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KazumaKawauchi

「寂しい」ということ

2018.05.13 03:30


僕の住むペンションには、パラグアイ人がいる。

彼の名はネルソン。ワイルドな見た目とは相反して、内気で、綺麗好きで、めちゃめちゃ料理がうまい。南米人は全員テンションが高い、という偏見を一番最初に崩してくれたのが彼だった。


彼女が来るという。


ネルソンは、携帯の待ち受けも、パソコンのホーム画面も彼女の写真で、僕が「彼女?」といじると、いつも照れ臭そうに笑ってくれる。そんなネルソンの彼女が、はるばるパラグアイからアルゼンチンにやって来るっていうもんだから、僕はネルソンの次に、その日を待ちわびていた。


現れた彼女は、写真で見る通りの美人さんで、ネルソンと同じ空気を感じさせる落ち着いた雰囲気の女性だった。彼女の隣にいるネルソンは、いつもよりも明らかに男の顔になっていて、その様子がものすごく微笑ましかった。


2人はソファで手を繋いでいる。


夜、シャワーを浴びたあとリビングに行くと、いつもそこにはネルソンがいた。僕のことを見つけると、ここに来いよと、ソファの左側を開けてくれる。気の合う外国人もいるもんだなあと思わせてくれたのはネルソンで、暖炉のつけ方を教えてくれたのも、アルゼンチンのキッチン用具の使い方を教えてくれたのも、たまに僕の昼ごはんを作ってくれるのも、壊れたドアを修理してくれたのも、全部ネルソンだ。


そんなネルソンは、5ヶ月でここから居なくなる。


機械になんでも詳しい彼は、パラグアイでメカニック系の技術教師をしていて、ここに仕事の勉強をしに来ている。5ヶ月で向こうに戻って、また同じ場所で働くようだ。


寂しいという感情は、春の卒業シーズンによく味わった。中学を卒業する時も、高校を卒業する時も、新潟から東京に戻る時も、これまで続いていた日常がもう来なくなるということに気づいた時、僕は無性に寂しさに襲われる。


ネルソンが僕よりも先にアルゼンチンから去ってしまうことは、もう一生会えないかもしれないということを意味している。彼がアルゼンチンに来ることはないだろうし、よっぽどの奇跡が起きない限りは、もう会うことはない。


僕は今までいろんな国に行ってきたけど、こうして住むことは初めてで、あることに気付いていなかった。それは、寂しいという感情を、これからたくさん味わわなければならないということだ。もし、アルゼンチンで日本の友達たちと同じくらい深い友情が出来てしまって、愛情が溢れてしまっても、それでも、最後はお別れをしなくちゃいけない。日本人と日本でお別れするのとはわけが違う、ものすごい寂しさに襲われるんだとうなと、ネルソンを見てると思うのだ。


すでに、こいつは一生友達で居たいなあ、と思うアルゼンチン人も数人いる。僕はその友達と別れて日本に帰るとき、どれほどの寂しさに襲われなければならないのだろうか。


海外に住むということはそういうことなのだなあと、やっと今気付いて、これを書いている。

しかもここは、地球の裏側だ。


ネルソンの彼女は明日、パラグアイに戻る。

それを僕に告げたときの彼の寂しそうな顔は、ものすごくわかりやすくて、印象的だった。


「君の彼氏はいいやつだから、ずっと一緒にいるといいよ。僕が保証する」


そう言ってやりたかったけど、僕にはまだ無理だった。もしもう一度彼女がここに遊びに来たら、ピザをくれたお礼と、大切な2人の時間に混ぜてくれたお礼に、拙いスペイン語で「ネルソンのいいやつストーリー」を披露してやりたいと思う。


「君の彼氏は、3Dプリンターの使い方だって教えてくれるんだ」