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ムクノキの雄花 椋木 0139 音声の言葉と、影像の言葉

2018.04.23 12:25


落葉樹ですので、春に、若葉が開くと同時に、

緑の柔らかい枝が、伸びます。

 

雌雄同株ですが、

新しい枝の下のほうに、雄花が群がり、

上のほうに、葉と雌花を付けます。

 

写真では、枝の先端のほうに、

雌花が、ぽつんと付いていますが、

よくわかりません。

 

下枝を払っているので、枝が高く、

葉が、よく見えませんが、

側脈が、鋸歯の先端まで入り、

くっきりしていますので、

榎(えのき)でありません。

 

花の感じは、

ムクノキもエノキも、そっくりです。

 

新緑の季節は、暑く、

艶(あで)やかな花は、もう厭き厭き。

 

緑のほうが、涼しそうで、爽やかです。

半袖が良い。

 

 

   ***    ***

 

 

ロマン主義について。

 

現代の精神医療は、

19世紀の、

精神医学と言われるロマン主義文学を、

拠り所にしています。

 

科学的根拠はありません。

 

統合失調症や妄想性障害のような、

狭い意味での精神病は、

器質的な原因だけでなく、

病気であるとする根拠も、

器質的に皆無であり、

昔のロマンティックな迷信が、頼りです。

 

そのくせに、

強制的な診断だけでなく、

外科手術や、化学物質の投与なども、

強制的に行ないますので、

人体実験や、

法律に違反しない心情についての、

裁判のない身体刑と、言われています。

 

ロマン主義は、

ナチスやソ連が、崩壊したことにより、

時代遅れの思い込みであったと、

否定されただけでなく、

2度の世界大戦やホロコーストなどを、

惹き起こした元凶として、指弾されています。

 

大日本帝国憲法であれ、日本国憲法であれ、

憲法は、いずれも、純然たるロマン主義を、

標榜しています。

 

幕末の志士は、

当時のフランス革命後のロマン主義に憧れて、

明治維新を目指しました。

 

ロマン主義でない欧米の思想を、知りません。

20世紀に、ロマン主義を批判して、

コンピュータを作った経験論や、

異端として疎外されて処刑されたキリストの、

反骨精神などを。

 

 

   精神分析のように、

   荒唐無稽な精神医学は、

   現在でも、

   精神科の入院患者の過半数が、

   統合失調症であるように、

   架空のロマンティックな病気を、

   口実にして、

   常識的でない人を、

   強制的に監禁した上で、

   抗精神病薬により、脳の機能を、

   不可逆的に破壊しながら、

   人格の廃疾を、治療と称しています。

 

   その数が、

   全人口の1%にも達することから、

   精神医療の実態は、

   ファシズムの亡霊と、

   糾弾されています。

 

   国民が、そのことを理解できないのは、

   精神病と言われる病気を、見たと言い、

   実際に、

   個人の生命や財産や社会生活が、

   被害を受けていると、

   何かの言い訳のために、

   強弁するからです。

 

   原爆の被害者を、危険とするのは、

   いわれのない迷信であり、

   原爆のほうが、

   数万倍も残虐であるように、

   精神病患者よりも、精神科医のほうが、

   桁違いに凶悪です。

 

   原爆を廃棄したほうが、良いように、

   精神科医を、ナチスの党員のように、

   1人残らず、地の果てまで追跡して、

   厳しく処罰すべきです。

 

 

一般民衆が、精神病があると、確信するのは、

ロマン主義が、

ソ連やナチスの政治運動を、支持して、

戦争やホロコーストを、正義であると、

信じて疑わなかったのと、同じです。

 

法律に違反していないのに、

本人が拒否するものを、

なぜ、強制的に病気と診断して、

権力尽(づ)くで入院させますか。

 

裁判によらない非公開の処刑です。

 

精神科医による好き嫌いや横暴でなければ、

どのような根拠がありますか。

 

 

   ロマンティックな考え方を、

   否定するための、

   具体的な判断の手順が、

   現在のコンピュータを作りました。

 

   カントやヘーゲルのような考え方を、

   単に、数学の手法を使い、

   否定しただけですが。

 

   コンピュータは、ロマン主義を、

   きっぱりと否定します。

   将棋や囲碁の名人に、

   コンピュータが勝つのと、同じです。

 

   ロマン主義の考え方では、

   プロ棋士は、

   頭がよく、人格も優れて、

   みんなの尊敬の的ですが、

   コンピュータを作った考え方では、

   将棋や囲碁は、

   判断の組合わせにすぎませんから、

   人間の筋肉が、重機に勝てないように、

   コンピュータに勝てないのは、

   当たり前であり、

   人格と関係ありません。

 

   重機になりたいと、憧れても、

   役に立たないように、

   ガンダムになりたいと思うのは、

   スターリンやヒトラーの、

   ファシズムやホロコーストのように、

   幼稚で残虐です。

 

   東京大学医学部学生を見れば、

   すぐにわかります。

 

   ロマン主義は、進化論だけでなく、

   恋愛や病気や権力や統治のような、

   人生や社会に、

   無条件に正しい筋書があるとして、

   特定の価値観を、

   みんなと一緒に信奉しなければ、

   気が済みません。

 

