
心の問題ですか、物の問題ですか。
将棋に勝つ方法は、数学や論理学のように、
判断の枝分かれや組合わせを、探すのと、
まったく同じですから、
コンピュータの、最も得意とする作業です。
今まで、時間がかかったのは、
プログラムを作るのが、
しんどかっただけです。
人間なんか、せっかく育てても、
すぐに死にますけれど、
プログラムは、死にません。
人間の脳の中身は、コピーできませんから、
使い捨てです。
個人の流儀を、
みんなの文化として、伝承したければ、
コンピュータが、確実です。
プログラミングできない流儀は、
劣勢になりますから、
今後、どのような文化が、栄えるかは、
簡単に、予想がつきます。
もしも、精神病の診断を、
プログラムするとしたら、
どういう手順が、頭に浮かびますか。
その手順で良いのですか。
ロマンティックですか、法治主義ですか、
科学ですか、
それとも、コンピュータが、
人間の心を、支配する時代に、なるのですか。
現在は、どうですか。
精神病の強制的な診断と、強制的な治療と、
抗精神病薬の強制投与による
人格の不可逆的な廃疾は、
事実上の、裁判に拠らない死刑と、
同じですが、
全人口の約1%が、
そうして葬り去られています。
精神科医は、どのような、
個体や社会の、人生や文化の、規則性を、
他人に対して、強制的に実行していますか。
その規則性を、正しいとする根拠は、
何ですか。
精神医学に、そんな原理原則がないのに、
なぜ、全人口の1%もの人を、
精神科医が殺しても、良いと、
社会は認めていますか。
コンピュータが、将棋に勝つ時代は、
精神病の診断や治療と、同じ考え方が、
人間を支配するのでありませんか。
わたしたちは、
人間の命が大切であると、
安易に、思ってはいけません。
ボウフラやうじ虫のように、
いくらでも、涌(わ)いて来る、
ちっとも尊くないと、言ったのは、
お釈迦さんです。
人類や子孫の、繁栄や平和を、
信じる必要も、まったくありません。
お釈迦さんは、人類の絶滅を、
良いことと、信じていました。
論理法則の一々の教条に、
自分が同意していないのに、
論理法則に矛盾していなければ、
数学のように正しいと、
信じる理由なんか、何1つありません。
ある人は、
ジャンケンで決めようと言い、
ジャンケンに負けたので、
相手を殺しました。
神話の教訓です。
生命の価値や、論理法則の一々を、
コンピュータに定義しなければ、
判断できるわけがありません。
その定義を、
問わなければいけませんから、
コンピュータのプログラムの仕組や、
集積回路の設計を、
憲法に規定しなければ、いけません。
当然です。
天皇制の問題でありません、
憲法改正は。
ノイマンの天才を、喜んでいる人は、
精神病院に放り込まれて、
肉屋の肉のように、処分されます。