13. 布勢博一先生を悼む(指導あり)
布勢博一先生
<画像は、カフェ・ラ・テ(ラジオ日本)より>
https://jhosakkyo.exblog.jp/9186606/
布勢博一先生を悼む
私が娘の真優と二人で布勢先生のご自宅を訪れたのは昨年の正月のことである。模試の成績を偽造して、親を騙してまで行きたい高校を受験した真優のことをお聞きになり、
「面白いお嬢さんだね。ぜひ話が聞きたいから連れていらっしゃい」
というお誘いに応じて伺ったのだ。
真優には布勢先生のことを、NHK放送博物館に連れて行ったり、「友情」というお芝居を観に連れて行ったりなどして、あらかじめ少しずつ教えておいた。かつてテレビドラマ界の中心におられ、視聴率ナンバーワンの脚本家として時代を牽引していた布勢先生ではあるが、十六歳の高校生にとっては全く知らない人であったからだ。
ご自宅には先生と奥様がおられて、私たち親子を温かく迎えて下さった。挨拶もそこそこに布勢先生は真優に、
「おじさんちの孫も大きくなっちゃってね、最近の高校生がお互いにどんな会話をするのか、わからないんだけど、どうなのかな」
と質問なさった。娘はものおじもせず、
「会話、しませんね。主にツイッターとかで済ませます」
と頭から否定した。先生は面白がって、
「うんうん、あれは言葉がわからないんだ。銀座なう、とかで通じるんでしょ」
「ああ、そうですね。英語、未来形で使うとたとえば目黒ウィルと書いてあれば、目黒に今から行きますという意味なんです」
「は、はぁ、わからないね……」
「ほんと、若い人にしか通じないんです」
「うーん、だからね、最近の芝居で脚本を書くとき、若い人の台詞は実際聞いてもお客さんがちんぷんかんぷんだから、わざとお母さんを登場させてね、翻訳させるっていう手間が必要なんですよ。外国語より難しいね」
「ほんとですよね」
「で、ほかにはどんな言葉を使うの」
先生はとても好奇心旺盛である。
「うーん、例えば彼ってどんな人?って聞かれたら、『生徒会長的サムシング』、と答えるとかですね。これは『生徒会長みたいな人だよ』、 という意味なんですけど英語が交じるんです。それから、『これワンチャン行ける』って書いてあったら、『これはもう一度チャンスがある』って意味なんです」
「へええぇ。年寄りにはわからないねぇ」
先生はもうお手上げだ、というようなことをおっしゃるが、娘のほうに前のめりになって、顔をじっと見つめて話しておられる。はた目にも娘から何かを吸収しようという気迫満々で、とても御年八十五歳、十七年も前から失明している方だとは思えなかった。
「で、真優さんはKSK(ケーエスケー)ってわかりますか」
ずっと娘が話の主導権を握っていることに飽きたのか、このあたりから布勢先生の反転攻勢が始まった。
「ぼくと結婚して下さいって、タレントのDAIGOさんのプロポーズのときの言葉ですよ。DAI語って言って若者の間では流行っているらしいですね。SSG(エスエスジー)、とかもね」
SSGの意味がわからず、真優はきょとんとしている。
「さすがっていう意味ね」
一拍おいてから種明かしをし、してやったりという子供っぽい得意顔をしている。負けず嫌いなのである。
「先生は若者言葉もよくご存じですねぇ」
と私がそう言うと、先生はさらに、昔はね……と昔話を始められた。
「ぼくら、『ら抜き言葉』はいけないと教えててね。食べれる、とか、見れる、とかはダメ。食べられるとか見られるというのが正しい使い方だと叱ってきたものだけれど、もう一つ上の世代からは『い抜き言葉』を注意されてね。御飯を食べてる、とか、着物を着てる、というのはダメで、ご飯を食べている、とか、着物を着ている、という『い』が入っていなきゃおかしいと言われたのね。だから言葉というのは、時代でどんどん変わるんです」
「言葉の持つ意味も変わります。真優さん、童貞っていう言葉はご存じ? 明治時代は童貞女学校というのがあったんです。変でしょ。でも当時は潔癖な女子を育成するという意味で、童貞ということばを使ったんです」
そこから話はさらに発展し、布勢先生は自分の十代のころの話を娘にして下さった。戦前の中国大陸での体験談や引き揚げ前後の苦労話である。先生の幼なじみで、同じく大陸育ちであった奥様も思い出話に加わった。
ちょうど娘の年ごろ、布勢先生と奥様は敗戦という大惨禍に運命を翻弄されて、生きるか死ぬかの境目を、やっとの思いでくぐり抜けて来られたのだ。しかし先生のお話は、どれもこれも面白可笑しく脚色がしてある。
引揚船では甲板に張った綱を握って、海に向かって小用を足すのだが、船が揺れて命がけ、真っすぐ飛ばすのが大変だったという話であったり、闇市はインチキだらけで革靴の底がボール紙であったりしたという話である。
また、ベストセラーと称して「釜がなくても食える方法」や「ひとつき十円で生きる術」という本を売っていたそうだが、中には一行だけ「釜が無ければ鍋で炊け」とか「一突き十円とは心太(ところてん)のことなり」と書いてあったのだそうだ。バカバカしい詐欺本である。
