特集番組(要旨1)
2015年5月25日放送 12:30 - 13:45
テレビ朝日 ワイド!スクランブル(特集)
没後20年 日本初公開!“よみがえるテレサ・テン”
一昨日、渋谷公会堂に大勢の人が詰めかけていた。その目的はテレサ・テンのメモリアルコンサート。20年前になくなったテレサ・テンさんを3Dホログラム技術で立体映像化。「時の流れに身をまかせ」などんヒット曲を歌う当時のテレサ・テンの姿に多くのファンが感動していた。今回番組では改めてテレサ・テンさんの生涯を振り返る位。
スタジオトーク
MCらが挨拶。13日に放送したテレサ・テンさんの特集が好評だったことにつき、今回もテレサ・テンさんの特集を放送すると伝えた。
現役復帰
浅田真央選手を支えた“テレサの歌声”
「つぐない」などを歌うアジアの歌姫テレサ・テン。現役続行を表明した浅田真央選手は、テレサ・テンの名曲「時の流れに身をまかせ」を聞いて気持ちが楽になったと話す。
テレサ・テン没後20年
台湾で見つけた「夢の原点」
テレサ・テンの故郷・台湾を訪れたスタッフ。台湾のシンボル台北101の80階フロアでテレサのグッズ売り場に人が群がっている様子を紹介。この他にも台湾金宝山墓園のテレサの墓前には多くの花束などが備えられており、20年経ったいまでもその人気に陰りを見せない。
「両親の故郷で歌を…」テレサ・テンの願い
テレサ・テンの墓前に華を添え類日本人が独り。その人はテレサに日本の父とたよられていたテレサをスカウトした舟木稔であった。舟木さんは「お父さんお母さんの里でコンサートをやる」というのが本当の夢だった。と当時のテレサの心境を話した。
台北郊外では没後20年の追悼式が行われた。テレサに日本の父と呼ばれる舟木稔も出席。
テレサは舟木に両親のふるさとでコンサートをやることが夢だと話していた。
テレサ・テンが通った小学校では児童はテレサ・テンの曲を習っていた。学校の一角には展示室があり貴重な品を見ることが出来る。
テレサ・テンは14歳でレコードデビューし20歳で日本デビューの話も舞い込む。1973年来日を果たし1974年(21歳)に日本デビューする。「空港」が大ヒットし一躍スターとなった。
その後米国各地でもコンサートを行い人気は世界へ広がった。両親のふるさと・中国では中華圏での名前・鄧麗君の名も広まった。 いつしか昼間は鄧小平が夜は鄧麗君が人々が影響を与えると言われるように。
日本でも1984年「つぐない」が約150万枚の大ヒット、1985年「愛人」が約150万枚の大ヒットに。
台北101、台湾・金宝山墓園、ENKA TV、徹子の部屋1984年12月18日放送、「水曜スーパーテレビ/郷ひろみの宴ターテイメント」1989年10月25日放送、「テレサテン40/40~ベストセレクション」の映像。
テレサの日本の父・舟木稔、テレサテンの兄・フランクテン、当時の小学校先生・寥漢權のコメント。
♪別れの予感、月亮代表我的心、空港、何日君再来、つぐない、愛人。
台湾で取材 “アジアの歌姫”テレサ・テン誕生秘話
テレサ・テンさんの父親は中国で国民党の軍人をしていた。両親とも中国で生まれたが中華人民共和国が成立すると、台湾に逃れてきた。テレサについて、兄のフランク・テンさんはラジオで好きな音楽をよく謳っていたと話、幼い頃から音楽に携わってきたテレサの半生を紹介した。
世界に愛された“歌姫” 駆け上がったスターの階段
73年に来日し、74年にデビュしたテレサ・テンのその後の活躍を紹介。日本だけにとどまらず、シンガポールやアメリカにも住宅を持っていたテレサ。中国では政府に蔑視さてたものの、人気を押さえ込めることが出来ず、昼は「トウショウヘイ」(当時の中国の指導者)夜は「トウレイクン」(テレサの中国での活動名)とまで歌われた。
(注・「とうれいくん」とふりがなが付いているが、漢字を日本式に読んだ場合の発音で、中国語の発音とは異なる。)
1986年「時の流れに身をまかせ」は約200万枚の大ヒットに。しかしテレサテンの夢・両親の中国で歌うことの前には歴史の壁が立ちはだかる。
1989年6月4日天安門事件が起き2週間後、テレサテンは香港から心境を語っていた。この年テレサテンはパリへ移住しテレサは世界中どこへ行っても心が休まる場所がないと心境を語っている。
天安門事件から6年足らず1995年5月8日テレサテンは42歳で死去した。
あれから20年。一昨日、渋谷公会堂では3Dホログラム技術を使ったメモリアルコンサートが行われた。
「歌謡ドッキリ大放送」1986年7月6日放送、「水曜スーパーテレビ/郷ひろみの宴ターテイメント」1989年6月21日放送、渋谷公会堂、舟木稔の映像。
♪時の流れに身をまかせ、香港~HONG KONG~、時の流れに身をまかせ。
時代に翻弄されたテレサ・テン “歌姫”の願い…苦悩
活躍を続けるテレサ・テンだが天安門事件を受け、訪日を取りやめていた。その時の思いを「香港」の歌に乗せて世の中に発信していた。そして彼女はパリに移住。両親の生まれ故郷で歌うことはかなわず42歳で死去した。その頃からのファンが集った渋谷公会堂でのメモリアルコンサートは大いに盛り上がっていた。
「両親の故郷で…」テレサ・テンの夢 実現へ
渋谷公会堂で行われたテレサテンのメモリアルコンサートは大盛況のうちに幕を閉じた。会場にいたテレサ・テンの日本の父こと舟木さんは、このコンサートを中国でも行うと宣言。
一昨日渋谷公会堂で、3Dホログラムを使った「テレサテンメモリアルコンサート」が行われ、大盛況となった。
日本の父と呼ばれた舟木稔は中国でのコンサートを予定していると明かした。
テレサテンの兄は2~3年以内に上海か北京にて開催すると話している。
渋谷公会堂、「歌謡ドッキリ大放送」1986年7月6日放送、ENKA TV、「テレサテン40/40~ベストセレクション」の映像。
テレサの日本の父・舟木稔のコメント。
♪ふるさとはどこですか、時の流れに身をまかせ、別れの予感、愛人、つぐない。
スタジオトーク
テレサ・テンの夢が没後20年を経て、実現しようとしているとスタジオで紹介。大二郎氏の好きな「別れの予感」などの曲がかかっていた。