追悼 岸本文夫様
願興寺観音講の前会長・岸本文夫様が、2月22日にお亡くなりになられました。
謹んで哀悼の意を表し、寺院護持に格別なるご尽力を賜った生前のご功績に、心から感謝申し上げます。
戒名「千光庵瑞奎昌文居士」。
岸本さんは当地でも有数の旧家に生まれ、旧東出雲町長をつとめるなど、行政の要路において故郷の発展に尽力されました。
退職後、ちょうど古希を迎えられた平成16年から、願興寺観音講の会長を11年つとめられました。
この間、毎月の恒期法要や年2回の札打ち、除夜の鐘といった年間行事を率先垂範されたばかりでなく、平成19年には観音講設立20周年事業、平成23年には観音堂裏の修復などの事業において、長い行政での経験を生かされた組織づくり、硬軟自在の人身掌握術を発揮され、円成に導かれました。
岸本さんは地域の顔役で、世知に長けておられました。
お寺に帰ってまだ間もなかった若かった私に、「地域社会」での暮らし方や人付き合いの機微などを教えていただき、青二歳が三歳くらいになるのを、時には直言も交え、見守ってくださいました。
また酒席がお好きで、お酒を酌み交わすと子のように仲間のように、親しく接してくださいました。
元々「保守的」ともいうべき政治信条からか、私が独身の時には、よく「早く結婚をしなさい」と諭されていました。正直なところ、それをあまり快く思っていない時期もありました。しかし実の両親からはプレッシャーをかけられたことはなかったので(両親なりの配慮があったのだと思いますが)、岸本さんに言われ続けて、結果的にこちらが根負けしたことで、結婚の「必要性」を意識するようになったと思います。
「たまに小言もある、篤い公徳心の名士」は、今となっては尚更得難い人材です。
私にとっては檀信徒としてのみならず、先生であり、恩人であり、後ろ盾。地域で暮らす安全灯のようでもあり、公民としてあるべき上での鑑でした。
最近、かつて「わしの葬儀はやってごせよ」と言って、「寺の跡取り」として私をその気にさせてくれた年輩の檀信徒の方が次々亡くなられ、約束を果たしたとの思いが増えるにつけ、自身が僧侶である根拠が、少しずつ減っているようにも感じています。
岸本さんなら、そんな私に「喝」を入れるかもしれません。私もいつか帰元した時には、岸本さんに「よーやーられました」と言っていただけるよう、日々のつとめを果たさなければと、肝に銘じます。
岸本さん、これまで本当にお世話になりました。観音様のお導きで、奥様とともにご冥福多からんことを祈念します。合掌