そんな本来なら悲惨な話でも、かしこまったお説教臭い話には、決してなさらない。布勢先生は私たちを楽しませるために、クイズ形式で話を運ばれるのがお得意で、時々奥様が先に答えたり、ネタばらしをなさったりすると、
「貴女、先に言っちゃダメじゃないの!」
と本気になって怒る。本当に仲の良いご夫妻であった。
喋って飲んで食べて笑っているうちに。あっという間に窓の外は夕闇に包まれていた。私が慌てて、
「もうそろそろお暇しよう」
と娘を促すと布勢先生は、
「真優さん、貴女は将来医師を目指しているそうだけれど、貴女ならきっと医学部に合格しますよ。間違いない。そしたら、またここに遊びに来て下さい」
と言って下さった。娘は先生に励まされて本当に嬉しかったようで、「きっと参ります」と力強く約束して帰ってきたのである。
しかし布勢先生は平成30年8月13日に遠行なさってしまった。もうお戻りにはならない。このお別れはあまりにも私達にとって辛すぎて、気持ちの整理がつかないでいる。
※ 作品中の日時は掲載当時のまま、かな遣いも掲載時のままです。
第51号掲載作品 2019年春号「布勢博一先生を悼む」
佐藤愛子先生の指導
布勢博一先生を悼むという題で、追悼文ではなくエッセイを書いたわけね。
ここではっきりさせておきたいのは、追悼文というものはエッセイではないということです。追悼文はあれでしょ、お葬式のときなんかに朗読して故人を称えるもので、それは文学とは目的が違うんだから、いかに故人を褒めたたえるかということなんですよ。
でもこの作品は一見追悼文のような題名をつけながら、布勢さんという人を書こうというエッセイなんですから、そのつもりで書かなければいけません。
まず気になるのはあちこちに出てくる布勢さんへの敬語です。本当は布勢博一先生の先生も外して書いたほうがいいわね。それから「お聞きになり」とか「お誘いに応じて」とか見苦しいだけだから、敬語を普通のことばにあらためなさい。
あれほどお世話になった先生に、とてもそんなことはできないって?
それじゃあ布勢さんを書こうとするのは諦めなさい。
布勢さんとはどういう人だったか、どんな人となりかをエッセイに書きたいんであれば、過剰な礼儀は無用です。私が芥川龍之介を書く時も芥川は芥川だし、井伏鱒二を書く時も井伏は井伏なんです。先生なんかつけないんです。これは物書きが超えなきゃならないものなんです。これがプロの作品だったら通用しませんよ。
私が人の作品を講評するときには、その人がプロを目指しているという前提で教えます。ただ自分の楽しみで書きたいことだけ書いていればいいという人には、何も言うことはないです。ああ、それじゃあご自由になさいというようなもんです。意味がないですもの、好きに書いている人に何を言っても。
次にここのところ。先生はもうお手上げだ、というようなことをおっしゃるが、娘のほうに前のめりになって、顔をじっと見つめて話しておられる。はた目にも娘から何かを吸収しようという気迫満々で、とても御年85歳、17年も前から失明している方だとは思えなかったの部分は一読するとよく書けているようで、実は作者の主観になっています。
いい悪いじゃないですよ、観察と分析に頼ると作者の判断になってしまう、それですと対象の人についてもっと深く考えないと、作者の作り上げたものに読者を誘導するようになるんです。ここで大切なことは「感じること」です。布勢さんのことをこの部分からこう感じたというものを沢山積み上げていかないと、本当の布勢さんの人となりにたどり着かないんですよ。
この人をこう書こう、こういう人物に仕立てて読者に伝えようと意図すると、さてそれがエッセイになるのか、疑問のあるところなんです。三島由紀夫の小説を読むと、そういう作為がたくさん出てきます。あれは小説だからあれで良いんですけどね。エッセイの場合はもっと繊細に感じ取って実像を描き出さなければいけない。注意が必要なんです。
時々奥様が先に答えたり、ネタばらしをなさったりすると「貴女、先に言っちゃダメじゃないの!」と本気になって怒るというところ、これはいいですね。布勢さんの人となりが良く出ている。こういう所をもっと書きなさい。
この作品はね、結局は布勢さんという人は良い人だった、良い人だったで終わってしまっているんです。それでは文学にならないんです。布勢さんから不愉快なことを感じ取ってもそれをありのままに書くんでなければダメなんです。書けば自分が皆から嫌われるというなら嫌われていい、書き手にその決意がないと読むに値しない作品になってしまいます。
私、この作品、2日かけて何度か読み返しましたけれどね、最初読んだときの印象よりも翌日読み返したときに思ったことが「わざとらしいなあ」ということです。感受性の問題かも知れないけれども、もっと布勢さんの深部に斬り込めたんじゃないかなと、なんだか気に入りませんでした。
◆◆◆