「フェミニズム」という言葉のイメージとか
フェミニズムと聞くと、「フェミニンな(女性らしく優美な)」「女性解放」といった「女性」を軸とした表現に直結するせいかそれが高じて反対側にある男性を「排除」「男性は敵」とする考え方をゴンゴン打ち出す姿勢のこと、って思ってしまう人もいるかもしれないな。
フェミニズムって、男対女、という構図をもとに、男性を女性が攻撃する活動や思想とは違うんだよな。
おおざっぱにいえば、「フェミニズムはみんなもの」。
「フェミニズム」が実現されれば、(を、実現すれば)だれもが生きやすい社会になる。
それが100%実現できない背景には「家父長主義」がある。
これまた言葉のイメージっていうのも大きいと感じる。
家父長・・・というと「家族の大黒柱のおとうさん」というイメージがまず浮かぶ。
言い換えると、そういう、いばりちらした男を排除したい人たちのことでしょ、フェミニストって、という言われようにつながってしまいがち。
だけど、「家父長主義」というのは共同体で最もパワーがある人がその共同体の統率権をもって支配する考え方やその体制のこと。
力がある人がその共同体の方向性を決めるってとっても居心地が悪いよね。「弱い」立場の人は軽視され、「障がい者」と言われる場合だってある。「障がい」として「こまった存在」「みんなの負担」という構造になってしまうのは、そういうパワーバランスをよしとする考え方が背景にある。
それから、家父長主義に基づく社会では、「性別役割」をはっきりせることはとっても都合がいい。
でもそんなふうに、性別役割を決めつけられて嫌な思いをしたり生きづらさを感じるのは女性だけでなく男性にもある。
そういう意味でも「フェミニズム」は男性対女性の対立を促進するものではないんだよな。
女性「らしく」も、そして男性「らしく」を強要されることがなくそもそも存在すら意識しなくてよい、誰もが「自分らしく」生きられる社会がフェミニズムが実現した社会。
だからやっぱり「フェミニズムはみんなのもの」なんだよな。