木下恵介 監督『日本の悲劇』
70年前の「人身事故」が
現代社会に問いかけるのは
471時限目◎映画
堀間ロクなな
「本当に重大な哲学上の問題は自殺だけである」と語ったのは、フランスの作家アルベール・カミュだ。木下恵介監督の映画『日本の悲劇』(1953年)を前にすると、わたしはこの言葉を思い出さずにはいられない。太平洋戦争の終結から8年が経った当時、国鉄東海道本線の湯河原駅でひとりの中年女性が列車に飛び込むまでの足取りを、ドキュメンタリータッチで追った内容だ。
その井上春子(望月優子)は、酒屋を営んでいた夫を戦争で失ったのち、あとに残されたふたりの子ども、姉の歌子(桂木洋子)と弟の清一(田浦正巳)を女手ひとつで育ててきた。敗戦後の食糧難のもとではせっせと闇商売に励み、カネ目当てに男どもと関係を持ち、にわかに朝鮮戦争の特需景気がやってくると、温泉旅館で酔客に媚びを売ったり、株取引に手を出してボロ儲けをもくろんだり。そのうち子どもたちもすっかり成長して、姉は地元で洋裁の仕事をしながら英語塾に通い、成績優秀な弟は東京の大学の医学部に進学して、春子の誇りとなっていた。
しかし、戦後民主主義の洗礼を受けた若いかれらにとって、生活のためとは言えふしだらな行為を重ねてきたあげく、いつまでも子どもたちを支配下に置き、将来の面倒を見させようする母親は疎ましい存在でしかなかった。こうした境遇から逃れるために、歌子は好きでもない妻子持ちの英語教師と駆け落ちし、清一は大学卒業後の開業を見込んで富裕な医師夫妻の養子になってしまう。かくして、さんざん骨身を削った苦労の人生の果てにたったひとり取り残された春子は、ふと湯河原駅の階段を降りかけた足を止めると、プラットフォームに駆け戻って……。
確かに、昭和20年代ならではの戦争未亡人の悲劇と見なすこともできるだろう。だが、ここに描かれた不条理は当時の日本社会にかぎった事情だろうか。心千々に乱れた春子は、いまや都内の豪邸に暮らすようになった清一のもとを訪ね、もはやわが子が遠く手の届かないところへ去ったことを知って、最後にこう告げて死出の旅へと踏みだす。
「お母さんはお前を産んだんだよ、忘れないでおくれ」
まさに血を吐くようなセリフではある。とは言え、この時代から70年後の今日に至るまで、母と子のあいだではこうした葛藤のセリフがえんえんと交わされてきたのではないか。あまつさえ、経済的な格差の拡大が進む今日のほうが、母子家庭の置かれた境遇はいっそう深刻の度合いを増しているとさえ言えるのではないか。その意味で、春子と同じように苛烈な試練と向きあう女性たちは、いまの日本社会においても数多く存在しているのに違いない。むしろ、この映画の独自性はもっと別の次元にあると思う。
わたしはもう長らくJR中央線沿線に住んで、通勤にはオレンジ色がロゴカラーの車両を利用してきたのだが、この路線の「人身事故」の多発はよく知られているとおりだ。わたしも乗車中の列車が事故で長時間の待機を余儀なくされたことはしばしばだし、たったいま事故が起きたばかりのプラットフォームに居合わせたことも何度かある(その現場を目にする勇気はなかったが)。駅では事故の防止のため、ひとの気持ちを落ち着かせるという青色の照明をつけたり、神主を招いてお祓いをしたりしてきたけれど、どれだけの効果があったのやらどうやら。それよりプラットフォームに自動ドアを設置したほうがはるかに効果的と思われるが、いまだにひと駅の実現も見ていない。こうした状況のもとで、われわれ乗客もいつしか「人身事故」に馴れてしまい、またもや足止めを食ったことを嘆いても、当の死者に対してなんら関心を向けようとしないのは考えてみれば恐ろしい光景だろう。
とりわけ、昨今は新型コロナ禍によって女性や子どもの自殺が増えているという。もしわれわれがそれを問題視するなら、ただの統計上の数字として受け止めるのではなく、みずから生命を絶たざるをえなかったひとりひとりの人生を見つめるところからはじめなければならないはずだ。木下恵介監督が『日本の悲劇』で痛烈に問いかけたのは、死者ではなく、この社会に生き永らえている者の態度なのだ。