   平和や民主主義や、

   思いやりや人情を、無条件に信じたり。

 

   ただの抽象語なのに。

 

   コンピュータを作った考え方は、

   特定の判断を、

   無条件に正しいと信じないだけでなく、

   正しいとか、間違っているとかの、

   論理法則のような、何らかの基準も、

   ハードウェアの仕組みと同様に、

   何らかの目的のために、規定されたと、

   推測します。

 

   生命と同じですから、

   だれが作ったのかと、

   疑問になりますが、

   自分で動きますから、

   たぶん、ものごとの判断も、

   内部で規定された絡繰りがあると、

   ロマン主義が考えるのは、早計です。

 

   動いているものを、

   機能するとか、規則的とかと、

   何らかの基準を信じなければ、

   理解できないのは、老化です。

   

   同じことが繰り返されれば、

   わたしたちは、規則性があると、

   知覚します。

   老化です。


   同じであると判断するのは、

   コピーのような規則性を見つけた、

   という意味ですが、

   なんらかの共通点を、

   見つけたのでしょうか。

    

   それとも、異なる物事(ものごと)を、

   同じであると、定義したのでしょうか。

   

   

全然違うものも、同じであると、

簡単に判断されます。

   

樹木の実物と、じゅもくという音声は、

全然違いますが、同じであると、定義すれば、

実物と、ただの音声が、同じになります。

 

共通点の無いほうが、混乱が少ないのは、

言葉や数式や記号式などと、同じです。

 

わたしたちは、そのような定義を覚えて、

言葉が話せるようになりますが、

話し言葉のような聴覚だけでなく、

視覚も、同じ理屈です。

 

わたしたちは、言葉や数式や記号式のように、

物を見ています。

 

習得していなければ、わからないのに、

ちゃんと見えているのは、

習得して、意味のある言葉が聞こえるように、

習得したから、意味のある物が見えています。

 

引き金を引けば、弾が発射されるように、

だれであっても、

こうすれば、必ずこうなる、

という科学技術の、因果関係は、

数式そのもののような言葉を、

わたしたちが、目で見て、

絶対に間違いないと、確信します。

 

確かに、そのように見えた。

引き金を引けば、弾が発射されて、

人が死んだから、間違いないと、

鉄砲の科学技術を、確信するのは、

確かに、そのように言葉が聞こえて、

意味がわかり、話が通じたのと、同じです。

 

聴覚の言葉も、視覚の事実も、

習得すれば、

コミュニケーションのメディアとして、

意味のある音や影像が、

聞こえたり見えたりします。

 

言語も事実も、同じ理屈です。

 

わたしたちは、目の言葉の事実を見て、

意味が通じたと、知覚するだけですので、

そのことから、科学技術が間違いないと、

確信するのは、早とちりです。

 

鉄砲があれば、弾が人を殺す、と聞いても、

それだけでは、嘘か本当か、わからないので、

信じないのと同じように、

鉄砲の弾が人を殺す事実を見ても、

それだけでは、信じないほうが、良い。

   

ところが、事実という目の言葉を見ると、

それだけで、絶対に間違いないと、

信じることを、エステティックと、言います。

 

 

   物事(ものごと)が、

   繰り返されるとか、

   コピーされるとか、

   規則性があるとかと、判断するのは、

   同じであると、定義したからです。

 

   遺伝子をコピーするとか、

   種(しゅ)を同定するとか、

   生殖するとか、

   同じ日本人であるとか、

   論理法則といわれる教条があるとか、

   物を組み立てるとか、

   道が枝分かれするとか、

   事実があるとかって、

   ロマンティックです。

   

   判断は、道筋をつけて分類すると、

   ロマン主義者は言いますから、

   生きること自体が、ロマンであり、

   進化系統分類の道筋です。

   

   

コンピュータを作った考え方は、

ロマン主義の規則性が、

数学的に規定されないと、言っただけですが、

数量化された科学技術が、

わたしには、文学のように、

自由に定義されたロマンスに、見えます。

 

宇宙船が飛び、高層ビルが立ち、

サリンが人を殺し、

遺伝子組み換え作物が、売られているのに、

それらの事実が、

たとえ、視覚的な言語であったとしても、

まんざら荒唐無稽であるワケがないと、

文句を言う人もいます。

 

事実や科学技術や影像や言語などは、

ロマンティックな文学の、

端的な例にすぎません。

 

架空の文学が、実際に目で見て、

手で触って知る事実や技術の、正体です。

 

もうすぐ死ぬようになると、

誰でも、それくらいのことは、わかりますが、

わたしは、子供の頃から、

このアホ社会が、

嫌(いや)で嫌でたまりませんでしたから、

ずーっと、死にかけのままでした。

 

言葉と言われる音声が、飛び交うように、

視覚的な言葉が、意味のある内容として、

目に知覚されるのは、

精神病の症状とされています。

 

何を根拠に、病気と言いますか。

 

声帯が音声を発して、耳が聞くように、

影像を発する器官が、目であり、

見る器官も、目であれば、

視覚の同音異義語を、理解できるでしょうか。