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多田智満子(2)唯一の主題を追い続けて 詩集『封を切ると』に寄せて

2018.05.11 12:46

 多田智満子は、ヴァーグナーのように人間の情動の根源を揺さぶり、聴き手を何処かへと連れ去ろうとする音楽よりも、人間の知性に働きかけ、聞き手の陶酔をむしろ戒めるバッハを好んだ。それは、忘我の音楽ではなく、覚醒の音楽を好んだということである。とりわけ、一つの主題をさまざまに展開していく対位法的楽曲――多田が愛したそれは「反覆」を原理とした客観性の強い旋律構造を持ち、「現在」の中に「過去」と「未来」が内在するという、思えば驚くべき形式であった。  

 多田は、生涯、ただ一つの主題を追求し続けた詩人である。それは生と死をめぐる主題にほかならない。なぜ彼女はあれほどまでに「古代」を好んだのか。それは、近代科学が森羅万象ありとあらゆる分野の秘密を解き明かしながら、生と死の主題については答えることができないのに対して、古代は、ギリシアにせよエジプトにせよ、このただ一つの秘密だけは、神話の智慧を以てみごとに解き明かしていたからである。  

 多田は、詩集を出すたびに新しい世界を示して読者を驚かせるタイプの詩人ではなかった。彼女の詩の世界では、いわば「現在」に「過去」と「未来」が同居していた(詩人が強い関心を示したモチーフである「鏡」の本質もある種の「反覆」であろう)。目新しさが至上の価値を持つ現代社会において、何という反語的精神! もっともこれは、修辞においても旧態依然、古色蒼然であったということを意味しない。詩集『封を切ると』(書肆山田)を繙く者は、多田智満子がこの唯一の主題をさまざまに変奏しながらも、造形性をないがしろにしない優れた現代詩人であったことを再確認するであろう。修辞こそ全てという現代詩の倒錯に陥ることもなく、どの作品にも、現在が永遠に直結されて光り輝いている。集中一篇、「瀧」全行を引こう。背筋の伸びた詩行の堂々たる風格を見て欲しい。


   おお 水が立っている!


   水性の龍はなめらかに地を這うけれど

   ときにはむねをそらせて立ちあがるのだ

   (龍をタツとよませる和訓のたくらみ)

   昇り龍 そしてやがては降り龍

   

   水面はなめらかにひかるけれど 

   時の流れにも思いがけない段差があって 

   がくんと人は老けこんだりする


   行くさきざきで

   迷える魂たちを巻きこんで

   鈍いろの龍巻が立ちはだかっているはず…… 


   旅路の果て

   水にうたれる白衣の行者のように

   けぶるしぶきに荘厳されて

   いま 瀧壺からすっくと顕ちあらわれる影 


 この詩集でも、彼女の特徴とされる「機知」が多くの作品に顔を出す。しかし、これを詩人の煌めく才知と見るのは誤りだろう。驚愕と悲嘆、そして諦念。その果てに、人生との和解として現れたもの、それが彼女の「機知」であったと思われるからだ。  

 最後になったが、本書は永眠した詩人の遺詩集。全二三編を収める。編集構成は高橋睦郎氏。池澤夏樹、小池昌代、高橋睦郎の三氏の執筆による栞と、告別式司式次第、晩年の謡曲「乙女山姥」、遺句集『風のかたみ』、略年譜を収録した別冊を付す。  

 なお、遺歌集の刊行が計画されていると聞くが、詩人には、数多くの未刊行エッセイがある。対談、座談、連句などとともに、いつかこれらも一冊になることを願っている。   


*初出:『図書新聞』2667号 2004年2月28日