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イスノキ 0126 幕末の志士のロマン主義は、スターリンやヒトラーに

2018.04.10 06:35

 

イスノキはマンサク科ですが、

花も葉も、マンサクに、さほど似ていません。

 

見かけが似ていないのを、一緒にするのは、

進化の系統が、兄弟姉妹親戚筋だからですが、

何を見て、そう判断したのでしょうか。

 

ただでは、遺伝子を見れませんので、

わたしたちは、形態を見て、

納得しなければ、仕方ありませんが、

似ていない。

 

人間にも、全然、似ていないのに、

親子という例が、普通にありますが・・・

 

形態を見て、似ていれば、

進化の系統が近いと、判断するのは、

APG分類と、判断の手順が、同じですが、

遺伝子のほうが、

受精直後の状態を示していますので、

オリジナルであろう、というだけのことです。

 

樹木の末端の2つの梢(こずえ)は、

空間的に、近くに並んでいても、

枝の分岐を遡(さかのぼ)れば、

根もとのほうで、枝分かれして、

全然別の系統であるかも知れません。

 

場合によっては、別の木であったり・・・

 

細胞や内臓や顔や身体の、

見かけの形が、似ているだけでは、

空間的に、

すぐ近くに並んでいる枝に、すぎませんから、

枝分かれを、根もとのほうへ辿るために、

見かけの形の違いよりも、

遺伝子の違いのほうが、確実であろうと、

APG分類は考えます。

 

遺伝形質は、

すべて、遺伝子から派生したからと。

 

その考え方が、間違っているのでないかと、

疑われます。

 

遺伝子から、単純に派生して、

表現型が現れるのでなく、

遺伝子を組み合わせて、

表現型が現れるのかも知れません。

 

組合わせの手順が、環境に依存しているかも。

 

しかし、元々の遺伝子が、これっきりなら、

どのように組合わせても、

結果は限られています。

 

元々の生まれつきの遺伝子により、

進化の系統を類推して、何が悪い!

 

表現型に関係のある遺伝子について、

その違いから、生殖の系統を類推するように、

進化の系統を類推するのは、

あほかも知れません。

 

表現型に関係があるけれど、

まったく違いのない遺伝子から、

その組合わせの運用の違いにより、

表現型の系譜が生じていたら、厄介です。

 

進化の系譜のほとんどは、

有性生殖や減数分裂などの、

生殖によるのでなく、

突然変異と体細胞分裂によりますから、

生殖の系譜を類推するような、

いわば恋愛関係から、進化を割り出す方法は、

原理的に変かも知れません。

 

進化は、生殖と無関係でないか・・・

 

イスノキは、

雌雄同株の両性花を、咲かせます。

花よりも、葉の虫こぶに、特徴があり、

若葉は、まだキレイですが、

夏になれば、

イスノキコムネアブラムシが寄生して、

瘤だらけになります。

 

 

   ***    ***

 

 

ほんとうに、

親から子が、生まれるのでしょうか。

 

文化から、生まれるのかも知れません。

植物の文化でなく、

植物についての、人間の文化から、

生殖の系統を識別する人間の知覚が、

生まれなければ、

古生代や中生代の、生物の進化や系統は、

存在しないのでないかと、疑われます。

 

化石から、太古の歴史を類推するのは、

賢(かしこ)いことなのか、

それとも、荒唐無稽のお笑い草か、

毎度お馴染みの、議論ですが、

時間は逆行できないのに、

逆行しているではないかと、文句が付きます。

  

論理法則を、

宇宙の果てまでも、45億年前の昔までも、

夢を煽るように適用するのは、

科学技術が、役に立っているからでなく、

鉄砲や黒船や原爆のように、

役に立たない奴を、殺しても構わないと、

科学技術を正当化するためかも。

 

麻原彰晃君は、

そう思っていたふしが、あります。

 

鉄砲のように、使い方により、

科学技術は、良くも悪くもなるのでなく、

鉄砲のような使い方のために、

鉄砲が作られたのは、

火を見るよりも明らかです。

 

望む通りに、技術が作られる仕組みは、

望む通りに、遺伝形質を純化して、

知覚を改変するように、

文化の規則性を変えれば、

論理法則の教条が変わるからです。

 

遺伝形質の純化は、

ヒトラーやスターリンなどが、

派手に行ないましたから、説明不要ですが、

日本国憲法だけでなく、

ロマン主義は、それを目指していました。

 

日本人は、自分たちの憲法の、

時代錯誤の目論見を、

理解できていないのではと、

わたしは疑います。

 

 

   日本国憲法は、

   幕末のロマンティックな時代の、

   欧米の理想を、掲げています。

 

   ロマン主義が、

   2度の世界大戦を惹き起こして、

   崩壊したことを、無視しています。

 

   第二次世界大戦後の日本人は、

   幕末の志士と、同じ立場に、

   置かれたようなものです。

 

   日本国憲法の理想を追及することは、

   19世紀の欧米のロマン主義の理想を

   掲げることですから、

   時代錯誤も甚だしい。

 

   ロマン主義の理想を、

   レーニンやヒトラーが追求したから、

   世界大戦が起こったのに。

 

   なんで、潰(つぶ)れたロマン主義を、

   後生大事に、

   標榜しなければいけないのかしら。

 

   憲法改正は、

   自衛隊や天皇制の問題でありません。

 

   日本国憲法や大日本帝国憲法のような、

   ロマン主義を、死刑にすることが、

   問われなければいけません。

 

   ロマン主義を、吊るし首にすること。

   それが大切です。

   

   コンピュータの時代に、

   なんでロマン主義なのか、

   日本人は、

   その愚かさが、わかっていない。