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ZIPANG-7 TOKIO 2020 全国の姥神像行脚(その50)江差・姥神信仰とは別の姥神様・・・【寄稿文】廣谷知行

2023.02.25 08:05

 

全国姥神行脚シリーズも50回目となりました。
いつもお読みいただきましてありがとうございます。


このシリーズでは「姥神」について紹介していますが、「姥神」という呼び名は、立山のおんば様信仰に連なっている全国の信仰について、私が便宜上付けているものです。そのなかにはそのまま姥神様と呼ばれるものもありますが、「優婆尊」、「綿のおばあさん」など、実際は地域によって様々な呼び名があることは、これまで紹介したとおりです。このシリーズのなかでも地獄信仰に基づいているものは奪衣婆と呼んでいます。


しかし、全国には立山のおんば様信仰とは関係のない「姥神」もあります。その最たるものが、ネットで「姥神」という言葉を検索しても最初に出てくることが多い、北海道江差町にある姥神大神宮だと思います。今回はその姥神大神宮を紹介します。


北海道江差町とニシン伝説

江差町は北海道の道南西側の日本海に面した場所にある、人口約8千人の町で、民謡「江差追分」の発祥の地でもあります。


この町にはニシン伝説が残されていて、その大筋は、

どこからともなく老婆がこの地に現れ、その予言がよく当たるので、「折居様」と呼んで人々に敬われるようになった。


ある年、一匹の魚も捕れないことがあり、老婆が一心不乱に祈ると、岩の上に一人の翁が現れ、小さな瓶を取り出し、「この白い水の入った瓶を海に投げ入れるとニシンという小さな魚が捕れるようになる。」と告げ姿を消した。


老婆が教えられたとおりにすると、海水が変わり、今まで見たことの無い魚が群れをなして押し寄せてきた。老婆はこれがお告げにあった「ニシン」であろうと人々に教えた。


人々がニシン漁で暮らしに困ることがなくなると老婆の姿は消えていた。老婆が住んでいた場所に神像があったので、これを「折居様」としてあがめた。

という内容になっています。



歴史のある姥神大神宮

 


先の伝説の老婆を祀った神社が江差町の姥神大神宮です。ちなみに海に投げ入れた瓶は鴎島の「瓶子岩」になったと伝えられています。



姥神大神宮の絵馬 表



姥神大神宮の絵馬 裏


この神社の絵馬には姥神とニシンが描かれていますが、瓶から中身を注いでいる絵になっています。裏には勅宣正一位の文字があり由緒正しい神社であること、北海開祖神の文字からニシン漁を開いた神様として崇められていることがわかります。


 

また神社本殿の横には「折居社」として、折居様を祀った社もあります。説明を見ると安永3(1774)年にこの場所に遷座されたようです。



神社に展示されている山車の模型


江差山車会館に展示されている山車 


さらに同神社の祭りとして毎年8月には姥神大神宮御渡御祭が行われます。これは「ヤマ」と呼ばれる13基の山車が町内を勇壮に練り歩く、同町が一丸となる江戸時代から続くお祭りで、北海道の無形文化財にも指定されています。


その山車のミニチュア模型が神社内に展示され、また、神社近くにある江差山車会館ではいくつかの山車の実物を見ることができます。


 同神社の創建は1400年代であるとされ非常に歴史の古い信仰ですが、その伝承には立山の姥神と共通する部分は見出せませんでしたので、その名称のみが同じになった信仰なのかと思われます。



続く・・・


寄稿文

廣谷知行(ひろたに ともゆき)
姥神信仰研究家



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


北海道 江差町 北前船


江差の五月は江戸にもない

北海道の南西部に位置し、北海道文化発祥の地といわれる江差町。

江戸期のニシン漁最盛期には「江差の五月は江戸にもない」といわれる程繁栄を極め、北前船交易によりもたらされた江差追分などの伝統芸能や生活文化が数多く伝承されています。

また、江差沖で座礁沈没した江戸幕府の軍艦「開陽丸」が復元され、幕末のロマンを漂わせています。


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~江差・姥神大神宮渡御祭~(その1)「ご存知ですか?本州、四国、九州そして沖縄の皆さん~北海道『江差町』とはこんな町です!」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4661417




エエ町、江差には

家の数だけ印があります。

古くは江戸時代から、江差に住む人たちはみな家印という独特の記号、今でいうアイコンのようなものを持っています。

屋号とも家紋ともまた違う家印は、その家の目印として各家の棟や蔵などに刻まれ、遠く海を渡ってやってくる北前船の指標にもなっていました。

家紋などのように代々受け継がれるだけでなく、家の主となるものは新たにつくることもできるという家印。

それは、一家の理念や願望が記号化された、江差の人びとにとって特別な印なのです。


こんな意味があるんですね・・・


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~江差・姥神大神宮渡御祭~(その2)「江差の こころ をたずねて ~江差追分~いにしえ街道~」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4672393



江差町 姥神大神宮渡御祭


江差町 姥神大神宮渡御祭 山車総絡み


江差の母さん(1)

この祭りを陰で支えているのは、女性(母さん)の方々。

この祭りばかりは、正月にひけをとらない御馳走がテーブルを埋める。

赤飯、ウニ、アワビ、ツブ、煮しめ、ソーメン、刺し身、オードブルといった料理を用意するのは母さんの仕事。ニシンそばうまそ~

江差町 姥神大神宮渡御祭 イメージ(特産品)


何日も前から、献立を考えたり、仕込みをしたりと祭りでわが家に訪れるお客さんに充分なもてなしを出来るよう母さんたちは孤軍奮闘。もちろん、これだけの御馳走を用意するのだから出費もかさむ。

そこは、1年に1回の祭りに恥ずかしいものは出せないと、江差の母さんも太っ腹になる。

祭り当日、「結構なお祭りでーす」と友人、知り合い、知り合いのまた知り合いといった具合に、ぞくぞく家に上がってくる。そこには、見たこともない人たちもたくさんいるが母さんたちは、ビール瓶を両手に抱え、「いらっしゃい、遠慮しないで何でも食べて飲んでいって」と気軽に声をかける。

「母さん、ビール、母さん、ソーメン」のんきにコップを持つ男たちとは対象に、母さんたちは家中を駆けめぐる。(ビール、ジュースなどは、冷蔵庫に入りきらないので、風呂の浴槽に大きな氷を入れ、何ケースも冷やしておく家もかなりある)この出入りが入れ代わりたち代わり続く。

母さんたちはもうくたくたになるが、「母さんおいしかったよ。御馳走さん、また、来年も寄るよ」の言葉に、満足感を覚える。

(本文に続く・・・)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~江差・姥神大神宮渡御祭~(その3)「江差の こころ をたずねて~祭りには帰っておいで…母」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4685927



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