ベルエポック35-アレクサンドル2世テロ
2023.03.07 11:38
1881年3月13日、ロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺された。爆弾テロである。79年「人民の意志」の委員会は、皇帝が神ではなく死ぬものだと示し、革命を誘発するために皇帝暗殺を決定し、幾度となく暗殺未遂を繰り返した。今回の暗殺は行動パターンを把握し、入念な計画を練ったものだった。
皇帝暗殺で、息子が5月27日にアレクサンドル3世として即位した。新皇帝は、保守主義を取り、父帝の改革を否定して専制国家を再確立しようとする。「人民の意志」は、新皇帝に公開状を送り、政治的自由や制憲議会開設を条件にテロ中止を提案した。が「テロリストとは交渉せず」で、さらに厳しく弾圧する。
さらに新皇帝は、地方自治組織であるゼムストヴォの弱体化を計った。ゼムストヴォの議会は地方貴族のものだったが、ゼムストヴォのもとで、農村の医療や初等教育は大きく前進した。彼らは啓蒙主義的インテリが多く、反乱の原因をつくると目をつけられて、内務省監督官のもとにおかれた。
そして新帝は専制を強め、ポーランドを含むすべての帝国の地域でロシア語教育が徹底された。そしてドイツとの同盟を嫌い、独自で軍強化を行った。「我々は敵国に包囲されている。ロシア人に友人も同盟者も必要ない。ロシアには2つの同盟者しかいない、それはロシア陸軍と海軍である」。