ベルエポック31-ロシアの中央アジア進出
2023.02.27 11:11
クリミア戦争に敗れたロシアは、一転中央アジアに目を向ける。すでにアレクサンドル1世の時代にコーカサス侵攻が始まった。しかしこれはイスラムの「ジハード」を呼び、イラン、オスマン、さらにはイギリスも支援するコーカサス戦争となる。1828年イランはロシアとの戦争に敗れ、アルメニアを割譲した。
ニコライ1世になると、露土戦争が起こり、コーカサス侵攻は一時中断を余儀なくされる。ようやくロシアが制服に成功するのは1864年だった。その年ロシアはトルキスタンのハン国に侵攻し、翌年大都市だったタシュケントを制圧、67年にトルキスタン総督府を置いた。
ロシアの侵攻の名目はイギリスと同じ文明化とキリスト教の名においてである。しかし実は経済的利益であって、南北戦争でアメリカ南部からの綿花が滞り、トルキスタンの綿花が欲しかったのである。だがこのトルキスタン侵攻も1880年までかかることになった。
結局ムスリム達は、他の首長と同じということでロシアの統治を受け入れ、ロシアが資金を出してこの地は発展することとなった。和平の結果として、宗教はそのままになり、イスラムが残ることとなる。1881年にはイギリスがアフガニスタンの保護領に成功して、英露の戦いは一応決着した。