明日に香る
わたしは三姉妹の末っ子なのだが
上の姉は、お産の際のトラブルで、生まれた時点で生存率1%と言われたそうだ。
奇跡的にどうにか乗り越え生き延びたものの、そのトラブルが原因で脳性麻痺となり、全介助が必要な程重度な運動機能障害が残った。
それでも小、中、高と普通学校で学んだ。
いじめもあったらしいし、制度の壁に紛糾することもあったみたい。
でもそんなことに負けることなく
(姉が高校生の頃、母親が体調を崩して姉の介助に大きな支障を来たしたこともきっかけになったようだが)
自分自身で助けてくれる友人や仲間を作り、道を切り拓き、できるだけ親に頼らず生活できる基盤を自らの力で築いていった人だった。
そんな姉が急逝した。
1週間経ったけど、未だに嘘かほんとかぼんやりしてしまう。
全く予想していなかった。
わたしの人生には、これから先も姉との時間が当たり前に存在するものだと思っていた。
わたし自身がその存在を本当の意味で受け入れるにはなかなか時間もかかったけれど、
でも自分の境遇を不幸だと思ったことはなかった。
この姉のおかげで今のわたしがあるのは確実で、歳を追うごとに同じ時間を過ごせていることを幸運に思うほどだった。
明るく、優しく、前向きな面も
泣き虫で弱い面もどちらも持ち合わせた、人間らしい人だった。
何より笑顔が最高な、超かっこいい姉だった。
姉がわたしに与えてくれたモノは、目には見えないけれど果てしなく大きい。
そんな存在がいなくなった時、
こうまで胸が苦しくなって、寂しくて悲しくなるのかと、初めて知った。
(正直まだふわふわしているけれど、
こうして文章にすることで受け入れられる部分もあるみたい)
最期は病室で一緒にいられたけれど、
病院にかけつけてから一度も
目を開けた姿や明るい声を聞けることなく逝ってしまった。
こんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。
息をしていないお姉ちゃんを目の前にしたときは
何の言葉も感情も出てこなかった。
苦しかったかな…頑張ったね、ありがとうね…
そんなことしか出てこなかった。
1週間経ってなお、まだよくわからない。
家の中は姉のもので溢れているし
かつてリフォームで広げたトイレやお風呂も
ボタンで上下する昇降玄関(?)も
全部、姉の今と将来の生活のためのもので
主を亡くしたそれらはなんか寂しげで
目に入ると簡単に姉との日々を想うスイッチになる。
のだけど…自制しなければいくらでも泣けそうなのに、
悲しいくらい理性が働き涙がスッとひいていく。
泣いたらダメな気がしてしまう。
泣きたい自分と泣きたくない自分…
我慢した方がいいのか、しない方がいいのか…
お姉ちゃんは、どっちが嬉しいんだい。
…筋肉んみたいになってしまった。。。
とりあえず今はあんまり何も考えられないけれど、
私の遅すぎる選択を
きっとずっと応援してくれていたから
誰になにを言われても、自分なりにやりたいことを必死でやり抜き
前進する自分でいよう。
倒れても倒れてもへこたれない強さを
持てる自分でいよう
凹むことも悔しいこともたくさんあるけど、
姉の死に比べたらなんてことないことばかりだなぁと心底思う。
この先も色んなことを笑い飛ばしながら、
姉が誇れるわたしでありたい。
そして今ぼんやりと…だけど、
姉の生きてきた時間や過ごした日々のことを
知ってもらえる機会になるような作品を
何かの形で残せたらなぁ…という思いも芽生えました。
お姉ちゃん、一旦お疲れ様。
頑張ったね、ありがとうね。
もう少しだけ、話したかったよ。
わたしが大人になるのが少し遅かったなぁ