アレックス・ヴァン・ヘイレンについて意外と知られていない5つの事実
5月8日はドラマー、アレックス・ヴァン・ヘイレンの誕生日だった。
おそらく彼は、弟と結成したバンドのメンバーとしてもっともよく知られているのではないだろうか。すぐさまそのバンドの名前は出さないが、最終的にはわかるはず。
いずれにしろ、アレックスに敬意を表して、この傑出したパーカッショニストについての知られざる5つの事柄をまとめてみた。また、耳で楽しむための公認ヴァン・ヘイレン・プレイリストも作ってみた。
1. アレックスとエディが初めて一緒に音楽を演奏するようになったときは、アレックスがギターでエディがドラムだった。
「1、2週間でチェンジすることにした。だってオレはギターが好きじゃないし、エディはドラムが好きじゃなかったから」と、1995年にアレックスは『ザ・ジョージア・ストレート』に語っている。「オレはフラメンコのレッスンとかやって、楽譜も読めたんだけど、自分とその楽器の間になんのつながりも感じられなかったんだ。オレにとっちゃ、金属の弦のついた板切れに過ぎなかった。だけどエドが手に取ると、すぐさまそいつとつながっちまった。まるでずっとそこにあるはずだったみたいにね」
2. 彼はパサデナ・シティ・カレッジで音楽の講座を取っていた。その中には作曲のクラスもあり、そこで彼は14人編成のオーケストラのために『ウエストサイド物語』を編曲した。
残念ながらアレックスは卒業には至らなかった。弁護するなら、当時は他にあまりにも多くのことがあったからだ。自身のバンドをエディと切り盛りするだけでなく、父親のウエディング・バンドの代役プレイヤーもやっていた。イアン・クリスティーの著書『Everybody Wants Some: The Van Halen Saga』の中で、そのウエディング・バンドのベース・プレイヤーのひとり、リチャード・ケリースはアレックスのパフォーマンスにいかに感銘を受けたかを語っている。「アレックスが私たちのやる音楽=ポルカやワルツ、を実に見事にやってのけるんでビックリしたよ」とケリースは言う。「彼がバンドのリズムを担っていた。それと、私たちはバーが開店する前にセッティングをするんだけど、私がビールをタップから盗み飲みしている間、ドアを見張っていてくれたよ」
3. ジョン・ボーナムを尊敬するあまり、『サーカス・マガジン』を読むのをやめた。
『ドラム・マガジン』とのインタビューで、アレックスはボーナムを大絶賛し、「もっとも過小評価されているドラマー」と呼んだ。「彼にはものすごい技量があった。たんなる4分の2拍子とかだけじゃなく、いろんな中間的なものをたくさん持っていた」とアレックスは語った。「彼はドラムに勢いと感性を持ち込んだ。死んだとき、『サーカス・マガジン』には半ページの記事しか載らなかった……。そのときからあの雑誌を見ことをやめたんだ」
4. ボーナムのドラミングのみならず、ホテルの部屋の破壊ぶりも真似ていると言われている。
ヴァン・ヘイレンはメンバーが楽しいパーティを繰り広げることをつねに期待されているバンドだが、そのパーティがあまりにも長く続いてしまうときもあると言っていい。前述のヴァン・ヘイレンの伝記でクリスティーは次のように書いている。「アレックス・ヴァン・ヘイレンの名前はじきにバンドのマネージメントが発表する被害届で主役を務めるようになった。その詳細は。バラバラに叩き壊されたランプ、叩き割られたホテルの部屋の鏡、蝶番から外されたバスルームのドア、駐車場で発見されたトイレの便座、窓に引っかかった電話、ミシシッピからカリフォルニアまで持ち去られたルームサービスのカート、などである」
5. 彼はかつてドラムスティックに火をつけ、真っ暗な中でドラム・ソロをやっていた。
ご想像の通り、この仕掛けはステージ上でかなり驚異的に見えた。しかし、危険があったため実演を見たのを覚えている人は少ないかもしれない。クリスティーはこう書いている。「ついにステージで偶然髪に火がついてしまって以来、アレックスはもうスティックやドラムセットを燃えるライター用液体燃料に突っ込むようなマネをしなくなった。バンドは火を使う演出はプロに任せることにした」
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