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コムギ 小麦の花 0146 共食いと奴隷と進化論

2018.04.30 09:11

米や小麦を、栽培収穫脱穀は、できますが、

籾摺(もみす)りや麦打ちや、精米精麦を、

わたしは知りません。

 

イネの果実の、

外穎(がいえい)や内穎と言われる2枚の

苞葉は、一部が重なり合うように、

果実を密封していますから、

これを剥がさなければ、食べられません。

 

籾摺(もみす)りの発想は、

切実でなければ、複雑です。

あんなに細かい粒々を、

一々、果実だけの丸裸にして、

なんとか食べようと思うのは、

飢饉のせいでしょうか。

 

コムギでは、

苞葉が、果実の下に付いているだけで、

密閉していませんから、

叩けば、果実と苞葉が、簡単に分離します。

麦打ちです。

 

イネやコムギの果実だけを、取り出して、

果実の皮や、種子の皮を、削り、

種子の胚乳を、剥き出しにしなければ、

いけません。

これらの皮は、胚乳の上に密着しています。

 

精米精麦ですが、

少なくとも、果皮を削らなければ、

胚乳が、水を含みませんから、

そう簡単に、食べられません。

 

コムギは、皮を削るよりも、粉にしたほうが、

食べるには、簡単かも知れません。

 

食べるための手順と、

なぜ、その手順でなければ、いけないのかを、

わたしは知りません。 

 

機械のない時代に、

自分1人で、食べる方法です。

わかっていなければ、

栽培しようと、思いませんから。


芋(いも)や南瓜(かぼちゃ)や

玉蜀黍(とうもろこし)に比べて、

米や小麦は、栽培の動機が、奇妙です。

 

あんなに細かい粒々を、育てるのが、

一番良いと、わかるには、

自然に生えている米や小麦を、採取して、

食用にする手順を、

長年、研究していなければいけません。

 

わたしなら、飢饉でなければ、

あんなのを、食べようと、思いません。

効率が悪いと思い、諦めます。

 

でも、

米や小麦は、単位面積当たりの、

可食部分のカロリーが、大きく、

最も効率が良いのですから、感心します。

 

だんだんと、品種改良されましたから、

1万年前は、生産性が低かった。

 

それにもかかわらず、

米や小麦に執着した理由が、わかりません。

 

わたしは、飢饉であろうが、なかろうが、

人間を食べたほうが、効率が良いと、

考えてしまいます。

 

人間は、頭が良く、

脅したり騙(だま)したりすれば、

飼育の手間が、要りません。

 

銃口を、突き付けられた人間は、

自分で自分を、飼育しますから、

便利です。

 

鉄砲のない時代にも、奴隷はいました。

 

生まれた時から、飼育されていると、

言葉や、世の中の事情や、人生の相場を、

知りませんので、善悪を感じません。

 

反抗することも、ありませんので、

犬や猫や豚や牛や馬よりも、便利な動物です。

 

精神病院の入院患者と、同じです。

彼らは、薬物により、

強制的に痴呆にされていますが、

反乱を起こしません。

従順です。

 

現代人は、それを、不思議に思いませんから、

人間を、そのように取り扱うことに、

慣れています。

 

奴隷が、トウモロコシや豚を、育て、

トウモロコシや豚を、わたしが食べるのは、

わたしが、直接に、人間を食べるよりも、

効率が良いと、知っているのは、

充分な経験があるからです。

 

わざわざ、間接的に食べるよりも、

直接に食べるほうが、

素直(すなお)に決まっています。

 

1人の人間は、1町歩の畑を耕して、

何十頭もの豚を、育てますから、

食べずに、こき使おうと、思うのは、

狡賢(ずるがしこ)い。

 

けっして、直接に人間を食べないのは、

現代社会の仕組みですから、合法的です。

奴隷制の発達した社会が、現代であると、

ロマン主義者は言います。

 

だから、昔の人は、ほんとうに、

米や小麦を、自分で栽培して食べたのかと、

疑問になります。

 

奴隷に作らせたのでないかと。

進化論は、生殖でなく、

共食いの系譜でないか・・・

 

わたしは、人間のすべての判断が、

1つとして、

その通りであると証明されないのに、

数学や論理法則や事実や科学技術や

自然などを、確信する理由や、

奴隷制や進化論や精神医学や

ロマン主義や日本国憲法などが、

蔓延(はびこ)ってしまった理由について、

知覚の誤解が、根底にあると、感じています。

 

ここ数十年ほど、

わたしは夢を見ていませんから。