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端午の節句

2018.05.11 02:40


日本からシンガポールに引っ越して来る時、家具はすべて人に譲り、大きな物は持たずに来たのですが、端午の節句に飾る兜だけは船便に乗せて持って来ました。



南国の気候や色合いにまるで馴染まない兜ですが、毎年これを飾って子供の成長を願うことが、何かひとつ親のつとめなのかなという気持ちで、シンガポールの家でも飾りました。




私の実家は、孫が全員男の子なので、うちの兄が生まれた時に用意した将軍の段飾りと武者人形・鍾馗を飾り、この時期は和室をしばらく端午の節句仕様にして、5月5日は鯛や柏餅を並べてお祝いをしてくれていましたが


段々と孫も大きくなって、休日も部活が忙しくて集まれなくなったり、うちもこうして日本を出てしまったので、今年からは節句飾りを出すのをやめたようで


親も年を取り、段飾りを組み立てるのも、重い段ボール箱を出し入れするのも危うくなりつつあったので


寂しい気がしつつも、これが家族の成長なのだなぁと、我が家の小さな兜飾りを見ながら、なんとなく遠く離れた家族を思う季節でありました。




そんな風に兜は飾っていたのですが


実は5月5日にお祝いをすることは、当日まですっかり忘れていまして



ISETANジュロンイーストの九州フェアを見て、当日になって、は!っと思い出し


急遽、男の子のお友達に声をかけて、翌日にお祝いをしました。



ISETANで柏餅を買い(葉がパリパリに乾いていたのは仕方がない)




お友達が素敵な兜を折ってきてくれました。新聞紙で兜を折るなんて、すっかり忘れていて、昔は端午の節句にこれを被って遊んでいた子どもたちがいたことを懐かしく思い出しました。




多民族国家で暮らしていると、一年中、色んな国や宗教のお祝いがありますが、日本の行事はあまり見かけないので、家で子供に伝えていこうと思っています。


海外で暮らすことを選択して、日本人らしさは失われないのか、日本人らしさのない子供に育ってしまうのではないか、という問いかけは、よく話題になるのですが


日本で約40年生きて身についた習慣はそうそう失くなりも忘れもしないもので


むしろ失くしたくても忘れたくても無理なもので


日本を離れてからのほうがむしろ日本の行事の意味を改めて調べたり、大切にするようになったような気がします。





これは行事とは関係なく、柏餅のついでに買ってしまった八天堂のクリームパン。



この全然派手さも華やかさもない、ほんのり甘くて、もっちゃりした優しい味のクリームパンを食べて、美味しいなぁと噛み締めたり


甘いお菓子に、濃い目のお茶を飲むと、口も胃もきりっと締まるなぁとしみじみ感じたり


私が息子に伝えられる日本人らしさなんて、そんなものくらいしか無いかもしれないけれど。




日本といえば…



4月23日(月)から、日本の小学校の教科書配布が始まったので、さっそく頂いて来ました。


初めて日本人小学校に行き、受付カウンターの後ろが職員室になっていて、日本の先生たちってこうやって仕事をしていたなぁと懐かしく思い出しました。



うちは、日本語補習校にも日本語継承学校にも入れていません。


大学時代に国語教員の勉強をしたので(誤字脱字だらけのブログを書いているのに?と自分でつっこんでおきます)、とりあえず低学年のうちは自宅学習で日本語を教えていこうと思っています。



先にアメリカへ移住して子育てをしている友人から、「日本語を疎かにすれば英語が早く身につくかもしれないけれど、小さいうちだからこそ日本語を諦めてはいけない」というアドバイスを頂き


放課後はできるだけ毎日、日本語の本の音読を母子でやり


寝る前に、英語の本の音読を父子でやっています。



息子は英語で学校生活を送っていますが、今のところ日本語が落ちてきている様子はなく、私と会話していると、知らない言葉の意味を問うようになり、むしろ生意気な日本語を話すようになってきています。



いずれ日本語でも英語でも一丁前な事を言う反抗期を迎えてくれたらいいなぁ。